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(四十一)荻の枯れ葉

 冬になって、雨が降り暮らしたある日の夜、雲を返す風が激しく吹いて、空が晴れ、月がはなはだ明るくなり、軒に近い荻がひどく風に吹かれて砕け惑うのがいたく悲しくて
 
  秋をいかに思ひいづらむ
   冬深み嵐に惑ふ荻の枯れ葉は
 
(この秋をどんなふうに思い出しているのだろう。冬の深さの故に、嵐に惑うこの荻の枯れ葉は)
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(四十)太秦

 葉月ばかりのこと、太秦に籠もるのに一条より詣でる道に、男車が二つばかり止まっている。もろともにどこかへ行くはずの人を待っているのであろう。
 そこを通ってゆくと、随身のような者をよこして
 
  花見にゆくと君を見るかな
 
(花を見にゆくのだと、あなたは見えますね)
 
と言わせたので、こんな折のことは答えないのも具合が悪いなどということで
 
  千ぐさなる心習ひに
   秋の野の
 
(くさぐさに心を動かす癖で、秋の野の)
 
とばかり言わせて行き過ぎてしまう。
 七日太秦にいる間も、ただ東国のことのみが思いやられ、由もない言葉を辛うじて離れて、つつがなく父と対面させたまえと申し上げたのは、仏も哀れとお聞き入れになったことであろう。
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(三十九)父下向

 文月十三日に父は下る。
 五日前からは、なまなかに父を見るのも何だろうからと、親のいる母屋にも入らない。
 当日は立ち騒いで、その時になってしまった以上は、すだれを引き上げて、顔を見合わせて、涙をぽろぽろ落として、そのまま出ていってしまうのを見送る心地は、ひどく目もくらんで、そのまま横になってしまうけれども、こちらにとどまる家来が父の送りをして帰った時に、懐紙に
 
  思ふこと心にかなふ身なりせば
   秋の別れを深く知らまし
 
(思うことが心のままになる私であったなら、秋との別れをあなたと深く知ることもできたろうに)
 
とばかり書かれていたのを見やることもできず、もっとましなときであれば、腰折れになりかかった歌でも考え続けたのだけれども、ともかく言うべき手立ても思いつかぬままに
 
  かけてこそ思はざりしか
   この世にてしばしも君に別るべしとは
 
(かつて思いもしませんでした。この世でしばしもあなたに別れねばならぬとは)
 
と書かれたのでもあろうか。
 人が見えることもますますなくなってゆき、寂しく心細く物を思いつつ、父はどの辺りだろうかと明け暮れ思いやっていた。
 道中も知っているので、はるかに恋しく心細く思うことは一通りでない。
 明けてより暮れるまで、東の山際を眺めて過ごす。
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(三十八)常陸守

……父が  になれば、はなはだやんごとなく自分もなることであろう……などと、ただ当てどもないことを思って過ごしていたのに、父は辛うじて、はるかに遠い東国に任ぜられて
「……いつか思うように近いところに任ぜられたら、まずはあなたを懇ろに取り扱ってこの胸のつかえを下ろし、それから連れて下って、海や山の様子を見せるのはもちろんのこと、この我が身よりも高く丁重にもてなしてみせよう……とは年来思っていたのだが、私もあなたも宿世が拙かったために、結局はこうしてはるかな国に任ぜられてしまった。あなたの幼かった時ですら、東国へ連れて下ってからは、いささかでも病気をすれば、この子を見捨ててこの国に惑わせることになるのであろうかと思うたものだ。よその国の恐ろしいのにつけても、もし我が身一つであれば煩いもなかったろうが、狭苦しいまでに引き連れていて……言いたいことも言えず、したいこともできないで悩ましいものよ……と心を砕いていたのに、あなたが大人になった今はなおさら、連れて下っては、私の寿命のほども知れず、京の内にてさすらうならば例のことだが、東国の田舎人になって惑うのは悲しかろう。京といっても、頼もしく迎え取ってくれそうに思う親類もなし、さりとて、僅かに任ぜられた国を辞し申し上げるべきでもないので、あなたを京にとどめたままで、永い別れとなってしまいそうなのだよ。京にといっても、しかるべく取り扱った上でとどめておけようとは思いも寄らぬことだ」
と夜昼嘆かれるのを聞く心地は、花紅葉の思いも皆忘れて、悲しくて悲しくて。けれど、どうしようもない。
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(三十七)浮舟

 かようにそこはかとないことを思い続けるのを勤めとして、僅かに参詣などしても、世の人のようになろうと、しっかり念じることもできない。
 この頃の人は十七、八より経を読んで修するけれども、そんなことは思いがけず、辛うじて思い寄ることは……はなはだやんごとなく、姿や有り様は、物語にある光源氏などのようでいらっしゃる人を、年に一度でも通わし奉って、浮舟の女君のようにひそかに山里に住まわされて、花、紅葉、月、雪を眺めて、至って心細げに、美しい御文などを待って時々それを見たりするのだろう……とばかり思い続けられ、それを心当てにもしていたのである。
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(三十六)名乗り

 継母は宮にいても、下っていたあの国の名で呼ばれていたけれど、別の人を通わして後もなおその名で呼ばれていることを聞いて、父が、今は合っていない由を言いにやろうということで
 
  朝倉や 今は雲居に聞くものを
   なほ木のまろが名乗りをやする
 
(今は禁中にいると聞いておりますものを、なお朝倉の丸太のような名を名乗らせているのですか)
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(三十五)他家にて

 一時他家にあって満月の頃、竹に近くて、風の音に目を覚まされるのみで、打ち解けて寝ることもできぬ頃に
 
  竹の葉のそよぐごとに寝覚めして
   何ともなきに物ぞ悲しき
 
(節のある竹の葉がそよぐ夜ごとに寝覚めをして、何ということもないのに物悲しいことだ)
 
 秋頃、そこを立ってほかへ移り、そこのあるじに
 
  いづことも露の哀れは分かれじを
   浅茅あさぢが原の秋ぞ恋しき
 
(どこだといって露の美しさが分かれはしますまいけれど、まばらにちがやの生えたあの原の秋が恋しいのです)
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(三十四)木の葉

 神無月の下旬にまたちょっと来てみると、木暗く茂っていた木の葉も残りなく散り乱れて、一面が物悲しげに見え、心地よげにさらさらと流れていた水も、木の葉にうずもれて跡ばかりが見える。
 
  水さへぞみ絶えにける
   木の葉散る嵐の山の心細さに
 
(澄んだ水さえ住むのをやめてしまったのだ。木の葉を散らす嵐の山の心細さに)
 
 例のそこにいる尼に
「春まで命があれば必ず伺います。花盛りとなりましたら、まず告げてください」
などと言って帰ったけれども、年が改まって、弥生の十余日になるまでも音沙汰がないので
 
  契りおきし 花の盛りを告げぬかな
   春やまだ来ぬ 花や匂はぬ
 
(契っておいたように花の盛りを告げてはくださらないのですね。春はまだ来ないですか。花は匂いませんか)
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(三十三)帰京

 そこを出て京に帰ってゆくと、来た時には水ばかりと見えた田も皆刈られていた。
 
  苗代の水影ばかり見えし田の
   刈り果つるまで長居しにけり
 
(苗代の水影ばかりと見えていた田の、すっかり刈られるまで長居をしてしまった)
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(三十二)有明の月

 葉月二十余日の暁方の月は、はなはだ美しく、山の方は木暗くて、滝の音も、似るものもなく思われるのみで
 
  思ひ知る人に見せばや
   山里の秋の 夜深き有明ありあけの月
 
(この美しさが分かる人に見せたいものだ。山里の秋の夜更けの、この有明の月を)