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(六十四)初瀬

 その翌年の神無月の二十五日、大嘗祭だいじょうさい御禊ごけいと人は言い騒ぐのに、こちらは初瀬の精進を始めていて、その日に京を出てゆくので、兄などは
「一世一代の見物で、田舎の人すら見るものを、月日も多し、そんな日に京を振り捨てて出ていったら、あまり狂おしくて、長らえての語り草にもなりそうなことだ」
などと言って腹を立てるけれども、夫は
「いかにもいかにも。それもあなたの心からでしょう」
と言って、私の言うに従っていで立たせてくれる思いやりもいとおしい。
 共に行く人々もいたく見たそうにしているのが哀れではあるけれども……見物などして何になろう。こんな折に詣でるその志を、そうはいっても仏は思ってくださるであろう。必ずそのしるしを見ることであろう……と意気込んでその暁に京を出るのに二条大路をば通っていったところ、先にはみあかしを持たせ、供の人々浄衣じょうえ姿であるのを、桟敷に移るということで数多く行き違う馬も車も、徒歩の人にも、あれは何だあれは何だと穏やかならず言って驚き、嘲笑する者どもがいる。
 良頼よしより兵衛督ひょうえのかみと申す人の家の前を過ぎれば、そこの人々も桟敷へお移りになるのであろう、門を広く押し開けて立っていて
「あれは参詣人と見えるな。世に月日も多いというのに」
と笑う中に、いかなるおもんぱかりのある人であろうか、
「一時の目を喜ばせて、それが何になるというのでしょう。いみじくも思い立たれて、必ず仏の徳を御覧になるはずの人と見えますよ。由もないことです。物見などしていないでこんなふうにこそ思い立つべきだったのです」
とまめやかに言う人が一人ある。
 道のあらわにならぬ先にと未明に出てきたので、立ち後れている人々をも待ち、本当に恐ろしくて深いこの霧が、少し晴れるまでもここにいようということで、法性寺の大門に立ち止まっていると、田舎より物見に上る者どもが、水の流れてくるように見えるや、道も全然避けあえず、物の機微など解しそうもない卑しい童子までが、よけて行き過ぎる我々の車に驚いていることは一通りでない。
 これらのことを見るにも……誠に、どうしてこんな道にいで立ったのであろう……とも思われるけれど、ひたぶるに仏を念じ奉って宇治の渡りに行き着いた。
 そこにてもなお、こちらに渡ってくる者どもが立て込んでいるので、かじを取る男どもは、舟を待つ人が数も知れぬのに心もおごった気色で、袖をまくり、顔に当てたさおに寄り掛かって、とみに舟も寄せず、口笛を吹いて見回し、至って澄ました様である。
 果てしないほどに渡れずにいてつくづくと見るに、源氏物語に宇治の宮の娘たちのことがあるけれども、いかなるところだからとそこに住ませたのであろうと知りたく思っていたところである。誠に美しいところだと思いつつようよう渡って、頼通殿の御領地の宇治殿を、中に入って見るにも……浮舟の女君はこんなところにいたのであろうか……などとまず思い出される。
 未明に出てきたので人々困憊こんぱいして、野路地やいろじというところにとどまって物を食ったりする折しも、お供の者どもが
「悪名高い栗駒くりこま山ではありませんか。日も暮れ方になったと見える。お主たち、弓矢をお取りなさい」
と言うのをいたく恐ろしく聞く。その山もすっかり越えて贄野にえのの池のほとりへ行き着いた折、日は山の端にかかってしまっている。
 こうなった以上は宿を取ろうということで、人々は別れて宿を求めるも、所が半端で、
「至って卑しげな下衆げすの小家があります」
と言うので、やむを得ぬということでそこに宿った。
 家の人々は皆、京に参ったということで、卑しい男が二人でいたのである。
 その夜も寝られはしない。
 男が出入りをして歩くのを、奥の方にいる女どもが、どうしてそんなふうに歩いておられるのですか、と問うのが聞こえてくると、
「いやこれは、心も知らぬ人を泊め奉って、釜でも引き抜かれたらどうしようかと思うて、寝られないで歩き回っているのです」
と、こちらが寝ていると思って言うのが、聞くにも本当に気味が悪くおかしい。
 翌朝早くそこを立って、東大寺に寄って拝み奉る。
 石神いそのかみは、誠に古くもなってしまったことが思いやられて無下に荒れ果てている。
 その夜、山辺やまのべというところの寺に宿って、いたく苦しいのだけれども、経を少し読み奉って休んだ夢に……
 
 はなはだやんごとなく清らかな女の人がおいでになるところへ参ったところ、風がひどく吹いてくる。
 私を見つけて、笑いを含んだまま
「どうしておいでになったのです」
と問われるので、
「どうして参らないことがありましょう」
と申せば、
「あなたは内裏にいたいのでしょう。あの女史によく相談してはどうです」
とおっしゃった……
 
と思って、うれしく頼もしくて、いよいよ念じ奉って、初瀬川などを過ぎてその夜にお寺に参着した。
 はらえなどをしてお堂に上る。
 三日そこにいて、暁には退出しようということで眠った夜に、お堂の方から
「そら、稲荷より賜った、しるしある杉ですよ」
と言って物を投げ出すようにした。そこで目を覚ましたところ夢であった。
 未明に出て、泊まるところもないので、奈良坂の都側で家を尋ねて宿った。
 これもひどい小家である。
「ここは怪しいところと見える。ゆめ寝てはなりません。慮外のことがあっても、ゆめゆめ、おびえて騒いだりなさいますな。息もしないで伏しておいでなさい」
と言うのを聞くにも本当に悩ましく恐ろしくて、夜を明かす間も千歳ちとせを過ごす心地がする。
 ようよう明けると、
「あれは盗人の家だ。あるじの女が怪しげなことをしていた」
などと言う。
 ひどく風の吹く日に宇治の渡りをして、その間にあじろの至って近くまでこぎ寄せた。
 
  音にのみ聞き渡りこし
   宇治川のあじろの波も今日ぞ数ふる
 
(長きにわたり音にのみ聞いてきた宇治川のあじろが、今日は風波をも数えるまでになった)
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(六十三)石山

 昔の自分の心の由なさをすっかり思い知って悔やまれるのみで、親に参詣に連れていかれることなどもついになかったことが、思い出されてとがめたくもなるので、今はひとえに、財力豊かになって、双葉のような我が子をも、思うように大切に育て、この我が身にも、富を三倉御蔵の山と積んであふれるばかりとなし、後の世までのことも考えておこうと思いを励まして、霜月の二十余日というのに、石山に参る。
 雪が降って道のりさえも面白いのに、逢坂の関が見えると、昔ここを越えたのも冬であったなと思い出されたその折しも、至って荒く風が吹いてくる。
 
  逢坂の関の関風吹く声は
   昔聞きしに変はらざりけり
 
(逢坂の関に風が吹く声は、昔聞いたのと変わるところもない)
 
 いかめしく造られている関寺を見るにも、まだ粗造りのお顔ばかりが見られたあの折のことが思い出されて、年月の過ぎてしまったことが感慨深くもある。
 打出うちいでの浜の辺りなども、昔見たのに変わらない。
 暮れかかる折に参着して、湯屋に下りてからお堂に上ると、人声もせず、山風が恐ろしく思われて、お勤めをし残したままにまどろんだその夢に、
「中堂より麝香じゃこうを賜りました。早くあちらへ告げなさい」
と言う人があったところで目を覚ましたので、夢だったのだと思うにも、良い夢なのであろうよと思ってお勤めをして明かす。
 又の日も、はなはだ雪が降って荒れ、宮家で交際があり私に伴っておいでになった方と物語をして心細さを慰める。
 三日そこに伺候して退出した。
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(六十二)春秋論

 月卿雲客げっけいうんかくに対面する人は定まっているようなので、物慣れない実家住まいの私などはいるかいないのかすら知られるべくもないけれども、神無月の初め頃の至って暗い夜に
「不断経で声の良い人々が読む折ですよ」
ということで、そちらに近い戸口に二人ばかりで立って出て聞きつつ、物にもたれて話をしていたところに参った人があったけれども、
「逃げるようにつぼねへ入って、人を呼び上げたりするのも見苦しいでしょう。さもあらばあれ、よい折だからここにいましょうよ」
と今一人が言うので、傍らに坐って聞いていたところ、静かに落ち着いたその素振りは、取るに足りない人とも聞こえない。
 今一人はどなたかなどと問うて、世の常のように卒爾に懸想めいたことを言うでもなく、世の中の哀れなことなどを細やかに言い出して、私たちもさすがに、厳しく引っ込んでい難いような節々があり、答えなどするのを、
「知らない人がまだいたのですね」
などと珍しがって、とみに立ってゆきそうもない間、星の光すら見えずに暗く、時雨が降っては木の葉にかかる音が面白いので
「こんな夜はかえって優美ですね。月がくまなく明るくても、間が悪くて恥ずかしいことでしょう」
 そうして春秋のことなどを言って
「時に従って見ていきますと、春はかすみが面白く、夜空ものどかにかすんで、月の面も、あまり明るくもなく、遠く流れるように見える頃、琵琶の風香調ふこうじょうを緩やかに弾き鳴らしていたりするのは、本当にうれしく聞こえますけれども、また、秋の月がはなはだ明るいので、空に一面に霧がかかっていても、手に取るばかりさやかに澄み渡っているところに、風の音、虫の声と、取り集めてまいったような心地がする頃、そうがかき鳴らされていたり、澄んだ音に横笛が吹かれていたりするのは、春が何だと思われるほどですね。また、そうかと思えば、冬の夜、空さえはなはださえ渡っているところに、雪が降り積もり光り合っている頃、ひちりきが震えた音を出したりするのは、春も秋も皆忘れてしまいますね」
と言い続けて、あなた方の心に残るのは何かと問うので、
もう一人が秋の夜に心を寄せて答えなさるのに、そうそう同じようには言うまいということで
 
  浅緑 花も一つにかすみつつ
   おぼろに見ゆる春の夜の月
 
(柳の糸は浅緑、桜の花も一つにかすみつつ、おぼろに見える春の夜の月こそ心に残ります)
 
と答えたところ、返す返す誦して、
「それでは、秋の夜は捨てて顧みられないのでしょうね」
 
  こよひより後の命のもしもあらば
   さは春の夜を形見と思はむ
 
(こよいの後にもしも私の命があれば、それでは、春の夜をあなたの形見と思いましょう)
 
と言うので、秋に心を寄せた例の人が
 
  人は皆 春に心を寄せつめり
   我のみや見む 秋の夜の月
 
(人は皆、春に心を寄せてしまうようですね。私だけで見ることにしましょうか。秋の夜の月は)
 
と言うので、はなはだ面白がり、思い煩うたような気色で
「唐土などでも昔より、春秋論はできるものでないということですけれど、そんなふうに判断なさったお心には、思うにその故がございましょう。自身、心がなびいて、哀れとも面白いとも思うことのある折に、そのままその折の空の有り様や、月や花に心を染められるのでありましょう。あなた方が春と秋とを解するようになったその折のことが大いに承ってみたいですね。冬の夜の月といえば、昔より荒涼たるもののためしに引かれておりますけれども、またあまり寒うなどして格別見られもしませんけれども、私が斎宮の御裳着もぎの勅使として伊勢へ下りました時に、曉に、もう帰京するということで、その数日で降り積もった雪の上に月の光が至って明るいところへ、旅の空だとさえ思えば、心細く思われましたけれど、斎宮のところにいとま乞いに参上しましたところ、この辺りはほかのところと違うという思い込みさえあるので恐ろしいのですけれども、相応のところに召されまして、円融院の御代より参上していたという、本当に神さび古びた気配の人が、至って由緒も深く故事を語り出して、泣いたりしまして、よく律呂りつりょを合わせた琵琶を差し出されたのは、この世のこととも思われず、夜が明けてしまうのも惜しく、京への思いも絶えてしまうばかりに思われましてより、雪の降る冬の夜を解するようになって、火桶を抱いても必ず出ていって坐して見るようになりました。こんなふうにお思いになった故があなた方にも必ずございましょう。それではこの辺で。こよいよりは、時雨が降るような闇夜もまた心に染みることになりましょう。あの斎宮の雪の夜に劣るような心地もしません」
などと言って別れた後、誰とも知られまいと思っていたのに、翌年の葉月に、宮が内裏へお入りになるので夜もすがら殿上で御遊びがあったのにその人が伺候していたのも知らず、その夜はつぼねに明かして、細殿のやり戸を押し開けて外を見たところ、暁方の月が有るか無きかで面白いのを見ていると、靴の音が聞こえて、読経などしている人もあったのである。読経の人はこのやり戸の戸口に立ち止まって物を言ったりするのに答えていると、ふと思い出して
「あの時雨の夜が、片時も忘れぬほど恋しかったのですよ」
と言うのだけれども、言葉で長く答えるべき折でもないので
 
 何さまで思ひいでけむ
  なほざりの 木の葉に掛けし時雨ばかりを
 
(なぜそうまでお思い出しになるのでしょう。木の葉に掛かった時雨ほどの、なおざりなやり取りでしたのに)
 
と、最後までも言わぬのに、人々がまた来合わせたのでそのまま滑るようにつぼねに入って、その夜に退出してしまったので、あの夜一緒にいた人を訪ねてあの方が返しをしていたことなども後に聞いたのである。
「『以前の時雨のようなときに、何とかして琵琶の音を、覚えている限り弾いてお聞かせできましたら』ということです」
と聞くので、聞きたくて、私もそんな折を待ったのに更にない。
 春頃、のどやかな夕方、あの方が参ったと聞いて、その夜一緒にいた人といざり出ると、外に人々が参り、内にはいつもの人々がいるので、出てゆきさしてまた入ってしまう。
 あの方もそう思ったのであろう。しめやかな夕暮れと推し量って参ったのに、騒がしいので退出したと見える。
 
  加島見囂みて鳴がれいづる
   心は得きや いそのあま人
 
(加島を見ながら鳴門の浦にこぎ出すのではありませんが、私たちが、鳴る戸をかしましく思いながら心はあなたに焦がれていたのを、理解しておいででしたか。いそにいる海士でもないあなたは)
 
と言うばかりで終わったのである。
 あの方は、人柄も至って生真面目で、世間並みでもなく、その人はあの人はなどと尋ねることもなくて時が過ぎてしまった。   
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(六十一)篠薄

 交際のある者どうしで、つぼねの隔てになったやり戸を共に開け、物語などして暮らしていたある日のこと、これもやはり交際のある人が宮の御方のところにおいでになるのを、度々呼び戻そうとしたのに、大切なことであれば行きましょうということなので、そこに枯れた薄があったのに付けて
 
  冬れのしののをすすき 袖たゆみ
   招きも寄せじ 風に任せむ
 
(離れたところにいるあなたに、穂も出ていないこの冬枯れの薄のように振っている袖が、もうだるいので、招き寄せもしますまい。風に任せておきましょう)
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(六十)水鳥

 御前に伏していて、聞けば池の鳥たちが夜もすがら、羽を振り声々に騒ぐ音がするので目も覚めて
 
  我がごとぞ 水のき寝に明かしつつ
   上毛の霜を払ひわぶなる
 
(鳥たちも私のように、水に浮いたような、憂い眠りの中で夜を明かしつつ、上毛の霜を払いわびているようだ)
 
と独り言に言ったのを、傍らに伏しておいでになった人が聞きつけて
 
  まして思へ 水の寝の程だにぞ
   上毛の霜を払ひわびける
 
(私のことをなおさら思うてもみてください。水の上の雁がするような、ほんの仮寝の間にも、上毛の霜を払いわびるとおっしゃるのでしたら)
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(五十九)冬の夜

 冬の空が、月もなく雪も降らないながら、星の光で、さすがにくまなくさえ渡っていたある夜を、向いの頼通よりみち殿のお住まいに伺候している人々と、物語をして明かしつつ、明ければ立ち別れ立ち別れしつつ退出したのを、あちらの人が思い出して
 
  月もなく 花も見ざりし 冬の夜の 
   心に染みて恋しきやなぞ
 
(月もなく、花も見ていないあの冬の夜が、心に染みて恋しいのはなぜでしょう)
 
自分もそう思うことなので、同じ心であるのも面白く
 
  さえし夜の氷は袖にまだ解けで
   冬の夜ながら音をこそは泣け
 
(さえ渡っていたあの夜の、涙の氷も袖の上にあり、まだ解けぬまま、あの冬の夜そのままに泣いております)
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(五十八)梅壺の女御

 翌日の夜も、月が至って明るいので、藤壺ふじつぼの東の戸を押し開けて、相応の人々で物語をしつつ月を眺めていたところ、梅壺の女御が清涼殿においでになる音が、はなはだ心憎くしとやかであるのにも、故宮の御在世の時はやはりかようにおいでになったのであろうなどと人々が言い出すのは誠に悲しいことである。
 
  天の戸を雲居ながらもよそに見て
   昔の跡を恋ふる月かな
 
(雲の上にいながらも、天の岩戸をよそに見て、昔の跡を恋う月のように、我々もまた、戸をお開けになる女御をよそに、故宮の跡を恋うているのです)
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(五十七)再び宮仕え

 私が参上し始めた例の宮においても、こうして閉じ籠もってしまったことを誠ともおぼし召さない様子を人々から聞かされ、絶えずお召しなどもある内に、取り分けあの若いめいを来させよと仰せられるので、断れずお出ししたのに引かされて私も時々出ていったのだけれども、それは、過ぎてしまったあの頃のように、おごった心に、当てにならぬ頼みをかけていたわけではないが、さすがにめいに引かれて折々御前へ出ていったのである。すると、慣れた人は何事につけてもこよなく物慣れた顔をしており、私はといえば、本当の若人でいられるはずもなく、また、頭になれるような声望もなく、時々来る客人ということで放っておかれ、漫然とそこにいたようなものだけれど、ひとえにそこを頼まねばならぬわけでもないので、自分に勝る人があっても、うらやましくもなくかえって心安く思われて、適当な折節に参上して適当なつれづれな人と話をしたりして、めでたい行事にも、面白く楽しい折々にも、かように自分は立ち交じっており、そんなところを人にあまり見られ、知られるのもはばかられようから、通り一遍には話を聞いて過ごしていたのであるけれども、内裏へのお供に私も参上した折のこと、有明の月がいたく明るいので……私の念じ申し上げている天照大神は内裏においでになるということだ。この折に参拝してみよう……と思って、卯月ばかりの、月の明るい夜に、非常に忍んで参上したところ、そこにいた女史は縁続きなので、灯籠の火が至ってほのかである中に、驚くほど老いてすごくもあるが、さすがに至ってよく物を言いつつ前に坐っているのが、人とも思われず、神が現れなさったかと思われる。
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(五十六)その後

 その後は、何となく取り紛れるようで、物語のことも絶えて思い出されず、心の様もすっかり真面目になって……なぜ、多くの年月をむなしく起き伏しし、戒行をも参詣をもしなかっただろう。例の心当てにしても、私の思っていたことは、この世にありそうなことだったろうか。光源氏ほどの人がこの世においでになるであろうか。薫大将にひそかに宇治に住まわされようはずもないこの世である。ああ物狂おしいことだ。いかに由ない心であったか……と深く感じてはなはだ真面目に過ごそうというのならまだしも、すっかりそうなるのでもなかった。
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(五十五)結婚

 こうして宮仕えに出たとなれば、それにもそのまま慣れ、俗事に紛れてはしまうにしても、ねじけた人のように思われもしない間は、おのずから世の人と同じようにも私を思い、取り扱ってくださることもあったろうに、両親も、本当に心得がなく、程なく私を家内に据えて閉じ込めてしまう。
 それでたちまち威光をきらめかす境遇になどなろうはずもなく、至って由ない、気もそぞろな私であったとはいえ、殊の外、案にたごうてしまった境遇なのである。
 
  幾千度いくちたび水の田芹たぜりを摘みしかば
   思ひしことの露もかなはぬ
 
(水田の芹を何千回と摘んだところで、思ったことはつゆもかなうことがない)
 
と独り言がこぼれるばかりであった。