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更級日記

(五十四)仏名会

 師走の二十五日、例の出仕した宮家の仏名会にお召しがあったので、その夜ばかりはと思って参上した。
 四十人余りが皆、白いきぬに濃い掻練を着て坐っている。
 宮仕えの導きをしてくれた人の陰に隠れて、人中にはちらと顔を見せ、暁には退出する。
 雪も散りつつ、はなはだ厳しくさえて、凍ったような暁方の月が、ほのかに、色濃い掻練の袖に映っているのも、誠に、ぬれた顔のごとくである。
 道すがら
 
  年は暮れ 夜は明け方の月影の
   袖に映れる程ぞはかなき
 
(年は暮れ、夜は明け、明け方の月影が、袖に映っている折ははかない)
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(五十三)前世

 ひじりなどにすら、前世のことを夢に見るのは至って難いことだそうなのに、本当にこんな、しっかりしない、はかないような心地に夢に見たことは……
 
 清水の礼堂らいどうに坐っていると、別当とおぼしい人が出てきて
「あなたは前世にこの寺の僧だったのです。また仏師でもあり、仏を極めて多く造り奉った功徳によって、在りしにも勝る素性の人と生まれましたのです。このお堂の東においでになります丈六の仏は、あなたが造ったものなのですよ。箔を押しさして亡くなったのです」
「まあひどい。それではあれに箔を押し奉りましょう」
と言えば、
「あなたが亡くなったので、別の人が箔を押し奉り、別の人が供養もしてしまいました……」
 
と見て後に、もし清水寺に懇ろにお参りしていたなら、前世にそこで仏を念じ申し上げていた力に、おのずから御利益もあったであろうに、至ってふがいないことに、参詣もせずにしまったのである。
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(五十二)父母

 十日ばかりそこにいて退出すると、父母は、炉に火をおこすなどして待っていた。
 私が車より降りるのを見るままに
「あなたがおいでになればこそ、人が見えもし、伺候する者もあったけれども、この数日は、人声もせず、前に人影も見えず、至って心細く思い煩うていたのです。あちらにばかりおいでになって、私のことはどうなさろうというおつもりですか」
と泣くのを見るのもいたく悲しい。
 翌朝も、
「今日はこうしてあなたがおいでになるので、内にも外にも人が多くて、こよなくにぎやかになりましたね」
と言って向かい合っているのも本当に悲しく、私のどこにそんな光があるのであろうと涙ぐましく聞こえる。