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更級日記

(七十八)悔恨

 もしも昔より、由ない物語、歌のことにのみ心を引かれず、夜昼心掛けてお勤めをしていたら、本当にこんな、夢に異ならぬ一生をば見ずにいたことであろう。
 初瀬にて前回
「稲荷より下さった、しるしの杉である」
と言って夢の中で投げ出された。それで、もし寺を出てそのまま稲荷に詣でていたら、こんなことにはならかったろう。
 天照大神を念じ奉れという、年来私に見えていた夢は、どなたかの乳母をして内裏あたりにおり、帝や后のお陰を被るはずになっているのだと、こんな夢判断ばかりであったけれど、そんなことは一つもかなわずにしまった。
 ただ、悲しげに見えたあの鏡の影のみに、たがうところもないのが、悲しく情けない。
 こんなふうに、何事も心のままにならずにしまう私なので、功徳をなすこともせず漂うているのみである。
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(七十七)夫帰京

 今や、何とかしてこの若い子供らを一人前にしようと思うよりほかのこともない。翌年の卯月に夫は帰京して夏秋も過ぎた。
 夫は長月二十五日より患い出して、神無月五日に、夢のように最期を見届けて思う心地は、世の中にまたと類いのあることとも思われない。
 初瀬に鏡を奉った時に、伏しまろび、泣いている影が見えたのは、このことだったのだ。
 うれしそうだった方の影のようなことは、来し方にもなかった。
 今から行く末は、あるはずもない。
 二十三日、はかなく夫を火葬にした夜、去年の秋は大いに飾り立て、丁重に扱われて付き添うて下っていったのを見やったものだのに、至って黒いきぬの上に、あの忌ま忌ましげなものを着て、車の供に泣く泣く歩み出してゆく息子を家の内から見て、あの日を思い出している心地は、およそ喩える手立てもなく、そのまま夢路に迷うても思うので、空にいる夫にも見られてしまったことだろう。
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(七十六)夫下向

 二十七日に下る。息子はこれに添うて下る。
 きぬたを打った紅のうちきに、萩襲はぎがさね狩衣かりぎぬ紫苑しおん色の綾織物あやおりもの指貫さしぬきを着て、太刀をはいて、夫の尻に立って歩み出すのだけれども、その夫も、青にび色の綾織物の指貫に狩衣を着て、廊の辺りで馬に乗った。
 騒ぐ声も辺りに満ちたまま下っていったその後は、殊の外つれづれになったけれども、非常な遠路ではないと聞くので、先々のように心細くなどは思われずにいたのに、送りの人々が、又の日に帰って、はなはだおごそかに下っておゆきになりましたなどと言ってから
「今日の暁に、はなはだ大きな人だまが飛んで京の方へ行きました」
と語るけれども、供の人などのものであろうと思う。
 忌ま忌ましいことのようには思いも寄らない。
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(七十五)信濃守

 夫のことにとかく気をもむのみで、宮仕えをしたとはいっても、元は一筋に奉仕を続けたかった……そうしていればどうなっていたであろう。時々顔を出すくらいでは、どうなるはずのものでもないようだ。
 年もいよいよ盛りを過ぎてゆくのに、若々しいようにしているのも似合わしくなく思われてくる内に、私は病がいたく重くなり、心に任せて参詣などしていたのがそれもできなくなって、宮家へたまさかに顔を出すことも絶え、長らえるべくもない心地がするので、幼子たちのことをどうにか、私が世に在る間に取り計らっておきたいものだと起き伏し悲しみ、頼みの夫の喜びの折をじれったく待ってはこいねがうのに、秋になって、待ち受けていたように任官はあったけれども、思っていた国ではなく、至って不本意で口惜しい。
 親の折より繰り返し受けた東国よりは近いように聞こえるので、やむを得ないということで、程なく下るべく準備をした。門出は、娘が新しく移った家で、葉月の十余日に行った。
 後のことは知らずその間の有り様は、物騒がしいまで人が多く、活気づいていた。