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(七十二)荒磯波

 うらうらとしてのどかな宮家で、心を同じゅうする三人ばかり、物語などして退出した又の日、つれづれなままに、二人のことが恋しく思い出されるので
 
  袖ぬるる荒磯波あらいそなみと知りながら
   共にかづきをせしぞ恋しき
 
(袖をぬらすと知りながら、荒磯の波を共にくぐった、あの頃が恋しいのです)
 
と申し上げたところ、
 
  荒磯は あされど何の甲斐なくて
   うしおにぬるる 海士の袖かな
 
(あの荒磯は、貝をあさっても何のかいもなく、海士の袖はうしおにぬれただけでした)
 
今一人は
 
  海松布見る目生ふる浦にあらずは
   荒磯の波間数ふるあまもあらじを
 
(浦に海松みるが生えていなければ、波間を数えて水にくぐる海士もないように、あなたを見ることができなければ、あの荒磯に行く人もおりますまいに)
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(七十一)たそがれの鐘

 夫のことがいとわしく思われた頃、太秦に籠もっていると、宮家で交際していたある方のもとより文があったそのお返事を申し上げようという折に、鐘の音が聞こえたので
 
  しげかりし憂き世のことも忘られず
   入相の鐘の心細さに
 
(つらいこともしきりにあった夫とのことも、忘れることができなくなります。たそがれの鐘のこの心細さには)
 
と書いてやった。
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(七十)西山の奥

 弥生の初め頃、西山の奥の某所に行ったが、人が見えることもなく、はなはだのどやかに一面かすんでいるところに、物悲しく心細く花ばかりが咲き乱れている。
 
  里遠み あまり奥なる山路には
   花見にとても人来ざりけり
 
(里に遠い故、あまり奥まったこの山路には、花見をしにも人の来ることがない)
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(六十九)思いの火

 昔はなはだ親しく交際しており、夜昼に歌など詠み交わしていた人と、本当に昔のようにではないけれど結局連絡を絶やすこともなかったというのに、越前の守の妻として下っていったらそれも絶えてしまい、音沙汰もなくなったので、辛うじて便りを尋ねて、こちらより
 
  絶えざりし思も今は絶えにけり
   こしのわたりの雪の深さに
 
(絶えることのなかった思いの火も今は絶えてしまったのですね。越州辺りの雪の深さに)
 
と言った返事に
 
  白山しらやまの雪の下なるさざれ石の
   中の思は消えむものかは
 
(白山の雪の下の小石の中の火のように、私の中の思いの火は消えるものですか)
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(六十八)心のままに

 何事も心のままにならぬこともないので、かように遠く離れたところへ参詣をしても、その道中を面白くも苦しくも見ることでおのずから心も慰み、しかも神仏は頼もしく、差し当たって嘆かわしく思われたりすることもないままに、ただ……幼子たちを早く思うように仕立ててみせよう……と思うにも年月の過ぎてゆくのがじれったく……せめて頼みの夫に人並みの喜び事でもあってくれたら……とのみ思い続けている、そんな日々も心強いものである。
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(六十七)また初瀬へ

 また初瀬に詣でてみれば、初めてのときよりは格別に心強い。
 ところどころで饗応きょうおうなどされてとっとと行くこともできない。
 山城の国は祝園ほうその小楢こならの森など、紅葉が至って美しい折であった。
 初瀬川を渡るにも
 
  初瀬川立ち返りつつ訪ぬれば
   杉のしるしもこの度や見む
 
(初瀬川に返すこの波のように繰り返し訪ねたのだから、この度はあの杉のしるしをも見るでしょうか)
 
と思うのも至って頼もしい。
 三日そこにいて退出したところ、例の奈良坂の都側にある小家などには、この度は至ってともがらも多いので宿れそうになく、野中に仮初めにいおりを作って私らを据えたので、従者はただ野にいて夜を明かす。
 草の上にむかばきなどを敷いて、上にむしろを敷いて、至って粗末に夜を明かす。
 頭もじっとりするほど露が置いている。
 暁方の月は本当に澄み渡り、喩えようもなく美しい。
 
  行方なき旅の空にも後れぬは
   都にて見し有明の月
 
(当てどない旅の空にあっても後れてこないものは、都で見ていた有明の月だ)
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(六十六)また石山へ

 二年ばかりしてまた石山に籠もっていると、夜もすがら雨がひどく降るのである。
 旅にあると雨は至っていとわしいものだと、それを聞いてしとみを押し上げて見れば、有明の月が、谷の底さえ曇りなく見えるほど澄み渡っており、雨と聞えたのは木の根より水の流れる音であった。
 
  谷川の流れは雨と聞こゆれど
   ほかよりけなる有明の月
 
(谷川の流れは雨と聞こえるけれども、よそよりなおさら晴れ渡っている有明の月だ)
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(六十五)修行者めいて

 二三年、四五年隔てていることを次第もなく書き続ければ、そのまま続いて立ってゆく修行者めいているが、そうではなく、年月も隔たったことなのである。
 春頃、鞍馬に籠もった。
 山際が一面にかすみ、のどやかなところで、山の方より僅かに野老ところなど掘って持ってくるのも面白い。
 そこを出る道は、花も皆散り果てていたので何ということもない。
 神無月ばかりにまた詣でたけれども、道中の山の有り様はその頃の方がはなはだ勝るものなのである。
 山の端は錦を広げたようである。
 たぎり流れてゆく水は、水晶を散らすように激しく湧いたりして、どこよりも優れている。
 参着して僧坊に行き着いた折には、時雨のかかっている紅葉が類いなく見えるのである。
 
  奥山の紅葉の錦
   ほかよりも いかにしぐれて 深く染めけむ
 
(この奥山の紅葉の錦を、いかにしぐれて、よそよりも深く染めたのだろう)
 
と見やられるのである。
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(六十四)初瀬

 その翌年の神無月の二十五日、大嘗祭だいじょうさい御禊ごけいと人は言い騒ぐのに、こちらは初瀬の精進を始めていて、その日に京を出てゆくので、兄などは
「一世一代の見物で、田舎の人すら見るものを、月日も多し、そんな日に京を振り捨てて出ていったら、あまり狂おしくて、長らえての語り草にもなりそうなことだ」
などと言って腹を立てるけれども、夫は
「いかにもいかにも。それもあなたの心からでしょう」
と言って、私の言うに従っていで立たせてくれる思いやりもいとおしい。
 共に行く人々もいたく見たそうにしているのが哀れではあるけれども……見物などして何になろう。こんな折に詣でるその志を、そうはいっても仏は思ってくださるであろう。必ずそのしるしを見ることであろう……と意気込んでその暁に京を出るのに二条大路をば通っていったところ、先にはみあかしを持たせ、供の人々浄衣じょうえ姿であるのを、桟敷に移るということで数多く行き違う馬も車も、徒歩の人にも、あれは何だあれは何だと穏やかならず言って驚き、嘲笑する者どもがいる。
 良頼よしより兵衛督ひょうえのかみと申す人の家の前を過ぎれば、そこの人々も桟敷へお移りになるのであろう、門を広く押し開けて立っていて
「あれは参詣人と見えるな。世に月日も多いというのに」
と笑う中に、いかなるおもんぱかりのある人であろうか、
「一時の目を喜ばせて、それが何になるというのでしょう。いみじくも思い立たれて、必ず仏の徳を御覧になるはずの人と見えますよ。由もないことです。物見などしていないでこんなふうにこそ思い立つべきだったのです」
とまめやかに言う人が一人ある。
 道のあらわにならぬ先にと未明に出てきたので、立ち後れている人々をも待ち、本当に恐ろしくて深いこの霧が、少し晴れるまでもここにいようということで、法性寺の大門に立ち止まっていると、田舎より物見に上る者どもが、水の流れてくるように見えるや、道も全然避けあえず、物の機微など解しそうもない卑しい童子までが、よけて行き過ぎる我々の車に驚いていることは一通りでない。
 これらのことを見るにも……誠に、どうしてこんな道にいで立ったのであろう……とも思われるけれど、ひたぶるに仏を念じ奉って宇治の渡りに行き着いた。
 そこにてもなお、こちらに渡ってくる者どもが立て込んでいるので、かじを取る男どもは、舟を待つ人が数も知れぬのに心もおごった気色で、袖をまくり、顔に当てたさおに寄り掛かって、とみに舟も寄せず、口笛を吹いて見回し、至って澄ました様である。
 果てしないほどに渡れずにいてつくづくと見るに、源氏物語に宇治の宮の娘たちのことがあるけれども、いかなるところだからとそこに住ませたのであろうと知りたく思っていたところである。誠に美しいところだと思いつつようよう渡って、頼通殿の御領地の宇治殿を、中に入って見るにも……浮舟の女君はこんなところにいたのであろうか……などとまず思い出される。
 未明に出てきたので人々困憊こんぱいして、野路地やいろじというところにとどまって物を食ったりする折しも、お供の者どもが
「悪名高い栗駒くりこま山ではありませんか。日も暮れ方になったと見える。お主たち、弓矢をお取りなさい」
と言うのをいたく恐ろしく聞く。その山もすっかり越えて贄野にえのの池のほとりへ行き着いた折、日は山の端にかかってしまっている。
 こうなった以上は宿を取ろうということで、人々は別れて宿を求めるも、所が半端で、
「至って卑しげな下衆げすの小家があります」
と言うので、やむを得ぬということでそこに宿った。
 家の人々は皆、京に参ったということで、卑しい男が二人でいたのである。
 その夜も寝られはしない。
 男が出入りをして歩くのを、奥の方にいる女どもが、どうしてそんなふうに歩いておられるのですか、と問うのが聞こえてくると、
「いやこれは、心も知らぬ人を泊め奉って、釜でも引き抜かれたらどうしようかと思うて、寝られないで歩き回っているのです」
と、こちらが寝ていると思って言うのが、聞くにも本当に気味が悪くおかしい。
 翌朝早くそこを立って、東大寺に寄って拝み奉る。
 石神いそのかみは、誠に古くもなってしまったことが思いやられて無下に荒れ果てている。
 その夜、山辺やまのべというところの寺に宿って、いたく苦しいのだけれども、経を少し読み奉って休んだ夢に……
 
 はなはだやんごとなく清らかな女の人がおいでになるところへ参ったところ、風がひどく吹いてくる。
 私を見つけて、笑いを含んだまま
「どうしておいでになったのです」
と問われるので、
「どうして参らないことがありましょう」
と申せば、
「あなたは内裏にいたいのでしょう。あの女史によく相談してはどうです」
とおっしゃった……
 
と思って、うれしく頼もしくて、いよいよ念じ奉って、初瀬川などを過ぎてその夜にお寺に参着した。
 はらえなどをしてお堂に上る。
 三日そこにいて、暁には退出しようということで眠った夜に、お堂の方から
「そら、稲荷より賜った、しるしある杉ですよ」
と言って物を投げ出すようにした。そこで目を覚ましたところ夢であった。
 未明に出て、泊まるところもないので、奈良坂の都側で家を尋ねて宿った。
 これもひどい小家である。
「ここは怪しいところと見える。ゆめ寝てはなりません。慮外のことがあっても、ゆめゆめ、おびえて騒いだりなさいますな。息もしないで伏しておいでなさい」
と言うのを聞くにも本当に悩ましく恐ろしくて、夜を明かす間も千歳ちとせを過ごす心地がする。
 ようよう明けると、
「あれは盗人の家だ。あるじの女が怪しげなことをしていた」
などと言う。
 ひどく風の吹く日に宇治の渡りをして、その間にあじろの至って近くまでこぎ寄せた。
 
  音にのみ聞き渡りこし
   宇治川のあじろの波も今日ぞ数ふる
 
(長きにわたり音にのみ聞いてきた宇治川のあじろが、今日は風波をも数えるまでになった)
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(六十三)石山

 昔の自分の心の由なさをすっかり思い知って悔やまれるのみで、親に参詣に連れていかれることなどもついになかったことが、思い出されてとがめたくもなるので、今はひとえに、財力豊かになって、双葉のような我が子をも、思うように大切に育て、この我が身にも、富を三倉御蔵の山と積んであふれるばかりとなし、後の世までのことも考えておこうと思いを励まして、霜月の二十余日というのに、石山に参る。
 雪が降って道のりさえも面白いのに、逢坂の関が見えると、昔ここを越えたのも冬であったなと思い出されたその折しも、至って荒く風が吹いてくる。
 
  逢坂の関の関風吹く声は
   昔聞きしに変はらざりけり
 
(逢坂の関に風が吹く声は、昔聞いたのと変わるところもない)
 
 いかめしく造られている関寺を見るにも、まだ粗造りのお顔ばかりが見られたあの折のことが思い出されて、年月の過ぎてしまったことが感慨深くもある。
 打出うちいでの浜の辺りなども、昔見たのに変わらない。
 暮れかかる折に参着して、湯屋に下りてからお堂に上ると、人声もせず、山風が恐ろしく思われて、お勤めをし残したままにまどろんだその夢に、
「中堂より麝香じゃこうを賜りました。早くあちらへ告げなさい」
と言う人があったところで目を覚ましたので、夢だったのだと思うにも、良い夢なのであろうよと思ってお勤めをして明かす。
 又の日も、はなはだ雪が降って荒れ、宮家で交際があり私に伴っておいでになった方と物語をして心細さを慰める。
 三日そこに伺候して退出した。