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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

618

 もし神がいるならば神だけを愛すべきであり、この世の空しいものを愛してはならない。知恵の書には不敬虔な者たちの考えを載せてあるが、そのもといは、神はいないということにしかない。だからこの世のものを楽しもうと言うのである。最悪の考え方である。もし、愛すべき神がいるとしたならば、このような結論にではなくその逆に至るであろう。そうして、知恵ある者の結論はこうだ。神はいるのだから、この世のものを楽しむのはやめよう。
 それゆえ、我々を駆り立ててこの世のものに身を献げさせるものはすべて悪である。なぜならそのようなものは我々を妨げ、神を知る者には仕えさせず、知らない者には求めさせないからである。ところで我々は欲望に満ち、それゆえ悪に満ちており、それゆえ我々自身と、我々をかき立てて神以外のものに身を献げさせるすべてのものとを憎まねばならない。
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Oscar Wilde(ワイルド)

幸福な王子

 街の上、高い柱の天辺に幸福な王子の像が立っていました。全身に薄く金箔を施され、目のところには二つの明るいサファイアがあり、剣の柄には大きな赤いルビーが光っていました。
 王子は賞賛されました。「風見鶏のように美しい」芸術の趣味の良さで評判になりたがっている市議会議員の一人がこう言いました。「あまり役には立たないが」こう付け加えたのは、本当はそうではないのに、現実に疎い人物と思われるのが怖かったのです。
「どうして幸福な王子のようにできないのかねえ」常識のある母親が、月を取ってくれと泣く小さな息子に尋ねました。「何かをくれろと言って泣こうなんて幸福な王子は夢にも思いませんよ」
「随分と幸せな人がこの世界にいてよかったなあ」失意の人がこの素晴らしい像を見詰めながらつぶやきました。
「まるで天使みたいだ」明るい緋色のマントと、綺麗な白の前掛けとを着けた慈善団体の子供たちが、大聖堂から出るなり言いました。
「どうしてそうと分かるんだい」算数の先生が言いました。「見たこともないくせに」
「いや! 夢で見たんだ」子供たちがこう答えると算数の先生は眉をひそめてとても厳しい顔をしました。子供たちが夢見ることを認めていなかったのです。
 ある晩、街の上に一羽の小さな燕が飛んできました。仲間たちは六週間前にエジプトに行ってしまいましたが、この燕は後に残っていました。とても美しい一本の葦に恋をしていたからです。春先に大きな黄色い蛾を追って川の上を飛んでいる時に出会い、細い腰つきにひかれ、止まってこう話し掛けたのでした。
「愛してもいいですか」燕は言いました。要点から言いたくなったのです。葦は深々とお辞儀をしたので、周りを燕はぐるぐる回り、翼で水に触れて銀のさざ波を立てました。これが燕の求愛で、夏の間ずっと続きました。
「ばかげた恋だ」ほかの燕たちはこう言ってさえずりました。「葦には金も無し、親戚ばかり多いというのに」実際、川は葦たちでいっぱいでした。そうして仲間たちは秋になるとみんな飛んで行きました。
 皆が去ってしまうと燕は寂しくなりました。そうして恋人に飽き始めました。「あいつは会話をしようとしない。それに男たらしなのだろうか、いつも風のやつとふざけ合ったりして」燕は言いました。確かに、風が吹いてくる度に葦は実に優雅にお辞儀をするのでした。「あいつが家庭的なのは認めよう。でも俺は旅が大好きだ。妻も旅が好きでないと」燕は続けて言いました。
「私といっしょに行きませんか」ついに燕は言いました。しかし葦は首を横に振りました。自分の家にとても愛着があったからです。
「私のことをからかっていたのですね」燕は叫びました。「もうピラミッドに行ってしまおう。さようなら!」そうして飛び去りました。
 一日中飛んで夜になって街に着きました。「どこに泊まろうか」燕は言いました。「街の方で手配をしてくれているといいんだがなあ」
 それから、高い円柱の上に像があるのが目に入りました。
「あそこに泊まることにしよう」燕は叫びました。「いい場所だ。空気もいいぞ」それで燕は幸福な王子のちょうど足の間に降り立ちました。
「黄金の寝室だな」と燕は辺りを見回しながらそっと独りごち、眠りに就こうとしましたが、翼の中に頭をうずめようとしたちょうどその時、大きな水滴が落ちてきました。「なんて不思議なんだろう」燕は叫びました。「空には雲一つなく、星は澄み切って明るいのに、雨が降ってくるなんて。北ヨーロッパの気候は本当にひどい。あの葦は雨が好きだったな。だが単なるあいつの我がままだった」
 それからまた一滴落ちてきました。
「雨をしのげないなら像が何の役に立つだろう」燕は言いました。「いい煙突を探さないと」そうして飛び立つ決心をしました。
 けれども、翼を広げる前に三滴目が落ちてきました。見上げると、ああ! 何ということでしょう。
 幸福な王子の目に涙があふれ、金色の頬を伝っていました。月に照らされた顔はとても美しく、小さな燕は哀れみの気持ちでいっぱいになりました。
「どなたですか」燕は言いました。
「私は幸福な王子です」
「どうして泣いているのです」燕は尋ねました。「あなたのおかげでずぶぬれですよ」
「まだ生きていて人間の心を持っていた頃は」像は答えました。「涙というものを知りませんでした。悲しみの入り込むことの許されない安楽サンスーシ宮に住んでいたからです。昼は庭で仲間と遊び、夜は真っ先駆けて大広間で踊りました。庭の周りには高い壁が巡っていましたが、その向こうに何があるのか聞いてみようとは思いませんでした。身の回りのものすべてがとても美しかったからです。廷臣たちは私を幸福な王子と呼びました。喜びこそが幸福ならば私は本当に幸福でした。そのようにして私は生きて死にました。死ぬと今度はこんな高いところに据えられましたので、街の醜さと惨めさがすべて見えるようになりました。心臓は鉛でできていますが、私は泣かずにいられません」
「なんだ、純金じゃないのか」と燕は心の中で思いました。燕は礼儀正しかったので失礼なことは口に出しませんでした。
「遠く」像は歌うように小声で続けました。「遠くの小さな通りに貧しい家があります。窓が一つ開いていてそこから、女の人が一人、テーブルに着いているのが見えます。顔は痩せこけて、手はざらざらして赤く、針を刺した傷があります。お針子なのです。女王様の侍女の中でもいちばんの美人が、次の宮廷舞踏会で着るはずのサテンのガウンに、この人は時計草とけいそうの花を刺繍しているのです。部屋の片隅のベッドには坊やが病気で横になっています。熱を出してオレンジを欲しがっています。母親には川の水しかやるものがなくて、坊やは泣いています。燕よ燕よ燕さん、私の剣の柄からルビーを持って行ってくれませんか。台座に足が据え付けられて動くことができません」
「エジプトで仲間が待っています」燕が言いました。「ナイル川を飛び回りながら大きな蓮の花に話し掛けています。やがて大王の墓の中で眠りに就くでしょう。王様は彩られた棺の中に入っておいでになるのです。黄色の亜麻布に包まれて香辛料でミイラにされています。首には薄緑の翡翠の輪を掛け、手は枯れ葉のよう」
「燕よ燕よ燕さん」王子は言いました。「一晩だけここに泊まって私の使者になってくれませんか。坊やは喉が渇いて仕方なく、母親はとても悲しんでいます」
「人間の男の子なんて気に入りそうもありませんね」燕は答えました。「去年の夏、川のほとりで暮らしていた時、粉屋のところの腕白小僧が二人で来ていつも石を投げてきました。勿論当たることなどありません。我々燕は飛ぶのが上手。そのうえ私の家系は機敏なことで有名ですのでね。それでもあれは無礼の印でした」
 けれども幸福な王子がひどく悲しそうな顔をするので小さな燕は済まなく思いました。「ここはとても寒いですね」燕は言いました。 「でも一晩だけここにいてあなたの使者になってあげましょう」
「ありがとう、燕さん」王子は言いました。
 そこで燕は王子の剣から例の大きなルビーを取り外して嘴にくわえ、町の屋根屋根を飛び越していきました。
 大理石の白い天使が彫刻された大聖堂の塔を通り過ぎました。宮殿の傍を通ると舞踏の音が聞こえました。美しい乙女が恋人といっしょにバルコニーに出てきました。「なんてすばらしい星だろう。なんてすばらしい愛の力だろう」男は女に言いました。
「舞踏会にドレスが間に合うといいのだけれど」女は答えました。「時計草の花の刺繍を注文しましたの。でもお針子が怠け者でねえ」
 川の上を通ると、船のマストにランタンをつるしてあるのが見えました。ゲットーの上を通ると、ユダヤ人のお年寄りたちがお互いに値切りながら銅の秤でお金を量るのが見えました。ついにあの貧しい家にやって来て中をのぞき込みました。坊やはベッドの上で熱っぽく寝返りを打っていましたが、母親は疲れ果てて眠っていました。中に入ってテーブルの上、母親の指ぬきの横にあの大きなルビーを置きました。それからベッドの周りをそうっと飛び巡り、翼で坊やの額をあおいでやりました。「なんて涼しいんだろう」坊やは言いました。「きっと良くなっているんだ」そして気持ち良く眠りに落ちました。
 それから燕は幸福な王子のところへ飛んで帰り、自分のしたことを話しました。「不思議だなあ」燕は言いました。「こんなに寒いのにとても暖かくなったような気がする」
「それは良い行いをしたからです」王子は言いました。小さな燕は何か考え始めましたがやがて眠ってしまいました。何かを考えるといつも眠くなったのです。
 夜が明けると川まで飛んでいって水浴びをしました。「実に驚くべき現象だ」橋を渡りながら鳥類学の教授が言いました。「冬に燕だなんて!」そして地元の新聞に長い記事を書きました。それを誰もが引き合いに出しましたが知らない単語ばかりでした。
「今夜こそエジプトに行くんだ」燕は言いました。期待に胸を膨らませていたのです。燕は街の記念碑の類いをすべて回り切ってしまうと教会の尖塔の天辺に長いこと止まっていました。行く先々で雀たちが「見慣れないお方ですけれど上品なこと!」とさえずり合ったので燕はとてもうれしくなりました。
 月が昇ると燕は幸福な王子のもとへ戻りました。「何かエジプトで私に頼む用事はありませんか」燕は叫びました。 「ちょうど出発するところなんです」
「燕よ燕よ燕さん」王子は言いました。「もう一晩だけいっしょにいてくれませんか」
「仲間がエジプトで待っています」燕は答えました。「明日には第二急湍まで飛んでいることでしょう。河馬はパピルスの茂みに寝そべり、大きな御影石の玉座にはメムノン神が座っています。メムノンは一晩中星を眺めていて、明けの明星が輝くと喜びの声を上げ、やがて沈黙します。正午になると黄色い獅子たちが水辺に降りて水を飲みます。その目は緑柱石のよう、咆哮は急湍のとどろきより大きいのです」
「燕よ燕よ燕さん」王子は言いました。「街のはるか向こう、屋根裏部屋に若い男がいるのが見えます。紙の散らばった机に寄り掛かり、傍の水飲みで菫が一束枯れています。髪は茶色く縮れ、唇は柘榴のように赤く、大きな夢見る目をしています。劇場の監督のために芝居を仕上げようとしていますが寒くてもう書くことができません。暖炉に火もなく、空腹で気も遠くなりそうです」
「もう一晩ここで待ってあげましょう」本当に心の優しかった燕は言いました。「その人にもルビーを一つ上げましょうか」
「悲しいかな! もうルビーはありません」王子は言いました。「残っているのは私の両の目だけ。千年前にインドから運ばれてきた珍しいサファイアです。一つ抜き取って男のところへ持っていきなさい。男はそれを宝石屋に売って食べ物や薪を買い、芝居を完成させることでしょう」
「王子様」燕は言いました。「そんなこと、私にはできません」そうして泣き出しました。
「燕よ燕よ燕さん」王子は言いました。「私の命令どおりになさい」
 そこで燕は王子の目を一つくりぬくと屋根裏部屋に飛んでゆきました。屋根に穴が開いていたので入るのはたやすく、部屋の中へまっしぐらに進んでゆきました。頭を抱えた若者には鳥の羽ばたきも聞こえず、顔を上げてみると美しいサファイアが枯れた菫の上に載っているのでした。
「俺も認められ始めたな」男は叫びました。「誰か私を崇拝してくれる人からだ。これで芝居を仕上げられるぞ」男はとても幸せそうでした。
 次の日、燕は港まで飛んでいきました。大きな船の、そのマストの上に止まっていると、船倉から水夫たちが大きな箱を幾つもロープで引っ張り出すのが見えました。「よいと引け!」と叫びながら箱を一つ一つ引き上げてゆくのです。「僕、エジプトに行くんだよ!」燕も大声を出しましたが、誰も気に掛けませんでした。月が昇ると燕は幸福な王子のところへ飛んで帰りました。
「いとま乞いに参りました」と声を張り上げました。
「燕よ燕よ燕さん」王子は言いました。「もう一晩いっしょにいてくれませんか」
「もう冬です」燕は答えました。「エジプトでは日の光が緑の椰子の上に温かく注ぎ、鰐たちは泥に寝そべってのんびり周りを眺めています。仲間はバールベック神殿に巣を作り、それを見たピンクに白の鳩たちがクークー鳴き交わしています。王子様、もうお別れしなければなりません。あなたのことは決して忘れません。来年の春はきっと美しい宝石を二つ持ち帰り、手放しておしまいになった分の代わりといたします。ルビーは赤い薔薇より赤く、サファイアは大海原のように青いのを」
「下の広場に」幸福な王子は言いました。「マッチ売りの少女が立っています。マッチを溝に落として全部駄目にしてしまったのです。お金を持って帰らないときっとお父さんにぶたれます。それで泣いているのです。靴も靴下もなく、小さな頭もあらわになっています。私の目をもう一つくりぬいてその子にお渡しなさい。そうすればお父さんにぶたれないでしょう」
「もう一晩だけ御いっしょしましょう」燕は言いました。「けれど目をくりぬくことはできません。もう目が見えなくなってしまいます」
「燕よ燕よ燕さん」王子は言いました。「私の命令どおりになさい」
 そこで燕は王子のもう片方の目を抜き取って飛び降りました。マッチ売りの少女を追い越して急降下し、宝石を手の中に滑り込ませたのです。「なんて綺麗なガラス玉でしょう!」少女はこう叫ぶと笑いながら家に走り帰りました。
 それから燕は王子のもとに戻ってきました。「もう目が見えなくなりましたね」燕は言いました。「だからずっとお傍にいます」
「いいえ燕さん」かわいそうな王子は言いました。「あなたはエジプトに行くのです」
「ずっとお傍にいます」燕はこう言って王子の足元で眠りました。
 明くる日はずっと王子の肩に止まっていて、異国の地で見たことを聞かせてあげました。赤い朱鷺はナイルの岸に長い列を成して立ち、嘴で金魚を捕まえること。スフィンクスはこの世界と同じくらい長生きで、砂漠に住んでいて何でも知っていること。商人たちは駱駝たちの横をゆっくりと歩き、琥珀の数珠を手にしていること。月の山脈の王は黒檀のように真っ黒で、大きな水晶を崇拝していること。一匹の緑の大蛇が椰子の木の中で眠り、二十人の僧侶が蜂蜜のお菓子を食べさせていること。ピグミーたちは平たく広い葉っぱに乗って大きな湖を渡り、いつも蝶たちと戦争をしていること。こんなことを話してあげたのです。
「燕さん」王子は言いました。「あなたは驚くようなことばかり教えてくれますが、何より驚くのは人々の苦しみです。不幸ほど大きな謎はありません。燕さん、我が町の上を飛んで、そこで見たことを話してください」
 そこで燕が大きな町の上を飛んでゆくと、お金持ちが美しい家で陽気に騒ぎ、乞食たちが門の前に坐り込んでいるのが見えました。暗い路地に飛び込むと、飢えた子供たちが白い顔をして真っ黒い路地をぼんやり眺めているのが見えました。橋のアーチの下で二人の少年が抱き合って暖をとろうとしていました。「お腹がすいたなあ」二人は言いました。「ここで寝てはいかん」番人が叫ぶと二人は雨の中にさまよい出ました。
 それから燕は王子のところへ戻り、見てきたことを話しました。
「私は金箔で覆われています」王子は言いました。「それを一枚一枚はがして貧しい人々に与えるのです。生きている人は、黄金があれば幸せになれるといつも考えているものです」
 燕は金箔を一枚一枚はがしてゆき、幸福な王子はすっかりくすんだ灰色になりました。その金箔を一枚一枚、貧しい人々に与えると、子供たちの顔は赤みを増し、通りで笑って遊び始めました。「今はパンがあるぞ!」と叫びました。
 そして雪が降り、雪の後に霜が置きました。通りは銀でできているように見え、明るく輝いていました。水晶の短剣のような氷柱が家々の軒先から長く垂れ下がり、誰も彼も毛皮を着て歩き、小さな男の子たちは緋色の帽子をかぶって氷の上でスケートをしました。
 かわいそうな小さな燕はますます寒がりましたが王子のもとを離れることはできませんでした。あまりに王子を愛していたからです。パン屋の見ていない隙にパン屋の外でパンくずを拾い、体を温めようとしては羽をばたつかせました。
 けれどもついに、自分は死ぬのだと悟りました。燕には王子の肩にもう一度飛び上がるだけの力しか残っていませんでした。「さよなら王子様!」燕はつぶやきました。「手にキスしてもいいですか」
「ついにエジプトへ行くんだね。燕さん」王子は言いました。「長居をし過ぎましたね。さあこの唇にキスをしてください。あなたを愛しているのですから」
「私が行くのはエジプトではありません」燕は言いました。「死の家に行くのです。死は眠りの兄弟でしょうね」
 そうして幸福な王子の唇にキスし、落ちて足元で死にました。
 その時、像の中で不思議な音が、何かが壊れたように響きました。鉛の心臓が真っ二つに割れていました。確かに恐ろしく硬い霜の日でした。
 翌朝早く、市長が市議会議員たちと下の広場を歩いていました。円柱の前を通り過ぎる時、市長は像を見上げました。「おやまあ! 幸福な王子のなんと見すぼらしいこと!」と言いました。
「なんと見すぼらしい!」いつでも市長に賛成する市議会議員たちは叫びました。そして近寄って見てみました。
「ルビーは剣から落ちているし、目もなければもう金色でもない」市長は本当にこう言ったのです。「乞食同然じゃないか!」
「乞食同然ですね」市議会議員たちが言いました。
「それに足元には死んだ鳥まで!」市長は続けました。「まったく、鳥はここで死すべからずという布告を出さんといかんな」そうして市の書記はその提案を書き留めました。
 それから溶鉱炉で像を溶かしましたが、市長は市議会を開いて、その金属を次に何に使うか決めようとしました。「勿論別の像を作らねばならん」市長は言いました。「それも私の像でなければ」
「私の像だ」市議会議員たちは口々に争いました。そして、私が最後に聞き及んだ時、まだ口論は続いているようでした。
「なんと不思議な!」鋳物職人の監督は言いました。「この割れた鉛の心臓め、炉の中で溶けやしない。捨てるしかないな」そこで職人たちは、死んだ燕も横たわっていた塵の山に、それを投げ捨てました。
「この町で最も貴いものを二つ持ってきなさい」神が天使の一人に言いました。天使は神のもとへあの鉛の心臓と、あの死んだ鳥とを持ってまいりました。
「よくぞ選んでくれました」神は言いました。「天国の我が園でこの小鳥には永久に歌を歌わせましょう。黄金の我が都で幸福な王子には私を賛美させましょう」
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William Butler Yeats(イェイツ)

Under Ben Bulben(ベンバルベンの麓に)

I
 
Swear by what the Sages spoke
Round the Mareotic Lake
That the Witch of Atlas knew,
Spoke and set the cocks a-crow.
 
Swear by those horsemen, by those women,
Complexion and form prove superhuman,
That pale, long visaged company
That airs an immortality
Completeness of their passions won;
Now they ride the wintry dawn
Where Ben Bulben sets the scene.
 
Here's the gist of what they mean.
 
II
 
Many times man lives and dies
Between his two eternities,
That of race and that of soul,
And ancient Ireland knew it all.
Whether man dies in his bed
Or the rifle knocks him dead,
A brief parting from those dear
Is the worst man has to fear.
Though grave-diggers' toil is long,
Sharp their spades, their muscle strong,
They but thrust their buried men
Back in the human mind again.
 
III
 
You that Mitchel's prayer have heard
`Send war in our time, O Lord!'
Know that when all words are said
And a man is fighting mad,
Something drops from eyes long blind
He completes his partial mind,
For an instant stands at ease,
Laughs aloud, his heart at peace,
Even the wisest man grows tense
With some sort of violence
Before he can accomplish fate
Know his work or choose his mate.
 
IV
 
Poet and sculptor do the work
Nor let the modish painter shirk
What his great forefathers did,
Bring the soul of man to God,
Make him fill the cradles right.
 
Measurement began our might:
Forms a stark Egyptian thought,
Forms that gentler Phidias wrought.
 
Michael Angelo left a proof
On the Sistine Chapel roof,
Where but half-awakened Adam
Can disturb globe-trotting Madam
Till her bowels are in heat,
Proof that there's a purpose set
Before the secret working mind:
Profane perfection of mankind.
 
Quattrocento put in paint,
On backgrounds for a God or Saint,
Gardens where a soul's at ease;
Where everything that meets the eye
Flowers and grass and cloudless sky
Resemble forms that are, or seem
When sleepers wake and yet still dream,
And when it's vanished still declare,
With only bed and bedstead there,
That Heavens had opened.
 
mmmmmmmmmmmmGyres run on;
When that greater dream had gone
Calvert and Wilson, Blake and Claude
Prepared a rest for the people of God,
Palmer's phrase, but after that
Confusion fell upon our thought.
 
V
 
Irish poets learn your trade
Sing whatever is well made,
Scorn the sort now growing up
All out of shape from toe to top,
Their unremembering hearts and heads
Base-born products of base beds.
Sing the peasantry, and then
Hard-riding country gentlemen,
The holiness of monks, and after
Porter-drinkers' randy laughter;
Sing the lords and ladies gay
That were beaten into the clay
Through seven heroic centuries;
Cast your mind on other days
That we in coming days may be
Still the indomitable Irishry.
 
VI
 
Under bare Ben Bulben's head
In Drumcliff churchyard Yeats is laid,
An ancestor was rector there
Long years ago; a church stands near,
By the road an ancient Cross.
No marble, no conventional phrase,
On limestone quarried near the spot
By his command these words are cut:
 
mmmmmCast a cold eye
mmmmmOn life, on death.
mmmmmHorseman, pass by!

 
アトラスの魔女も知っていた
あのマレオティス湖の周りで
賢者たちが話したことに掛けて誓え。
話したこと、雄鶏に鳴かせたことに掛けて。

面差し、姿も超人的な、
あの騎手たちに掛けて、女たちに掛けて誓え。
情熱の完全さで勝ち取った
不滅性を見せびらかしている
青白い、顔の長い一団に掛けて。
今、冬の夜明けに騎乗する。
ベンバルベンを舞台に。

彼らの思うところのあらましはこうだ。
 

 
何度も人は
種族と魂との
二つの永遠の間を生きては死ぬ。
古代のアイルランドはすべて知っていた。
ベッドの上で死のうが
ライフルで撃たれて死のうが
大切な人とのつかの間の別れだけが
精々人の恐れるべきことだ。
たとえ墓掘り人の労苦は長く、
そのすきは鋭く、筋肉は強くとも、
埋葬しているその人を
人間の心の中に再び押し戻しているだけのことだ。
 

 
ミッチェルの祈りが
「主よ、我々の時代に戦争を遣わしたまえ!」と聞こえた者は
知る。すべての言葉が語られ、
男が狂ったように戦っているとき、
長いこと見えなかった目から何かが落ち、
不完全だった心が満たされ、
一瞬安心して立ち、
声を出して笑い、心が安らかになることを。
どれほど賢明な男でも、
運命を達成し
自分の仕事を知りあるいは伴侶を選ぶ前には
ある猛烈さで殺気立つことを。
 

 
詩人よ、彫刻家よ、仕事を成せ。
偉大な先人たちの成したことから
当世風の画家を逃れさせるな。
人間の魂を神のみもとに近付け、
揺り籠を正しく満たすようにせよ。
 
測定することが我々の力の始まりだった。
厳格だったエジプト人の考えた形。
彼らより穏やかだったフェイディアスの作った形。
 
ミケランジェロは
システィーナ礼拝堂の屋根に証拠を残した。
半ば目を覚ましたそのアダムが、
世界中を旅する奥方の
はらわたを掻き乱して熱くできるのは、
秘密に働いている心の手前に
定められた目的がある証拠だ。
人類の不敬なる円熟。
 
千四百年代クワトロチェント
神や聖人の背景に、
魂の安らぐ庭を描いた。
眠りつつ覚めつつまだ夢を見ている時に
存在してあるいは見えているような形に、
草花や、曇りのない空など、
目に映るもののすべては似て、
それが消え、
寝台だけがそこにありながら、
天開てんひらけたりとなおもその人が述べるような庭を。
・・・・・・・流れは巡り続ける。
その大きな夢が去った時、
カルバートとウィルソン、ブレイクとクロードが
神の民に休息を用意した、
とはパーマーの文句だが、そののち
私たちの考えは混乱に陥った。
 

 
アイルランドの詩人たちよ、自らの業を学び、
何であれよくできたものを歌い、
今育ちつつある、
爪先から頭のてっぺんまで型崩れのした
忘れっぽい心や頭を、
浅ましい寝床に生まれた浅ましい者と軽蔑せよ。
農夫を歌い、それから、
手ひどく騎乗する田舎紳士たちを、
僧侶たちの神聖さを歌い、次いで
黒ビール飲みの乱痴気騒ぎを歌い、
七つの英雄的な世紀を通じて
打擲され土に帰った
不真面目な貴族たちを歌え。
昔日に心を向けよ。
来るべき日に我々が
まだ不屈のアイルランド人であるために。
 

 
ベンバルベンのはげ山のとっぱなの麓、
ドラムクリフの墓地にイェイツは眠る。
昔、先祖の一人が教区牧師だった。
近くに教会がある。
道端に古い十字架がある。
大理石もなく、紋切り型もなく、
近場で切り出した石灰岩に
彼の厳命によってこの言葉を刻む。
 
・・生にも死にも
・・冷たい目を向けよ。
・・騎手よ、通り過ぎよ!
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William Butler Yeats(イェイツ)

Sailing to Byzantium(ビザンチウムへの船出)

I

That is no country for old men. The young
In one another's arms, birds in the trees,
—Those dying generations—at their song,
The salmon-falls, the mackerel-crowded seas,
Fish, flesh, or fowl, commend all summer long
Whatever is begotten, born, and dies.
Caught in that sensual music all neglect
Monuments of unageing intellect.

II

An aged man is but a paltry thing,
A tattered coat upon a stick, unless
Soul clap its hands and sing, and louder sing
For every tatter in its mortal dress,
Nor is there singing school but studying
Monuments of its own magnificence;
And therefore I have sailed the seas and come
To the holy city of Byzantium.

III

O sages standing in God's holy fire
As in the gold mosaic of a wall,
Come from the holy fire, perne in a gyre,
And be the singing-masters of my soul.
Consume my heart away; sick with desire
And fastened to a dying animal
It knows not what it is; and gather me
Into the artifice of eternity.

IV

Once out of nature I shall never take
My bodily form from any natural thing,
But such a form as Grecian goldsmiths make
Of hammered gold and gold enamelling
To keep a drowsy Emperor awake;
Or set upon a golden bough to sing
To lords and ladies of Byzantium
Of what is past, or passing, or to come.
   一
 
そこは老人のための国ではない。抱き合う
若者たち、木々の上の鳥たち、
││代々の死にゆく者たち││の歌声、
鮭のいる滝、鯖の群がる海、
魚、獣、鳥などが夏の間中、
父母から生まれ、死んでいくものすべてを賞讃する。
その官能的な音楽に捕らえられ、すべての者は
老いることのない知性の記念碑を無視する。
 
   二
 
老いた人間はちっぽけなもので、
棒に掛かったぼろの上着にすぎない。
魂が手を叩いて歌い、もっと大きな声で歌う度に、
死を免れぬその衣裳をぼろにするくらいでなければ。
また歌の学校があるわけもなく、
自分自身の荘厳さの記念碑を研究するだけだ。
それだから私は海を渡って
聖なる都ビザンチウムに来た。
 
   三
 
壁の金のモザイクの中にあるように
神の聖なる火の中に立つ賢者たちよ、
聖なる火から出て糸車のごと回り、
私の魂のために歌の教師となれ。
私の心を焼き尽くせ。欲望に病み、
一個の死にゆく獣に縛り付けられて、
自分が何者かも知らぬ心を。そうして
私を取り集め、永遠の作り物とせよ。
 
   四
 
一旦自然を離れては
私はこの体を自然物にかたどることはない。
むしろギリシアの金工が、
槌で打った金と金琺瑯とで、
うとうとしている皇帝を目覚めさせるために作ったもの、
または、過去か現在か未来かを
ビザンチウムの貴族たちに歌って聞かせるために
金の枝の上に置いたものにかたどろう。


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William Butler Yeats(イェイツ)

Easter, 1916(一九一六年の復活祭)

 I have met them at close of day   
Coming with vivid faces
From counter or desk among grey   
Eighteenth-century houses.
I have passed with a nod of the head   
Or polite meaningless words,   
Or have lingered awhile and said   
Polite meaningless words,
And thought before I had done   
Of a mocking tale or a gibe   
To please a companion
Around the fire at the club,   
Being certain that they and I   
But lived where motley is worn:   
All changed, changed utterly:   
A terrible beauty is born.

That woman's days were spent   
In ignorant good-will,
Her nights in argument
Until her voice grew shrill.
What voice more sweet than hers   
When, young and beautiful,   
She rode to harriers?
This man had kept a school   
And rode our wingèd horse;   
This other his helper and friend   
Was coming into his force;
He might have won fame in the end,   
So sensitive his nature seemed,   
So daring and sweet his thought.
This other man I had dreamed
A drunken, vainglorious lout.
He had done most bitter wrong
To some who are near my heart,   
Yet I number him in the song;
He, too, has resigned his part
In the casual comedy;
He, too, has been changed in his turn,   
Transformed utterly:
A terrible beauty is born.

Hearts with one purpose alone   
Through summer and winter seem   
Enchanted to a stone
To trouble the living stream.
The horse that comes from the road,   
The rider, the birds that range   
From cloud to tumbling cloud,   
Minute by minute they change;   
A shadow of cloud on the stream   
Changes minute by minute;   
A horse-hoof slides on the brim,   
And a horse plashes within it;   
The long-legged moor-hens dive,   
And hens to moor-cocks call;   
Minute by minute they live:   
The stone's in the midst of all.

Too long a sacrifice
Can make a stone of the heart.   
O when may it suffice?
That is Heaven's part, our part   
To murmur name upon name,   
As a mother names her child   
When sleep at last has come   
On limbs that had run wild.   
What is it but nightfall?
No, no, not night but death;   
Was it needless death after all?
For England may keep faith   
For all that is done and said.   
We know their dream; enough
To know they dreamed and are dead;   
And what if excess of love   
Bewildered them till they died?   
I write it out in a verse—
MacDonagh and MacBride   
And Connolly and Pearse
Now and in time to be,
Wherever green is worn,
Are changed, changed utterly:   
A terrible beauty is born.
私は一日の終わりに、
生き生きとした顔で
十八世紀の灰色の家々の
帳場や机からやってくる人々に出会った。
私はうなずきながら、
あるいは、丁寧で意味のない言葉を掛けながら通り過ぎたり、
しばらくの間、
丁寧で意味のない言葉を掛けながらとどまったりして、
クラブの暖炉の周りにいる
仲間を喜ばせようと
あざとい話や冗談を
考えたりした。
太鼓持ちの住みかに
彼らも私も住んでいるに違いないと思っていた。
すべてが変わり、すっかり変わってしまった。
恐ろしいほどの美が生まれる。
 
あの女は
昼間は無知な善意で過ごし、
夜は議論した。
声が枯れるまで。
若く美しかった彼女が
猟犬を引き連れ馬に乗っていたあの時の声よりも
優しい声はなかったほどなのに。
あの男は学校を経営していて、
翼の生えた我々の馬に乗った。
その助手であり友人だったもう一人の男も
力を発揮しつつあった。
名声は結局得損なった。
性格は繊細に、
思想は大胆で優しく見えたのに。
このもう一人の男を私は
酔っ払いのうぬぼれた野郎と夢想していた。
私の大切な人たちに
非常にひどい仕打ちをしていた男だったが、
私はこの歌に登場させる。
くだけた喜劇の中に持っていた役を
彼もまた放棄し、
自分の番になって
彼もまたすっかり姿を変えた。
恐ろしいほどの美が生まれる。
 
夏も冬も目的を一つにしていた
心と心とは魅入られて
一つの石になってしまい、
水の流れを煩わすようだ。
道からやってくる馬、
騎手、かぶさる雲から雲へと
連なる鳥、
刻々とこれらは変化する。
流れに映る雲の影は
刻々と変化する。
馬の蹄がみぎわを滑り、
馬はその中を跳ねる。
足の長い水鶏くいなの雌が飛び込み、
雄に呼び掛ける。
刻々とこれらは生きている。
すべての中にあの石がある。
 
長過ぎる犠牲は
心の石となる。
いつになったら尽きるだろう。
それは天の役目だ。私たちの役目は
名前と名前をつぶやくことだ。
子の野放図な手足に
ようやく眠りが訪れた時、
母親が名前を呼んでやるように。
今が日暮れでなくて何であろう。
いや、夜でさえない。死だ。
結局、必要のない死だったのだろうか。
イングランドもその行い、言ったことすべてに
信義を守るかもしれないのだから。
人々の夢を私たちは知っている。
人々が夢を見て死んだことを知れば十分だ。
そして、過剰な愛が
彼らを死ぬまで惑わしていたとしてそれが何だろう。
それを私は一つの詩に書き出す││。
マクドナ、マクブライド、
コノリー、ピアースは
今もそしてこれからも、
緑を身に着ける者たちの住みかのどこでも
姿を変えられ、すっかり変えられてしまった。
恐ろしいほどの美が生まれる。
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竹取物語

竹取物語

古活字十行甲本の翻刻(以下サイト)に句読点等を施し、一部を訂した。
https://taketori.himegimi.jp/kokatuji_10A.html

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源氏物語

梅枝

東宮の御元服、明石の姫君の裳着を如月に控える。
睦月下旬、源氏、たき物を合わせる。
 
如月十日、蛍兵部卿宮、六条院に参る。
 
朝顔の前斎院、たき物を源氏に送る。
お方々、たき物を合わせて源氏に奉る。蛍兵部卿宮、判じる。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
終夜、物の音を合わせて遊ぶ。
 
明石の姫君、裳着。
 
二十余日、東宮の元服。
 
明石の姫君の入内、四月に延引。
調度、草子等のこと。
蛍兵部卿宮、六条院に参る。
人々、手蹟について物語。
蛍兵部卿宮、嵯峨の帝の古万葉集、延喜の帝の古今集等を召し寄せる。
 
内大臣(かつての頭中将)雲居雁の姫君のことを思い煩う。
 源氏の太政大臣は、いぶかしくも落ち着かない様子をしているものだと若君のことでお思い悩みになって
「あの人のことを諦めてしまったのなら、右大臣や、中務の宮などが意中をほのめかしていらっしゃるようだから、どちらにでも思い定めなさい」
とおっしゃるけれど、物もおっしゃらず、かしこまった御様子で控えておいでになる。
「こういうことは、畏れ多い父君ちちぎみの教えにすら従うつもりにならなかった私など口を出すのもおかしいのだけれど、今思い合わせるとあの教えこそ永代えいたいの手本となるものでしたよ。あなたのように寂しそうにしていると、思うところでもあるのかと世人も推し量るものですが、宿世に引かれて、世の常の人に結局なびいたりしては、竜頭蛇尾で人目に悪いことですよ。望みを高く持っても、心のままにはならず、限りがあることですし、好き者めいた心を保っていてはなりません。私も子供の頃より宮中で育って『この身を思いどおりにできずなんと窮屈な。いささかでも罪があれば、軽々しいとのそしりを負うだろう』とはばかっていてすらなお、好き者のとがを負うて世の中からたしなめられました。位も低くこれということもない身の程だからと油断して、心のままの振る舞いなどをなさいますな。心がおのずからおごってきても落ち着かせる理由になる人がない時には、女のことで、優れた人が、昔も、みだりがわしいことになったためしがあるのです。不相応なことに心を寄せて、人の浮き名をも立て、自らも恨みを負うたことが、ついのほだしとなったのですね。思い違いをしていて連れ添うた人で、自分の心にかなわず、忍ぶことの難しい節があったとしても、なお思い返すよう自分の心を修練して、あるいは相手の親の心のために譲り、あるいは、親がいなくて困窮していたとしても、人柄の気遣わしい人ならばその小さな美点に寄せて連れ添いなさい。ついには自分のため、人のためになるはずのそうした心こそ深いものであるはずです」
などと、のどかでつれづれな折にはこうした心遣いをのみお教えになる。こうした御諫言についても、戯れにもほかの人の心を慕うのは哀れなことだと、人に言われるまでもなくそう思われる。
 女も、父の内大臣の常より殊に悲しんでいらっしゃる御様子に、恥ずかしくいとわしい我が身よと物思いに沈んでいらっしゃるけれど、表面は何事もないように鷹揚に外を眺めて過ごしておいでになる。文は、男君が思い余るような折々、心からいとしいというふうにお書きになる。
 
 たが誠をか
 
(今更ほかに誰の誠を頼めようか)
 
と思いながらも、慣れた人なら強いて男の心を疑うところだが、この人はいとしく御覧になる折が多い。
「中務の宮が、太政大臣の御内意を承って、そういうことでまとまったそうですよ」
とある人が申したので、内大臣は、打って変わって胸も塞がったのであろう、忍んで
「こんなことを聞いたのですが、あの人のお心も不人情なものですね。あの父上が、口を入れてもこちらが毅然としていたもので方針を変えられたのでしょう。ここでもし心弱くなびいたら人笑わせなことでしょうね」
などと、涙を浮かべておっしゃると、姫君は、本当に恥ずかしくて、何とはなしに涙がこぼれるので、間が悪くて後ろを向いておいでになるのが、可憐なことこの上ない。「どうしようか。それでも、進んで意向を探ってみようか」などと内大臣が思い乱れつつお立ちになった余韻もそのままに、姫君は端近く物を思うておいでになる。「不思議なことに、心より先に涙の方が表れ出てしまったことだ。お父様にはどう思われたことだろう」などと様々に思うて坐っておいでになると文があり、さすがに御覧になるのである。細やかに
 
 つれなさは憂き世の常になりゆくを
 ・・忘れぬ人や人に異なる
 
(つれなさが二人の仲の常になってもあなたを忘れぬ私という人は世の人とは異なるのでしょうか)
 
とある。あのことについては僅かばかりもほのめかさないつれなさよとお思い続けになるにもつらいけれど
 
 限りとて忘れ難きを忘るるも
 ・・こや世になびく心なるらむ
 
(これを限りと、忘れ難いはずの私のことを忘れてしまうのも、これもまた、時の勢いになびく心なのでしょう)
 
とあるのを、不思議なことだと、放ってもおかれず、疑いながら見ておいでになる。(梅枝終)
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源氏物語

少女(三)

五節の舞のこと。
葵上の息子の君、直衣を許されて参内。
源氏、文を筑紫の五節に遣わす。
 そのまま五節の舞姫を皆めて宮仕えをさせようという御内意も主上にはあったのだけれどこの度は退出させて、近江守良清の娘は唐崎の、摂津守惟光のは難波のはらえをするというので、競うように退出してしまう。按察使大納言は、娘を格別な扱いで参上させるつもりでいる由を奏する。左衛門督は、不相応な人を奉ってとがめがあったのだけれど、主上はその人もおとどめになる。摂津守は、典侍ないしのすけの空いているところに私の娘をと申したので、そうなるように努めてやろうかと源氏の大臣も思っておいでになるのを、若君はお聞きになって、いたく口惜しく思う。
「もし年の程、位などがこう半人前でなかったらこの私がその娘を請うてみただろうに。思う心があるとさえ知られずにしまいそうなことだ」
と、取り分けてのことではないけれども、例の人のことに加えて涙ぐまれる折々もある。わらわ殿上をしていて、以前から常に自分のところへも参って奉仕しているこの娘の弟と、若君はいつもより親しくお語らいになって、五節はいつ内裏へ参るのかと問われる。今年中と聞いておりますがと弟は申し上げる。
「本当に麗しい人だったので、端たないまでに恋しいのです。そのお顔もお前は常に見ているのだろうと羨ましいけれど、また私に見せてくれないか」
とおっしゃれば、
「どうしてそんなことがございましょう。思いどおりに見ることなどとてもできません。はらからでも男だからと近くにも寄せてくれないのですから、まして公達の御覧に入れることなどどうしてございましょう」
と申し上げる。それならせめて文だけでもとおっしゃってよこした。先々もこんなことはしてはいけないと言われてきたのにと苦しがるけれど、強いて持たせるのでふびんになって持ってゆく。姉は年の割に気が利いていたのであろう、面白くそれを見た。その文というのは緑の薄様に好ましく重なった色の上にまだいとけない筆致ではあったが生い先も見えるように非常に面白く、
 
 日影にもしるかりけめや
 ・・乙女子が天の羽袖はそでに掛けし心は
 
(日陰のかずらではありませんが日の影にも明らかだったでしょうか。舞姫の天の羽衣のその袖を私が思っていたことは)
 
 姉弟二人してこれを見ている内に、父上がつと寄ってきた。恐ろしくてあきれてしまって、隠すこともできぬ。何の文だと言って取り上げると、娘は面を赤らめている。さては善からぬことをしたなと弟をなじると、逃げていくので、呼び寄せて誰からのだと問えば、大臣のところの六位の君がしかじかおっしゃって持たせられましたと言うので、怒りの名残もなくにっこりと笑って
「いかにも愛すべき、あの君の風流心よ。お前たちは、同じような年だけれど、ふがいなくたわいない者と見えるな」
などと褒めて母君にも見せる。
「もし少しでもこの子を人数ひとかずに思ってくださりそうなら、宮仕えをさせるよりは公達に奉ってしまおうかしら。大臣の御性格から見ると、その息子も見初めておしまいになった人のことはお心にお忘れにならぬことであろうと、本当に頼もしいのだがね。明石の入道のためしもあるけれど私もあれになろうかしら」
などと言うけれども、皆は宮仕えの準備を始めてしまっている。
花散里、若君の後見となる。
 
正月、源氏、白馬あおうまの節会を見る。
 
如月、朱雀院への行幸。
御前で学生がくしょうの試み。
帰るさに主上、源氏、弘徽殿の大后に対面。
 
若君、進士しんじに補せられる。
秋、除目で侍従に任ぜられる。
 
六条院、造作。
 
春、式部卿の宮、五十賀。
 
葉月、六条院を造り終わってお方々、転居。
 
長月、秋好中宮、紅葉を紫上に奉る。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
神無月、明石君、六条院に渡る。(少女終)
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源氏物語

少女(二)

葵上の息子の若君、あざなを付けられる。
入学。
寮試。
 
前斎宮の女御、立后。
 
源氏、太政大臣に任ぜられる。
 
葵上の息子の若君、内大臣(かつての頭中将)の娘の姫君とひいな遊び。 
内大臣、姫君のことで大宮を恨む。
石山師香『源氏物語八景絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 大宮が文で
 
内大臣のことを恨んでいらっしゃるかもしれませんね。あなたはそれでも、私の志のほどは御存じでしょう。こちらへいらしてお顔を見せていってくださいませ。
 
と連絡なさるので、あの雲居の雁の姫君は本当にかわいらしく引き繕っておいでになった。十四でいらしたのである。幼くお見えになるけれど、その至って子供らしいのが、しとやかで愛らしい様でもおありになる。
「傍らから離すことなく、明け暮れの遊び相手と思ってまいりましたのに、本当に寂しくなります。年のほども残り少のうて、あなたの御境遇も最後までは見られまいと寿命のことならそう思うてまいりましたが、今更に私を見捨ててどちらへお移りになるのであろうと思えば、本当に悲しゅうございます」
と言ってお泣きになる。姫君は、それを恥ずかしくお思いになるので、顔ももたげずにただお泣きになるばかりである。男君の乳母めのと、宰相の君が出てきて
「あなた様のことは我が君と同じように頼んでまいりましたのに、こうして口惜しくもお移りになるということで。殿は、ほかの人へという気におなりになりますとも、それになびいてはなりませんよ」
などとささやき申し上げれば、いよいよ恥ずかしくお思いになって、物もおっしゃらない。大宮は
「何とまあ、煩わしいことを申し上げるものではありません。人の宿世はそれぞれで、本当に定め難いのです」
とおっしゃる。
「いえもう、我が君を半人前と侮っておいでになるようですから。誠によもや我が君に、人に劣るところなどおありになるでしょうか。誰にでも聞き合わせてみなさい」
と、少しいら立ったままで言う。若君は、物の後ろに這入って坐ってこれを見ておいでになると、人にとがめられることも、もっとましな時ならば苦しがりもするが、今は本当に心細くてしきりに涙を押し拭っておいでになるその有り様を、乳母は、本当に心苦しいものと見て、とかく諮り申し上げるままに、大宮は夕まぐれの人の紛れに二人を対面させた。互いに恥ずかしく、胸も潰れて、物も言わず泣いておいでになる。
「大臣のお心も本当につらいことですし、とにかく考えるのをやめてしまおうと思うのですけれど、恋しさに耐え切れそうもありません。どうして、少し機会がありそうだった頃に、あなたをよそに隔てていたのだろう」
とおっしゃる様も本当に若々しく切ないので、
「私も、あなたと同じでしょう」
と姫君はおっしゃる。
「きっと恋しいと思ってくださいますか」
とおっしゃると、少しうなずかれる様も幼げである。
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源氏物語

少女(一)

四月一日、衣替えに喪服を改める。
朝顔の斎院、除服。源氏、見舞う。
 
葵上の息子の若君、元服。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 源氏は息子を四位にしたらいいと思っておいでで、世人も、そうなるものと思っていたが、「まだ本当に幼い様子をしているのに、幾ら私の思いどおりになる世の中だとてそう卒爾なことをするのも、かえって月並みなことだ」とそれはお諦めになった。孫君が六位の浅葱あさぎ色で殿上にお帰りになるのを大宮は、面白くなくあきれたことに思っておいでになるのは、それもそのはずで哀れなことであった。大宮との御対面があってこれについて言われると、
「ただ今、そう強いてあの子を年齢以上に見せようとするつもりはないのですけれど、それには思うところがございまして。あの子にはしばし大学で道を習わせようという本意がありまして、今二、三年はむなしい年と思うておくことにして、おのずから朝廷に奉仕すべき折にもなれば今に、きっと一人前にもなることでしょう。自分は禁裏の内で成長しまして世の中の有り様も存じません。夜昼、父上の御前に伺候して、僅かに、たわいない文なども習うたものです。ただその畏れ多いお手より伝授されましてすら、何事も、広くは道理を知らぬほどに、学問をするにも、琴、笛の調べであってもそのは聞くに堪えないのですが、及ばぬところが多くあるのでございます。そうかと言って頼りない親に、優れた子がまさっているようなためしも、本当にめったにあることではございませんから、まして、子孫に伝わりつつ隔たってゆく先々の様子がいたく心に掛かりますによってこう思い定めたのでございます。良家の子弟として官位も心のままになり、時勢も今や盛りとおごることに慣れてしまえば、学問などに身を苦しめることには、本当に興味を感じなくなることでしょう。遊び事を好んだままで、心のままの官爵に昇ってしまえば、時に従う世人も、心の中では鼻をうごめかしつつも、追従し機嫌をとって自分に従っているその間は、おのずから一人前で特別な者のようにも感じられますけれど、時も移り、相応の人に死に後れて勢いも衰えたその末には、人に軽んじられ侮られて、頼るところもなくなることでございましょう。やはり、学問を基としてこそ、大和魂も、世に用いられることは著しくなるのでしょう。差し当たりはじれったいようでございますけれど、ついには世の中を治めることのできる心構えを習っておけば、私が亡くなってしまった後でも心安うございますによって。ただ今は頼りがいもありませずながら、私がこうして庇護しておれば、貧に迫った、大学の衆と言って笑い侮る人も、まさかございますまいとこう思うておるのです」
などと言ってお知らせになるので、大宮はお嘆きになって
「誠にそうも考え及ぶべきことではありますけれど大将なども、余り期待に反したことに思うて疑っているようで、あの子も幼心にはいたく口惜しそうに、大将や、左衛門督さえもんのかみの子供など、自分よりは下臈と見下げていた従兄弟たちですら、皆各々加階昇進してはませたふうをしているのに、自分は浅葱のままなのが至ってつらいと思われているのでそれが心苦しゅうございます」
とおっしゃれば、源氏はお笑いになって
「本当にませた恨みようですね。いたくたわいもないものだ。あの子の様子といったら」
と言って、本当に愛すべき者と思っておいでになる。
「学問などをして少し物の道理を心得ましたら、きっとその恨みもおのずから解けることでしょう」
とおっしゃる。