釜飯屋の更級日記

(二十七)野辺の笹原

 姉の乳母であった人が、こうなりました以上は他人でございます、などと泣く泣く元いたところに帰ってゆくので、
 
 古里にかくこそ人は帰りけれ
  あはれ いかなる別れなりけむ
(こうしてあなたまで家へ帰ってしまわれます。あの別れは、こういうことでもあったのですね)
故人の形見に、何とかしてとも思いますが。

 
などと書いて
 
すずりの水も凍りますので、思いも皆とざされて、筆をとどめてしまいました。
 
と書いたところに、
 
 書き流す跡はつららに閉ぢてけり
  何を 忘れぬ形見とか見む
(書き流した跡は氷に鎖されてしまいました。姉を忘れぬ形見としては何を御覧になるのでしょうか)

 
と書いてやった返事に乳母が
 
  慰むるなぎ無きさの浜千鳥
   何か憂き世に跡もとどめむ
 
(心の慰め方の無き、潟のなぎさの浜千鳥のごとき私が、憂き世に跡を、なぜとどめておりましょう)
 
 この乳母が、姉の墓所を見て泣く泣く帰ってしまった後で、私が
 
  昇りけむ野辺はけぶりもなかりけむ
   いづこをと尋ねてか見し
 
(空へ姉が昇ったというその野辺には、もう煙もなかったでしょう。何を目当てに、墓を尋ねて御覧になったのでしょう)
 
 これを聞いてまま母が
 
  そこはかと知りて行かねど
   先に立つ涙ぞ道のしるべなりける
 
(どこそこの墓とはっきり知って行ったわけではありませんけれど、先に立つ涙が道しるべともなったのですよ)
 
 かばね尋ぬる宮をよこした人は
 
  住み慣れぬ野辺のささ
   跡はか無く泣く無くいかに尋ねわびけむ
 
(住み慣れる人もないあの野辺の笹原には道の跡もなく、墓を泣く泣くいかに尋ねわびたことでしょう)
 
 これを見て兄は、その夜の野辺送りにも行っていた人なので
 
  見しままに 燃えしけぶりは尽きにしを
   いかが尋ねし 野辺の笹原
 
(見るや否や、燃えていた煙は尽きてしまったけれど、どのように尋ねたことでしょう。あの野辺の笹原を)
 
 日々を経て雪が降る頃、吉野山に住む尼君となったその人を思ってやる。
 
  雪降りてまれの人目も絶えぬらむ
   吉野の山の峰の懸け道
 
(雪が降って、まれに人の見えることすら絶えてしまったでしょう。吉野の石山の、峰の道には)
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