- Oscar Wilde(ワイルド)
- William Butler Yeats(イェイツ)
- クレスペル顧問官(E. T. A. ホフマン)
- ラフュマ版『パンセ』(パスカル)
- 失われた時を求めて(プルースト)
- 更級日記
- (一)物語に憧れて
- (二)旅立ち
- (三)くろとの浜
- (四)太井川
- (五)竹芝
- (六)隅田川
- (七)足柄
- (八)富士山
- (九)富士川
- (十)遠江
- (十一)三河
- (十二)美濃
- (十三)旅の終わり
- (十四)物語を求めて
- (十五)梅の立ち枝
- (十六)疫病
- (十七)物語
- (十八)花橘
- (十九)紅葉
- (二十)夢
- (二十一)土忌み
- (二十二)大納言の姫君
- (二十三)長恨歌
- (二十四)月夜
- (二十五)火事
- (二十六)かばね
- (二十七)野辺の笹原
- (二十八)司召
- (二十九)東山
- (三十)時鳥
- (三十一)鹿の音
- (三十二)有明の月
- (三十三)帰京
- (三十四)木の葉
- (三十五)他家にて
- (三十六)名乗り
- (三十七)浮舟
- (三十八)常陸守
- (三十九)父下向
- (四十)太秦
- (四十一)荻の枯れ葉
- (四十二)子しのびの森
- (四十三)清水
- (四十四)鏡の影
- (四十五)天照大神
- (四十六)修学院
- (四十七)父帰京
- (四十八)西山
- (四十九)母出家
- (五十)宮仕え
- (五十一)師走の宮仕え
- (五十二)父母
- (五十三)前世
- (五十四)仏名会
- (五十五)結婚
- (五十六)その後
- (五十七)再び宮仕え
- (五十八)梅壺の女御
- (五十九)冬の夜
- (六十)水鳥
- (六十一)篠薄
- (六十二)春秋論
- (六十三)石山
- (六十四)初瀬
- (六十五)修行者めいて
- (六十六)また石山へ
- (六十七)また初瀬へ
- (六十八)心のままに
- (六十九)思いの火
- (七十)西山の奥
- (七十一)たそがれの鐘
- (七十二)荒磯波
- (七十三)西へ行く月
- (七十四)和泉
- (七十五)信濃守
- (七十六)夫下向
- (七十七)夫帰京
- (七十八)悔恨
- (七十九)後の頼み
- (八十)姨捨
- (八十一)涙
- (八十二・終)蓬
- 源氏物語
- 系図
- 桐壺(一)
- 桐壺(二)
- 桐壺(三)
- 〇帚木(一)
- 若紫(一)
- 若紫(二)
- 若紫(三)
- 若紫(四)
- 紅葉賀(一)
- 紅葉賀(二)
- 紅葉賀(三)
- 花宴(一)
- 花宴(二)
- 葵(一)
- 葵(二)
- 葵(三)
- 葵(四)
- 葵(五)
- 賢木(一)
- 賢木(二)
- 賢木(三)
- 賢木(四)
- 花散里(一)
- 須磨(一)
- 須磨(二)
- 須磨(三)
- 須磨(四)
- 明石(一)
- 明石(二)
- 明石(三)
- 澪標(一)
- 澪標(二)
- 澪標(三)
- ○関屋
- 絵合(一)
- 絵合(二)
- 松風(一)
- 松風(二)
- 薄雲(一)
- 薄雲(二)
- 朝顔(一)
- 朝顔(二)
- 朝顔(三)
- 少女(一)
- 少女(二)
- 少女(三)
- 梅枝
- △若菜上①
- △若菜上②
- 若紫
- ウェイリー(Waley)版
- 竹取物語
クレスペル顧問官はこれまで出会った人の中で最も奇怪なひとりでした。しばらく滞在するつもりでH││に越してきた時は町中が彼のうわさで持ち切りでした。ちょうどその最もふざけた所業の一つの真っ盛りだったからです。クレスペルは学識ある有能な法律家で、才能ある古文書学者でもあるという評判でした。ドイツのさほど重要でもないある公爵が、何とかいう領土について法的に正当な請求を実施するとかいう趣旨の請願書を宮廷に提出するつもりで彼に推敲を依頼してきたことがありました。それがめでたく成功して、クレスペルは自分の気に入るここち良い住まいがまだ見つからないとかつて不平をこぼしていましたので公爵は請願書の報酬に家の費用も負担して建築はクレスペルの随意にさせてやることにしました。その用地さえ公爵はクレスペルの選ぶ通りに購入してやろうとしましたが、クレスペルの方でどうしても応じませんでした。家を建てるなら、城外の、景色のうつくしいところにある自分の庭園の中がいいと言い張ったのです。さてありとあらゆる資材を買い集めては運び出させ、それからいく日も、珍妙な服(ちなみに彼自ら特殊な一定の原則に従って仕立てたもの)をまとって石灰を消和し、砂をふるい、煉瓦の山を規則正しく積み上げ、等々する様子が見られました。どこの棟梁に問うでもなく、何か計画を立てていたわけでもありませんでした。けれどもある日、H││の腕ききの煉瓦積みの親方のところへ行って、翌日の夜明け時、例の庭に職人と徒弟は残らず、下働きも大勢つれて家を建てに来てくれるよう頼んだのです。棟梁が設計図のことを尋ねたのも当然でしたが、そんなものは全く必要ない、きっと万事なるようになるからとクレスペルがこたえたので少なからずあきれてしまいました。親方が翌朝、部下たちと現地に来てみると正方形に溝が掘ってあり、クレスペルがこう言いました。「家の基礎はここにすえてください。次に四方の壁を、もう十分だと私が言うまで高くしてくださるようお願いします」││「窓も戸もなく、仕切り壁もなくですか」親方はクレスペルの無謀さに驚いたように口を挟みました。「私の申し上げる通りにお願いします。万事うまく行きますから」とクレスペルはごく静かにこたえました。ただもうおびただしい報酬を約束されたために親方はこの笑うべき建築を請け負う気になったに過ぎませんでしたが、これほど陽気な建築もまたとありませんでした。職人たちはまかないが多いので決してその場を離れることなく、笑い声が絶えない中で四方の壁は信じ難い速さで上昇し、ついにある日、クレスペルが「やめ!」と叫びました。すると鏝と槌の音がやみ、職人たちが足場から下り、クレスペルを囲んで輪になると各々笑顔でこう言いました。「さてお次はどういたしましょう」││「どけ!」とクレスペルが叫び、庭の一方の端まで走ると壁の方へゆっくりと歩き、壁際で不機嫌そうに首を横に振り、庭のもう一方の端まで走り、壁に改めて歩み寄り、前と同じようにしました。こんな動きをさらにいく度か繰り返し、とがった鼻を壁にくっつきそうにしながらついにこうわめきました。「こっちだ、こっち、者ども。戸を打ち抜いてくれ。ここに戸を打ち抜いてくれ!」││長さと幅を正確にフィートとインチで指示するとその要求通りになりました。さて歩いて建物へ入り、親方が、この壁はたっぷり三階建ての家の高さになると述べたので満足そうに微笑みました。中の空間をクレスペルがゆっくり行ったり来たりする後ろを壁造りの職人たちが槌と鶴嘴を手に追い掛けました。「ここに窓を! 高さ六フィート、幅二フィート!││そこには小窓! 高さ三フィート、幅二フィート!」とクレスペルが叫ぶや否やそれらが速やかに打ち抜かれました。まさしくこんな作業の間に私はH││へやって来たのです。庭の周りに何百という人が立ち、石が飛び出して、思いがけないところへ新しく窓ができる度に大歓声が上がる様子を見物するのはなかなか面白いものでした。家の残りの仕上げと、必要な作業の全てをクレスペルはまさにこの調子で行ったので、万事その場で当座の注文通りに作り上げなくてはなりませんでした。何もかもが滑稽で、しかも結局は思いの外うまく運んだという確信もあり、なるほど本人は一文も払っておりませんでしたが、何よりクレスペルの気前の良さのおかげで、皆が機嫌を損ねることはありませんでした。おかしな建築法から生じずにはいなかった困難もこのように克服され、たちまち、しつらいも立派な家がそこに建ちました。外観は異様で、二つと同じ窓がないほどでしたが、中の家具調度は独特のここち良さを呼び起こすものでした。入った人は皆それを請け合いましたし、私自身、クレスペルとの付き合いが深まって中へ案内してもらった時にそれを感じました。と申しますのはその時点ではその一風変った男と言葉を交えたこともなかったのです。建築にあまり心を奪われておりましたので、それまでの習慣のようにM……教授のところへ火曜日の昼餐にやって来ることもなく、特別に招待してみても落成式までは戸口から一歩も出ないとそう言って寄越すばかりでした。友人知人はみな大宴会を当てにしていましたが、家を建ててくれた親方、職人、徒弟、下働きが残らず招待された他は誰ひとりクレスペルは招待しませんでした。極上の料理で彼はもてなしました。壁造りの徒弟たちが無遠慮に鷓鴣のパイをむさぼり食い、指物師の見習いたちが幸運にも焼いた雉を平らげ、トリュフのフリカッセのより抜きの部分には今度こそ腹をすかせた下働きたちが手を伸ばしました。晩には女房らと娘らがやって来て盛大な舞踏会が始まりました。親方たちの女房と少しばかりワルツを踊るとクレスペルは町の楽士たちのそばに座り、ヴァイオリンを手に舞踏曲を明け方まで指揮しました。クレスペル顧問官が民衆の友であることを示したこの饗宴の後の火曜日、M……教授のところでついに彼を見つけた私は少なからずうれしく思いました。このクレスペルの振る舞いほど驚くべきものはまたと見られません。動作はぎこちなく不器用で、今にもどこかにぶつかって何かを壊してしまいそうでしたが、そうはならず、周りもそれは分かっているようでした。と言いますのも女中頭は顔色一つ変えないで、美麗な茶椀がずらりと並んだ食卓の周りを彼がどしんどしんと歩くのを見ていたからです。床まで届く鏡に向かって立ち回り、立派な磁器の花瓶を自らつかんで、彩色を光らせるように振り回すのを見てもやはり青ざめることはありませんでした。おまけにクレスペルは夕食前に教授の部屋の中のあれこれを綿密に吟味し始め、クッションを張った椅子に上り、壁から絵を下ろしては掛け直したりしました。加うるに彼は猛烈にしゃべりました。ある時は(これは食事の際に目立ったことですが)一つの話から別の話に急に飛び、またある時は一つの観念から逃れられず、繰り返しそれに飛び付きながら何度も不思議な隘路に入り込み、何か別のことに捕らえられるまで、正気を取り戻すことができませんでした。口調はある時は荒っぽく激しく騒々しく、またある時は低く間延びして歌うようでしたが、クレスペルの話の内容とはいつも調和していませんでした。音楽のことが話題に上り、人々がある新進の作曲家のことを持ち上げるとクレスペルは笑いながら小さく歌うような声でこう言いました。「羽根の黒い悪魔が来て、天をも恐れず音楽を歪めるような人間など百億尋の奈落の底へ投げ落としてくれればいいのに!」││それから彼は激情に駆られてこう漏らしました。「彼女の方こそ天使であり、神にささげられた澄んだ響きにほかならない!││すべての歌の光であり、星座である!」││そうして彼の目には涙があふれていました。その一時間前に有名な女声歌手の話をしていたのを我々は思い出さなければなりませんでした。兎のロースト肉を食べていた時のことです。クレスペルが皿の上の兎の足から丁寧に骨を取り除き、何か詳細に問い合わせているのに私は気づきました。その足は教授の五歳の娘が愛想良くほほ笑みながら持ってきてくれたものでした。子供たちは食事の最中から顧問官の方を愛想良く見つめていましたが、今度は立ち上がって彼に近づきました。しかし内気に恐縮した様子でなれなれしくはしませんでした。『一体どうしたことだろう』とひそかに私は思いました。デザートが出されました。顧問官はポケットから、小さな鋼鉄製の旋盤の入った小箱を取り出し、その旋盤を食卓にネジ止めしたかと思うと例の兎の骨を信じられないほど器用に素早く加工していろんなちっぽけな容器や小箱、ボールに仕上げました。子供たちはそれをもらって歓声を上げました。食卓から立ち上がるとすぐ教授の姪が尋ねました。「ところでアントニエさんはどうしているの? 顧問官さん」││オレンジをかじって酸っぱかったのに、甘かったように見せたがる人のような顔をクレスペルは作りましたが、それがすぐに歪んで恐ろしい仮面のようになり、非常に痛烈な激しい軽蔑が中から噴き出しました。悪魔のような軽蔑とまで私には思えたのです。「アントニエさんがどうしたって?」彼はまだるく不愉快に歌うような口調で尋ねました。教授が急いで近寄って姪に向けた非難のまなざしから、クレスペルの心の中で不協和音を出すに決まっている一本の弦に彼女が触れてしまったことを私は読み取りました。「ヴァイオリンの方はどうですか」教授は顧問官を両手で捕まえて陽気に尋ねました。するとクレスペルは顔も晴れやかになり、大声でこうこたえました。「素晴らしいですよ、先生。ついこの間もお話ししたアマティの素晴らしいヴァイオリンですけれど、今日やっと手に入れましてね。この手の中で鳴ってくれたのは僥倖でした。今日初めて切開したのです。残りはアントニエが慎重に解体してくれるはずですよ」教授は「アントニエは良い子ですね」と言いました。「本当にそうですとも!」と顧問官はそう叫ぶと素早く振り返り、帽子と杖を一つかみにし、部屋から急いで飛び出しました。鏡越しの彼の目には大粒の涙があふれていました。
オデット・ド・クレシーがスワンのもとを再訪し、訪問がますます頻繁になった。恐らく訪問のたびに、あの失望感が、そうこうする内に細部は忘れていたその顔を前にしてよみがえるのを感じたことだろう。とても表情が豊かだったとか、若いのに色あせていたなどというふうに思い出すことさえなかったのである。彼女が話している間、その本当に素晴らしい美しさが、自分が自然に賞賛できるような種類のものでなかったことが惜しまれたものだ。(……)
彼女はこう言い出した。「一度拙宅でお茶でも上がりませんか」彼は始めかけの仕事を口実にした。(実際には何年も前に打ち捨てていた)デルフトのフェル・メールに関する研究である。「私のような取るに足らない者があなた方のような立派な学者のそばにおりましてもお役に立ちそうもないことは承知しております」と彼女は答えた。私などアレオパゴスを前にした蛙のようなものであろう。でも私は学びたい、知りたい、手ほどきを受けたいと強く思っている。本を読んだり古文書に首をつっこんだりするのはどんなにか楽しいだろう。彼女は自己満足の態でそう続けた。自分の喜びは、汚れることを恐れず不潔な仕事、たとえば「手料理」に従事することだと上品な女性が断言するときのようであった。「笑われてしまうでしょうけれど、訪問の妨げになっているとおっしゃるその画家のこと(フェル・メールのことを言いたかったのである)は聞いたこともございません。御存命の方でしょうか。作品はパリで見られますか。そうすれば、あなたのお好きなものを心に描いて、懸命に働くその広い額の奥で何が起こっているのか少しは見抜けるようになるかもしれません。その頭はいつも何か熟慮しているような気がするのです。そうして、これこそが、あなたの考えていらっしゃることだなどと考えてみたいのです。
こうした密通や恋のひとつひとつはおよそ、スワンがその顔や姿を見て努めずとも自然に魅力を感じ、そのようにして生まれた夢が具現化したものであったが、ある日、劇場でオデット・ド・クレシーを旧友から紹介された時は││その男はオデットのことを魅力的な女性で、スワンになびくかもしれないと話していたが、実際の彼女よりは難しい対象に仕立て、その紹介の恩恵が特別なものであるように見せ掛けていた││彼女はスワンにとって確かに美しくなくもないと感じられたが、可も不可もなく欲望もかき立てずある種の感覚的な反発を与えるような美しさを備えているように思われた。男なら誰でも何人か挙げることのできる、そして各々異なる例を挙げることのできる、肉体の求める型の逆を行くような女であった。好きになるにはあまりに顔の凹凸が際立ち、肌が弱そうで、頬骨が張り、やつれた顔立ちをしている。目は美しいがあまり大きいので重みでたわんで顔の残りをひずませ、顔色が悪いか機嫌が悪いような様子をいつも見せていた。この劇場での紹介からしばらくしてスワンに手紙が届き、コレクションを拝見してもよいか、「美しいものを好む無知な女である私」はとても興味を持っているといってきた。あなたのことが、「お茶と本があってとても快適」だと想像する「あなたのhome」でお会いしてみればもっとわかるだろうとも書いてあった。とはいえ、女は男があんな街区に住んでいることに驚きを隠さなかった。そちらはさぞ味気ないことだろう、「こんなにsmartなあなたには釣り合いません」というのである。
カテゴリー
若紫
源氏が瘧 にかかり、あまたのまじないをお試しになったかいもなく度々再発した時のこと、或 人の云 うには、北山のさる寺に聖者が一人あって前年の夏そのまじないに(瘧がその節は流行し、普通のまじないが効いていなかった)不思議に度々著しい効き目があったという。「無益な手段を次々試していらっしゃる間も、病は御身に迫ってまいります。取敢 えずその方に御相談なさいませ」直ちに源氏は人を遣わしてその聖者を迎えようとなさったけれど、老衰でもう外出に差支えがあるのだと答えてきた。「どうしたものだろう。微行せねばなるまいね」と源氏は仰有 った。従者には信用している者を只 四五人ばかり連れて、夜の明けるずっと前に御出発になった。その地はちょっと山深いところにあった。弥生の末日で、都の花はすっかり落ちていた。山桜は未 だ咲いてなかったが、野に近づくにつれ、霞 がおかしな面白い装いを見せ始めるのが││ こんな見物もめったになさったことのない、礼儀作法に繋 ぎ留められた御身には││ 却 ってお気に召したのだった。辺りの寺も気に入った。高い岩壁が深く窪 んだ中に、聖者は住まいしていた。源氏は刺も通ぜず、変装もしておいでになったが、名高いそのお顔から僧には直ちにその人と分かった。
「御容赦ください。あなただったのでございますね。先日招待してくださったのは。やれやれ、もうこの世のことなどは忘れてしまいまして、どうすれば効き目があるものか忘れておると思いますが。こんなところまで来ていただいて誠に残念なことで」と気が気でないふりをしつつ笑って源氏の方を眺めた。しかし、信心と学識の深い人であることは直に明白になった。さる護符を薬にして飲ませ、或まじないを唱えた。これが済んだ頃には、もう日が出ており、ちょっと洞を出て源氏は辺りを見廻した。今立っている高地からは、数軒の庵の散らばっているのが見下ろされた。一筋路が曲がりくねって一軒の仮屋に通じていた。よそと同じ小柴の生垣を廻らしてはあるがもっと広々として、渡り廊下を面白く延ばし、四方に柴を植えて手入をしてあった。誰の家かと家来に尋ねると、或僧都が二年の間そこに隠居していることを、一人から聞かされた。「その方なら能く存じ上げております。こんな装束と供回りでは出会いたくないものですね。噂にならなければいいが……」源氏が僧都の名を聞いてそう仰有った時、綺麗な装束を着けた子供の一団が丁度家から出てきて、祭壇と絵像を荘厳する花を摘み出した。「女の子もいますね。上人がお置きになるとは迚も想われませんが。それなら誰かしら」家来の一人が云って、好奇心を満足させるため、ちょっと山を下りて様子を窺った。「はい、大層かわいらしい娘たちがおりまして、大人びたのもいれば、全くの子供もおりました」と帰ってきて報告した。
源氏は午前中ほとんど治療にかかり切りだった。ようやく儀式が終わると、いつも熱がぶり返す時刻を恐れて、極力気を散らそうと従者たちは山の向うの、都の見えるところまで、ちょっと源氏を連れていった。「実に好いものですね。遠方は半ば霞に隠れ、四方へ拡がる森はぼんやり微かに光って絵のようです。こんなところに住んでいる人は、一瞬たりとも満足せぬことがあるでしょうか」と源氏は叫んだ。「こんなものは何でもございません。よその国の湖や山でもお見せできましたら、ここで感心しておいでになる眺めなどより遥かに勝っているのが直にお分りになるでしょう」と家来の一人が、富士山というもののあることから説き出して、西国にある面白い浦の悉くまでも聞かせ終わると、源氏は熱の時刻であることを全く忘れておしまいになった。「あちらの手前が」家来は海の方を指して続けた。「播磨の明石の浦でございます。よくよく御覧ください。さほど辺鄙な地でもございませんが、大海原のほかはどこからも切り離されたような心地がして、私の知る限りでは最も異様で寂寞たる場所でございます。そんなところに││ 曾てはそこの国主で、今は入道している人の令嬢が││ その地にはまるで不釣合なほど宏大な屋敷を構えているのでございます。父上は大臣の後裔で、俗界に大いに頭角を見すものと期待されておりました。ところがこれが大層風変りな男で、大の交際嫌いなのでございます。一時は近衛の中将でしたが、これを辞めて播磨の国守を引受けました。けれども土地の人とも直に不和になって、待遇が酷いから帰京すると吹聴しながら、中々どうして頭を剃って入道となったのです。それから、例のごとくどこか閑静な山の中に住まうのでなしに、そこの海岸に家を建てました。大層妙なことをしたものだと思われるのも尤ですが、実のところ、かの国ではどこにも世捨人の住居は随分ございますし、山国となると遥かに人影も面白みもなくて、若い妻子も酷く怒るでしょう。それだから妥協して海岸を選んだのです。曾て私が播磨の国を漫遊しておりました時、序があってその家を訪ねましたところ、都では大層質素な暮らしをしておったのが、そこでは絢爛豪華に造営しておったのに目が留まりました。あんなことがあったにも拘らず、(国守の苦労を免れたからは)想像し得る限りの安楽のうちに余生を暮す決心をしているようでもありました。しかしその間もずっと来世の用意は怠ることなく、叙任の僧であってもこれほど謹厳かつ敬虔な生涯を送った人はいなかったでしょう」
「さて令嬢のことを云いましたね」と源氏は仰有った。「かなり見目よい人でございますよ。決して愚鈍でもございません。御執心の国守や役人が幾人も切にと歎願したほどですが、父親が全員追い払ってしまいました。自身はあんなに俗界の栄光には冷淡であったのに、たった一つ心配の種の独り子に自身の不遇の埋め合わせをさせる決心で、こんな誓いを立てているらしいのです。曰く、不本意にも我が娘が私の死後、勝手に我が動かぬ意志と訓戒とを愚弄して無益なる嗜好を満足させるようなことがあれば、我が霊はよみがえり、海神に請うて娘を覆わしむるであろうと」とは家来の答え。
源氏はこれを謹聴しておいて「それでは、海竜王のほかは夫と思わぬ斎宮のようですね」と仰有ると、老いた元国守の大望のばからしさを皆が笑った。この逸話を聞かせた男は現職の播磨守の息子で、昨年蔵人から五位に昇進した人である。恋の冒険で名高い男で││ 全くかの令嬢を説き付けて父の戒めに背かせる積りで、態々明石の浦を見物に行っているのだ││ と人は蔭で云い合っていた。
「育ちがちと田舎じみていやしないかね」と一人が云った。「成人するまでその旧式な親とのほかに附合いのなかったところを見れば、容易なことではそうならざるを得ませんね││ 成程、母親は幾らか勢力家であったと見えますけれど」「それはそうです。それが理由で、都中の名家の子たちをあの海岸まで集めてきて我が子の遊び相手にするなぞということができたのですよ。そうやってその子は垢抜けた礼儀作法を学んだのですから」と国司の息子の良清が云った。「誰か不届き者がそこを訪ねたとして、死んだ父親の呪いもものかは堪えられないような好い女かもしれませんね」と云う者もあった。
「御容赦ください。あなただったのでございますね。先日招待してくださったのは。やれやれ、もうこの世のことなどは忘れてしまいまして、どうすれば効き目があるものか忘れておると思いますが。こんなところまで来ていただいて誠に残念なことで」と気が気でないふりをしつつ笑って源氏の方を眺めた。しかし、信心と学識の深い人であることは直に明白になった。さる護符を薬にして飲ませ、或まじないを唱えた。これが済んだ頃には、もう日が出ており、ちょっと洞を出て源氏は辺りを見廻した。今立っている高地からは、数軒の庵の散らばっているのが見下ろされた。一筋路が曲がりくねって一軒の仮屋に通じていた。よそと同じ小柴の生垣を廻らしてはあるがもっと広々として、渡り廊下を面白く延ばし、四方に柴を植えて手入をしてあった。誰の家かと家来に尋ねると、或僧都が二年の間そこに隠居していることを、一人から聞かされた。「その方なら能く存じ上げております。こんな装束と供回りでは出会いたくないものですね。噂にならなければいいが……」源氏が僧都の名を聞いてそう仰有った時、綺麗な装束を着けた子供の一団が丁度家から出てきて、祭壇と絵像を荘厳する花を摘み出した。「女の子もいますね。上人がお置きになるとは迚も想われませんが。それなら誰かしら」家来の一人が云って、好奇心を満足させるため、ちょっと山を下りて様子を窺った。「はい、大層かわいらしい娘たちがおりまして、大人びたのもいれば、全くの子供もおりました」と帰ってきて報告した。
源氏は午前中ほとんど治療にかかり切りだった。ようやく儀式が終わると、いつも熱がぶり返す時刻を恐れて、極力気を散らそうと従者たちは山の向うの、都の見えるところまで、ちょっと源氏を連れていった。「実に好いものですね。遠方は半ば霞に隠れ、四方へ拡がる森はぼんやり微かに光って絵のようです。こんなところに住んでいる人は、一瞬たりとも満足せぬことがあるでしょうか」と源氏は叫んだ。「こんなものは何でもございません。よその国の湖や山でもお見せできましたら、ここで感心しておいでになる眺めなどより遥かに勝っているのが直にお分りになるでしょう」と家来の一人が、富士山というもののあることから説き出して、西国にある面白い浦の悉くまでも聞かせ終わると、源氏は熱の時刻であることを全く忘れておしまいになった。「あちらの手前が」家来は海の方を指して続けた。「播磨の明石の浦でございます。よくよく御覧ください。さほど辺鄙な地でもございませんが、大海原のほかはどこからも切り離されたような心地がして、私の知る限りでは最も異様で寂寞たる場所でございます。そんなところに
「さて令嬢のことを云いましたね」と源氏は仰有った。「かなり見目よい人でございますよ。決して愚鈍でもございません。御執心の国守や役人が幾人も切にと歎願したほどですが、父親が全員追い払ってしまいました。自身はあんなに俗界の栄光には冷淡であったのに、たった一つ心配の種の独り子に自身の不遇の埋め合わせをさせる決心で、こんな誓いを立てているらしいのです。曰く、不本意にも我が娘が私の死後、勝手に我が動かぬ意志と訓戒とを愚弄して無益なる嗜好を満足させるようなことがあれば、我が霊はよみがえり、海神に請うて娘を覆わしむるであろうと」とは家来の答え。
源氏はこれを謹聴しておいて「それでは、海竜王のほかは夫と思わぬ斎宮のようですね」と仰有ると、老いた元国守の大望のばからしさを皆が笑った。この逸話を聞かせた男は現職の播磨守の息子で、昨年蔵人から五位に昇進した人である。恋の冒険で名高い男で
「育ちがちと田舎じみていやしないかね」と一人が云った。「成人するまでその旧式な親とのほかに附合いのなかったところを見れば、容易なことではそうならざるを得ませんね
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628
傍にいる人に評価されたいという気持ち。
誇りは私たちの不幸や誤りなどの中にあって自然に私たちを占領してしまう。人の語り草になる限り、私たちは喜んで命を捨てる。
虚栄心、遊戯、狩猟、訪問、喜劇、名の偽りの永続。
誇りは私たちの不幸や誤りなどの中にあって自然に私たちを占領してしまう。人の語り草になる限り、私たちは喜んで命を捨てる。
虚栄心、遊戯、狩猟、訪問、喜劇、名の偽りの永続。
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627
虚栄心は人の心に深く刻み込まれているので、兵士、従卒、料理人、人足も自画自賛して崇拝者を得ようとし、そのようなことを哲学者までもが望み、そのようなことに反対意見を書く人もうまく書いたものだという栄誉を得たがっており、それを読む人も、そのようなものを読んだという栄誉を得たがっており、これを書いている私もそのような欲求を持っているかもしれず、それを読む人ももしかしたら……
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626
真の幸福の追求。
大衆はその幸福を富と見せ掛けの幸福とに、少なくとも娯楽に託す。
哲学者たちはそのすべてのむなしさを示し、託せるところに幸福を託してきた。
大衆はその幸福を富と見せ掛けの幸福とに、少なくとも娯楽に託す。
哲学者たちはそのすべてのむなしさを示し、託せるところに幸福を託してきた。
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625
不正。
みじめさにうぬぼれまで加えるのは極度の不正である。
みじめさにうぬぼれまで加えるのは極度の不正である。
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624
預言。
神はイエス・キリストの敵を服従させ、その間、イエスは神の右の座にいるであろう。
だからイエスは自ら服従させようとはしまい、という。
神はイエス・キリストの敵を服従させ、その間、イエスは神の右の座にいるであろう。
だからイエスは自ら服従させようとはしまい、という。
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623
自分が何者であるかを追い求めずに生きることが極度の盲目であるとすれば、その中でも神を信じていながら悪い生き方をすることは恐ろしいことである。