釜飯屋の更級日記

(五十七)再び宮仕え

 私が参上し始めた例の宮においても、こうして閉じ籠もってしまったことを誠ともおぼし召さない様子を人々から聞かされ、絶えずお召しなどもある内に、取り分けあの若いめいを来させよと仰せられるので、断れずお出ししたのに引かされて私も時々出ていったのだけれども、それは、過ぎてしまったあの頃のように、おごった心に、当てにならぬ頼みをかけていたわけではないが、さすがにめいに引かれて折々御前へ出ていったのである。すると、慣れた人は何事につけてもこよなく物慣れた顔をしており、私はといえば、本当の若人でいられるはずもなく、また、頭になれるような声望もなく、時々来る客人ということで放っておかれ、漫然とそこにいたようなものだけれど、ひとえにそこを頼まねばならぬわけでもないので、自分に勝る人があっても、うらやましくもなくかえって心安く思われて、適当な折節に参上して適当なつれづれな人と話をしたりして、めでたい行事にも、面白く楽しい折々にも、かように自分は立ち交じっており、そんなところを人にあまり見られ、知られるのもはばかられようから、通り一遍には話を聞いて過ごしていたのであるけれども、内裏へのお供に私も参上した折のこと、有明の月がいたく明るいので……私の念じ申し上げている天照大神は内裏においでになるということだ。この折に参拝してみよう……と思って、卯月ばかりの、月の明るい夜に、非常に忍んで参上したところ、そこにいた女史は縁続きなので、灯籠の火が至ってほのかである中に、驚くほど老いてすごくもあるが、さすがに至ってよく物を言いつつ前に坐っているのが、人とも思われず、神が現れなさったかと思われる。
モバイルバージョンを終了