釜飯屋の更級日記

(六十三)石山

 昔の自分の心の由なさをすっかり思い知って悔やまれるのみで、親に参詣に連れていかれることなどもついになかったことが、思い出されてとがめたくもなるので、今はひとえに、財力豊かになって、双葉のような我が子をも、思うように大切に育て、この我が身にも、富を三倉御蔵の山と積んであふれるばかりとなし、後の世までのことも考えておこうと思いを励まして、霜月の二十余日というのに、石山に参る。
 雪が降って道のりさえも面白いのに、逢坂の関が見えると、昔ここを越えたのも冬であったなと思い出されたその折しも、至って荒く風が吹いてくる。
 
  逢坂の関の関風吹く声は
   昔聞きしに変はらざりけり
 
(逢坂の関に風が吹く声は、昔聞いたのと変わるところもない)
 
 いかめしく造られている関寺を見るにも、まだ粗造りのお顔ばかりが見られたあの折のことが思い出されて、年月の過ぎてしまったことが感慨深くもある。
 打出うちいでの浜の辺りなども、昔見たのに変わらない。
 暮れかかる折に参着して、湯屋に下りてからお堂に上ると、人声もせず、山風が恐ろしく思われて、お勤めをし残したままにまどろんだその夢に、
「中堂より麝香じゃこうを賜りました。早くあちらへ告げなさい」
と言う人があったところで目を覚ましたので、夢だったのだと思うにも、良い夢なのであろうよと思ってお勤めをして明かす。
 又の日も、はなはだ雪が降って荒れ、宮家で交際があり私に伴っておいでになった方と物語をして心細さを慰める。
 三日そこに伺候して退出した。
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