釜飯屋の更級日記

(十七)物語

 かくて塞ぎ込むのみであった私を気の毒がって、心を慰めようと母が物語など求めて見せてくださるので、誠におのずから慰んでいった。
 『若紫』を見て続きが見たく思われるけれども、人に相談などもできず、誰もがいまだ都に慣れぬ折にて、見つけることもできない。
 はなはだじれったく、見てみたく思われるので、
「この源氏の物語を、一の巻よりして皆お見せください」
と心の内に祈る。
 親と太秦うずまさの広隆寺にお籠もりをしている時にも、ほかでもなくそのことを望み申して、寺を出るや否やこの物語を最後まで見られたらと思うけれども見られない。
 いたく口惜しく悲しかったけれども、おばである人が田舎より上京してきたところに送られてみれば、本当に愛らしく成長しましたねなどと感心され珍しがられて、帰るさに、
「何を奉りましょうか。あまり真面目なものもきっとよろしくないでしょうね。見たがっておいでのものを奉りましょう」
と言って、源氏の五十余巻はひつに入ったままで『伊勢物語』『遠君芹川せりかわ』『しらら』『麻生津あさうづ』などという物語を一袋に取り入れて得て帰る心地のうれしさと言ったら、わくわくしながら、あの僅かに見ては納得もできずじれったく思っていた源氏を、一の巻よりして、人も交じらず几帳の内に伏して引き出しつつ見る心地は、后の位も何になろう。
 朝から晩まで、夜も目の覚めている限り、灯を近くともしてこれを見るよりほかのこともないので、おのずから人の名なども空で思い浮かぶのをうれしいことに思うのに、見た夢には、黄色地のけさを着た至って清げな僧が出て来て、早く法華経五の巻を習いなさいと言うのだけれど、それを人に語るでもなく、習うことなど思いもかけず、物語のことのみに心を引かれて……私は今でこそ醜いが、盛りになればきっと、姿の良いことはこの上もなく、髪もはなはだ長くなるであろう。光源氏の夕顔、かおる大将の浮舟うきふねの女君のようになるであろう……と思った心は、まあ本当に、驚くほどに愚かであった。
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