釜飯屋の更級日記

(六十五)修行者めいて

 二三年、四五年隔てていることを次第もなく書き続ければ、そのまま続いて立ってゆく修行者めいているが、そうではなく、年月も隔たったことなのである。
 春頃、鞍馬に籠もった。
 山際が一面にかすみ、のどやかなところで、山の方より僅かに野老ところなど掘って持ってくるのも面白い。
 そこを出る道は、花も皆散り果てていたので何ということもない。
 神無月ばかりにまた詣でたけれども、道中の山の有り様はその頃の方がはなはだ勝るものなのである。
 山の端は錦を広げたようである。
 たぎり流れてゆく水は、水晶を散らすように激しく湧いたりして、どこよりも優れている。
 参着して僧坊に行き着いた折には、時雨のかかっている紅葉が類いなく見えるのである。
 
  奥山の紅葉の錦
   ほかよりも いかにしぐれて 深く染めけむ
 
(この奥山の紅葉の錦を、いかにしぐれて、よそよりも深く染めたのだろう)
 
と見やられるのである。
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