釜飯屋の更級日記

花宴(一)

源氏、二十歳。二月二十余日、南殿の桜の宴にて春鶯囀しゅんおうてんを舞う。頭中将、柳花苑りゅうかえんを舞う。
 夜もいたく更けてから、行事は終わったのである。公卿も各々別れ、后、東宮も帰っておしまいになるので辺りものどかになったところへ、月が、至って明るく差し始めて面白いのを、源氏の君は酔い心地から、見過ごし難く思われた。「殿上の人々も休んでいるこんな思い掛けない折にあるいは、絶好の機会でもあるだろうか」と藤壺の辺りを、はなはだ忍んでうかがって回るけれども、相談のできそうな戸口もさしてあったので嘆息をして、このままでは終わるまいと弘徽殿の細殿にお立ち寄りになったところ三つ目の戸口が開いている。弘徽殿の女御は上つぼねにそのまま参上していたので、こちらは人少なな様子である。その奥のくるる戸も開いており、人音もしない。こんなことで世の中には過ちが起こるのだなと思ってそろそろと昇っておのぞきになる。人は皆、寝ているのだろう。と、そこへ至って若くかわいらしい、一通りの人とは聞こえぬ声が、
 
  おぼろ月夜に似るものぞなき
 
(春の夜の朧月夜にしくものはない)
 
と誦してこちらの方へ来るではないか。本当にうれしくてつと袖を捉えられる。女は
「ああ恐ろしい。どなたです」
とおっしゃるけれども、
「どうして疎ましいことがありましょう」
と言って
 
  深きのあはれを知るも
   入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ
 
(この夜更けの美しさをあなたが知り、深い仲になるいとしさを二人で知ることも、この入り方の朧月より並々ならぬ契りからだと思うのです)
 
と言ってやおら抱き下ろして戸はててしまう。驚きあきれている様子が、本当にゆかしくてかわいらしい。わななきながら
「ここに人が」
とおっしゃるけれども、
「私は皆に許されておりますから、人を召し寄せたとしてもどれほどのことになりましょう。どうか小声で」
とおっしゃる声を聞いて、源氏の君であったと気付いていささか心を慰めた。悩ましくは思っているけれども、無風流で強情に見えたりはしまいと思っている。酔い心地も一方ひとかたならなかったのであろうか、この女を自由にしてやるのでは飽き足りないし、女も、若くたおやかで、強い心も知らぬのであろう、源氏は可憐に御覧になるけれども、程なく明けてゆくので心も落ち着かない。女はなおさら、様々に思い乱れた様子である。
「それでも名乗りをしてください。どうしたら御連絡できましょうか。これで終わりにしてしまおうとはよもやお思いになりますまい」
とおっしゃれば
 
  憂き身 世にやがて消えなば
   尋ねても 草の原をば問はじとや思ふ
 
(この憂き身が、この世からこのまま消えてしまったら、あなたは尋ねても、草深い墓地までは問うてくれまいと思うのです)
 
と言う様が、艶に美しく見える。
「ごもっとも。申し上げた言葉は間違いでしたね」
と言って、
「 いづれぞと露の宿りを分かむ間に
   小笹が原に風もこそ吹け
 
(露の宿りがどこにあるかを見分けている間に、その笹原に風が吹いてはいけませんから)
 
煩わしくお思いになるのでなければどうしてはばかることがありましょう。あるいは私をおだましになるのですか」
と言いもあえず人々が起きてきて騒ぎ、上つぼねに行き来する気配がしきりにするのでどうしようもなくて、扇ばかりを印に取り替えてそこを出ておしまいになる。戻っていらした桐壺には、人々が多く伺候していて、目を覚ましている者もあるので、こんなことに
「誠にたゆみない忍び歩きですね」
とつつき合いながら空寝をしているのである。源氏はお這入りになって伏しておいでになるけれども、寝入られず「かわいらしい人のようだったな。女御の妹御のようだ。まだ男に慣れていないのは五の君か六の君なのであろう。帥宮そちのみやの北の方や、頭中将に愛されないあの四の君などは、麗しい人だと聞いたが、かえって、そういう人であったら今少し面白かったろうに。六の君は、東宮に奉ろうというお志なのだからその人であったら哀れなことだ。煩わしい。尋ねる道のりも紛らわしかろう。そのまま絶えてしまおうとは思っていない様子だったのに、どういうわけで、言葉を通わす方法を教えずにしまったのだろう」などとよろずに思うているのも心に留まったからであろう。こんなことにつけてもまず、藤壺辺りの様子はこよなく奥ゆかしかったことだと、まれなことのように思い比べられる。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより

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