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ウェイリー(Waley)版 源氏物語

若紫

 源氏がおこりにかかり、あまたのまじないをお試しになったかいもなく度々再発した時のこと、ある人のうには、北山のさる寺に聖者が一人あって前年の夏そのまじないに(瘧がその節は流行し、普通のまじないが効いていなかった)不思議に度々著しい効き目があったという。「無益な手段を次々試していらっしゃる間も、病は御身に迫ってまいります。取敢とりあえずその方に御相談なさいませ」直ちに源氏は人を遣わしてその聖者を迎えようとなさったけれど、老衰でもう外出に差支えがあるのだと答えてきた。「どうしたものだろう。微行せねばなるまいね」と源氏は仰有おっしゃった。従者には信用している者をただ四五人ばかり連れて、夜の明けるずっと前に御出発になった。その地はちょっと山深いところにあった。弥生の末日で、都の花はすっかり落ちていた。山桜はだ咲いてなかったが、野に近づくにつれ、かすみがおかしな面白い装いを見せ始めるのが││こんな見物もめったになさったことのない、礼儀作法につなぎ留められた御身には││かえってお気に召したのだった。辺りの寺も気に入った。高い岩壁が深くくぼんだ中に、聖者は住まいしていた。源氏は刺も通ぜず、変装もしておいでになったが、名高いそのお顔から僧には直ちにその人と分かった。
「御容赦ください。あなただったのでございますね。先日招待してくださったのは。やれやれ、もうこの世のことなどは忘れてしまいまして、どうすれば効き目があるものか忘れておると思いますが。こんなところまで来ていただいて誠に残念なことで」と気が気でないふりをしつつ笑って源氏の方を眺めた。しかし、信心と学識の深い人であることは直に明白になった。さる護符を薬にして飲ませ、或まじないを唱えた。これが済んだ頃には、もう日が出ており、ちょっと洞を出て源氏は辺りを見廻した。今立っている高地からは、数軒の庵の散らばっているのが見下ろされた。一筋路が曲がりくねって一軒の仮屋に通じていた。よそと同じ小柴の生垣を廻らしてはあるがもっと広々として、渡り廊下を面白く延ばし、四方に柴を植えて手入をしてあった。誰の家かと家来に尋ねると、或僧都が二年の間そこに隠居していることを、一人から聞かされた。「その方なら能く存じ上げております。こんな装束と供回りでは出会いたくないものですね。噂にならなければいいが……」源氏が僧都の名を聞いてそう仰有った時、綺麗な装束を着けた子供の一団が丁度家から出てきて、祭壇と絵像を荘厳する花を摘み出した。「女の子もいますね。上人がお置きになるとは迚も想われませんが。それなら誰かしら」家来の一人が云って、好奇心を満足させるため、ちょっと山を下りて様子を窺った。「はい、大層かわいらしい娘たちがおりまして、大人びたのもいれば、全くの子供もおりました」と帰ってきて報告した。
 源氏は午前中ほとんど治療にかかり切りだった。ようやく儀式が終わると、いつも熱がぶり返す時刻を恐れて、極力気を散らそうと従者たちは山の向うの、都の見えるところまで、ちょっと源氏を連れていった。「実に好いものですね。遠方は半ば霞に隠れ、四方へ拡がる森はぼんやり微かに光って絵のようです。こんなところに住んでいる人は、一瞬たりとも満足せぬことがあるでしょうか」と源氏は叫んだ。「こんなものは何でもございません。よその国の湖や山でもお見せできましたら、ここで感心しておいでになる眺めなどより遥かに勝っているのが直にお分りになるでしょう」と家来の一人が、富士山というもののあることから説き出して、西国にある面白い浦の悉くまでも聞かせ終わると、源氏は熱の時刻であることを全く忘れておしまいになった。「あちらの手前が」家来は海の方を指して続けた。「播磨の明石の浦でございます。よくよく御覧ください。さほど辺鄙な地でもございませんが、大海原のほかはどこからも切り離されたような心地がして、私の知る限りでは最も異様で寂寞たる場所でございます。そんなところに││曾てはそこの国主で、今は入道している人の令嬢が││その地にはまるで不釣合なほど宏大な屋敷を構えているのでございます。父上は大臣の後裔で、俗界に大いに頭角を見すものと期待されておりました。ところがこれが大層風変りな男で、大の交際嫌いなのでございます。一時は近衛の中将でしたが、これを辞めて播磨の国守を引受けました。けれども土地の人とも直に不和になって、待遇が酷いから帰京すると吹聴しながら、中々どうして頭を剃って入道となったのです。それから、例のごとくどこか閑静な山の中に住まうのでなしに、そこの海岸に家を建てました。大層妙なことをしたものだと思われるのも尤ですが、実のところ、かの国ではどこにも世捨人の住居は随分ございますし、山国となると遥かに人影も面白みもなくて、若い妻子も酷く怒るでしょう。それだから妥協して海岸を選んだのです。曾て私が播磨の国を漫遊しておりました時、序があってその家を訪ねましたところ、都では大層質素な暮らしをしておったのが、そこでは絢爛豪華に造営しておったのに目が留まりました。あんなことがあったにも拘らず、(国守の苦労を免れたからは)想像し得る限りの安楽のうちに余生を暮す決心をしているようでもありました。しかしその間もずっと来世の用意は怠ることなく、叙任の僧であってもこれほど謹厳かつ敬虔な生涯を送った人はいなかったでしょう」
「さて令嬢のことを云いましたね」と源氏は仰有った。「かなり見目よい人でございますよ。決して愚鈍でもございません。御執心の国守や役人が幾人も切にと歎願したほどですが、父親が全員追い払ってしまいました。自身はあんなに俗界の栄光には冷淡であったのに、たった一つ心配の種の独り子に自身の不遇の埋め合わせをさせる決心で、こんな誓いを立てているらしいのです。曰く、不本意にも我が娘が私の死後、勝手に我が動かぬ意志と訓戒とを愚弄して無益なる嗜好を満足させるようなことがあれば、我が霊はよみがえり、海神に請うて娘を覆わしむるであろうと」とは家来の答え。
 源氏はこれを謹聴しておいて「それでは、海竜王のほかは夫と思わぬ斎宮のようですね」と仰有ると、老いた元国守の大望のばからしさを皆が笑った。この逸話を聞かせた男は現職の播磨守の息子で、昨年蔵人から五位に昇進した人である。恋の冒険で名高い男で││全くかの令嬢を説き付けて父の戒めに背かせる積りで、態々明石の浦を見物に行っているのだ││と人は蔭で云い合っていた。
「育ちがちと田舎じみていやしないかね」と一人が云った。「成人するまでその旧式な親とのほかに附合いのなかったところを見れば、容易なことではそうならざるを得ませんね││成程、母親は幾らか勢力家であったと見えますけれど」「それはそうです。それが理由で、都中の名家の子たちをあの海岸まで集めてきて我が子の遊び相手にするなぞということができたのですよ。そうやってその子は垢抜けた礼儀作法を学んだのですから」と国司の息子の良清が云った。「誰か不届き者がそこを訪ねたとして、死んだ父親の呪いもものかは堪えられないような好い女かもしれませんね」と云う者もあった。

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源氏物語

△若菜上②


 お子としては皇太子を別にすると皇女が四人おいでになった。そのうちの一人の母で藤壺と申した方は先代の帝の皇女であり、源氏におなりになった人であった。上皇がまだ皇太子の時に御出仕になったのだから、高貴な身分に納まってもよさそうなものであるが、取り立てて言うほどの後ろ盾もおいでにならず、母親もどこの血筋ともない更衣であるから当てにはできず、御交際の折も心細そうで、かの皇太后が尚侍を出仕させて、類いのない人のようにお取り扱いになりなどした時分には圧倒されてしまい、朱雀帝も気の毒なものとおん胸の内を痛めてはいながら譲位しておしまいになったので、詮なく悔しくて、運命を恨むようにして亡くなっておしまいになったその人から生まれた三女をば皇女たちの中でも取り分けかわいらしい者として育てておいでになった。その頃はこの子の御年齢もまだ十三四であった。今は限りと自分が出家してしまい、山籠もりした後の浮世にとどまってこの子は誰の庇護を頼りになさろうというのだろうかとひたすらそのことを気に掛けて上皇は悲しんでいらっしゃる。西山のお寺を造り終わって転居する折の準備をしているのとは別にこの宮様のおん裳着も早く行ってしまおうとお思いになる。上皇がお心の内に特別に思っておいでになるおん宝物、道具類は言うまでもなくたわいないおもちゃのようなものまでいささか趣のあるものはそっくりこの方にお渡しになってそれ以下を別のお子たちへの遺産となさったのである。
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源氏物語

△若菜上①


 朱雀上皇はあの行幸の後の頃からずっと御病気に苦しんでいらっしゃる。以前から御病弱でいらっしゃる中にも今度は不安に思われて「長年、求道の願いが深うございますのに、母上のおいでになった頃は万事に遠慮を申しまして今まで決断が遅れておりましたが、やはりそちらへせき立てられると申しましょうか、俗世にも久しくはおられまいという気がするのです」などと仰せになってそれなりのお心構えをしておいでになる。
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源氏物語

梅枝

東宮の御元服、明石の姫君の裳着を如月に控える。
睦月下旬、源氏、たき物を合わせる。
 
如月十日、蛍兵部卿宮、六条院に参る。
 
朝顔の前斎院、たき物を源氏に送る。
お方々、たき物を合わせて源氏に奉る。蛍兵部卿宮、判じる。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
終夜、物の音を合わせて遊ぶ。
 
明石の姫君、裳着。
 
二十余日、東宮の元服。
 
明石の姫君の入内、四月に延引。
調度、草子等のこと。
蛍兵部卿宮、六条院に参る。
人々、手蹟について物語。
蛍兵部卿宮、嵯峨の帝の古万葉集、延喜の帝の古今集等を召し寄せる。
 
内大臣(かつての頭中将)雲居雁の姫君のことを思い煩う。
 源氏の太政大臣は、いぶかしくも落ち着かない様子をしているものだと若君のことでお思い悩みになって
「あの人のことを諦めてしまったのなら、右大臣や、中務の宮などが意中をほのめかしていらっしゃるようだから、どちらにでも思い定めなさい」
とおっしゃるけれど、物もおっしゃらず、かしこまった御様子で控えておいでになる。
「こういうことは、畏れ多い父君ちちぎみの教えにすら従うつもりにならなかった私など口を出すのもおかしいのだけれど、今思い合わせるとあの教えこそ永代えいたいの手本となるものでしたよ。あなたのように寂しそうにしていると、思うところでもあるのかと世人も推し量るものですが、宿世に引かれて、世の常の人に結局なびいたりしては、竜頭蛇尾で人目に悪いことですよ。望みを高く持っても、心のままにはならず、限りがあることですし、好き者めいた心を保っていてはなりません。私も子供の頃より宮中で育って『この身を思いどおりにできずなんと窮屈な。いささかでも罪があれば、軽々しいとのそしりを負うだろう』とはばかっていてすらなお、好き者のとがを負うて世の中からたしなめられました。位も低くこれということもない身の程だからと油断して、心のままの振る舞いなどをなさいますな。心がおのずからおごってきても落ち着かせる理由になる人がない時には、女のことで、優れた人が、昔も、みだりがわしいことになったためしがあるのです。不相応なことに心を寄せて、人の浮き名をも立て、自らも恨みを負うたことが、ついのほだしとなったのですね。思い違いをしていて連れ添うた人で、自分の心にかなわず、忍ぶことの難しい節があったとしても、なお思い返すよう自分の心を修練して、あるいは相手の親の心のために譲り、あるいは、親がいなくて困窮していたとしても、人柄の気遣わしい人ならばその小さな美点に寄せて連れ添いなさい。ついには自分のため、人のためになるはずのそうした心こそ深いものであるはずです」
などと、のどかでつれづれな折にはこうした心遣いをのみお教えになる。こうした御諫言についても、戯れにもほかの人の心を慕うのは哀れなことだと、人に言われるまでもなくそう思われる。
 女も、父の内大臣の常より殊に悲しんでいらっしゃる御様子に、恥ずかしくいとわしい我が身よと物思いに沈んでいらっしゃるけれど、表面は何事もないように鷹揚に外を眺めて過ごしておいでになる。文は、男君が思い余るような折々、心からいとしいというふうにお書きになる。
 
 たが誠をか
 
(今更ほかに誰の誠を頼めようか)
 
と思いながらも、慣れた人なら強いて男の心を疑うところだが、この人はいとしく御覧になる折が多い。
「中務の宮が、太政大臣の御内意を承って、そういうことでまとまったそうですよ」
とある人が申したので、内大臣は、打って変わって胸も塞がったのであろう、忍んで
「こんなことを聞いたのですが、あの人のお心も不人情なものですね。あの父上が、口を入れてもこちらが毅然としていたもので方針を変えられたのでしょう。ここでもし心弱くなびいたら人笑わせなことでしょうね」
などと、涙を浮かべておっしゃると、姫君は、本当に恥ずかしくて、何とはなしに涙がこぼれるので、間が悪くて後ろを向いておいでになるのが、可憐なことこの上ない。「どうしようか。それでも、進んで意向を探ってみようか」などと内大臣が思い乱れつつお立ちになった余韻もそのままに、姫君は端近く物を思うておいでになる。「不思議なことに、心より先に涙の方が表れ出てしまったことだ。お父様にはどう思われたことだろう」などと様々に思うて坐っておいでになると文があり、さすがに御覧になるのである。細やかに
 
 つれなさは憂き世の常になりゆくを
 ・・忘れぬ人や人に異なる
 
(つれなさが二人の仲の常になってもあなたを忘れぬ私という人は世の人とは異なるのでしょうか)
 
とある。あのことについては僅かばかりもほのめかさないつれなさよとお思い続けになるにもつらいけれど
 
 限りとて忘れ難きを忘るるも
 ・・こや世になびく心なるらむ
 
(これを限りと、忘れ難いはずの私のことを忘れてしまうのも、これもまた、時の勢いになびく心なのでしょう)
 
とあるのを、不思議なことだと、放ってもおかれず、疑いながら見ておいでになる。(梅枝終)
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源氏物語

少女(三)

五節の舞のこと。
葵上の息子の君、直衣を許されて参内。
源氏、文を筑紫の五節に遣わす。
 そのまま五節の舞姫を皆めて宮仕えをさせようという御内意も主上にはあったのだけれどこの度は退出させて、近江守良清の娘は唐崎の、摂津守惟光のは難波のはらえをするというので、競うように退出してしまう。按察使大納言は、娘を格別な扱いで参上させるつもりでいる由を奏する。左衛門督は、不相応な人を奉ってとがめがあったのだけれど、主上はその人もおとどめになる。摂津守は、典侍ないしのすけの空いているところに私の娘をと申したので、そうなるように努めてやろうかと源氏の大臣も思っておいでになるのを、若君はお聞きになって、いたく口惜しく思う。
「もし年の程、位などがこう半人前でなかったらこの私がその娘を請うてみただろうに。思う心があるとさえ知られずにしまいそうなことだ」
と、取り分けてのことではないけれども、例の人のことに加えて涙ぐまれる折々もある。わらわ殿上をしていて、以前から常に自分のところへも参って奉仕しているこの娘の弟と、若君はいつもより親しくお語らいになって、五節はいつ内裏へ参るのかと問われる。今年中と聞いておりますがと弟は申し上げる。
「本当に麗しい人だったので、端たないまでに恋しいのです。そのお顔もお前は常に見ているのだろうと羨ましいけれど、また私に見せてくれないか」
とおっしゃれば、
「どうしてそんなことがございましょう。思いどおりに見ることなどとてもできません。はらからでも男だからと近くにも寄せてくれないのですから、まして公達の御覧に入れることなどどうしてございましょう」
と申し上げる。それならせめて文だけでもとおっしゃってよこした。先々もこんなことはしてはいけないと言われてきたのにと苦しがるけれど、強いて持たせるのでふびんになって持ってゆく。姉は年の割に気が利いていたのであろう、面白くそれを見た。その文というのは緑の薄様に好ましく重なった色の上にまだいとけない筆致ではあったが生い先も見えるように非常に面白く、
 
 日影にもしるかりけめや
 ・・乙女子が天の羽袖はそでに掛けし心は
 
(日陰のかずらではありませんが日の影にも明らかだったでしょうか。舞姫の天の羽衣のその袖を私が思っていたことは)
 
 姉弟二人してこれを見ている内に、父上がつと寄ってきた。恐ろしくてあきれてしまって、隠すこともできぬ。何の文だと言って取り上げると、娘は面を赤らめている。さては善からぬことをしたなと弟をなじると、逃げていくので、呼び寄せて誰からのだと問えば、大臣のところの六位の君がしかじかおっしゃって持たせられましたと言うので、怒りの名残もなくにっこりと笑って
「いかにも愛すべき、あの君の風流心よ。お前たちは、同じような年だけれど、ふがいなくたわいない者と見えるな」
などと褒めて母君にも見せる。
「もし少しでもこの子を人数ひとかずに思ってくださりそうなら、宮仕えをさせるよりは公達に奉ってしまおうかしら。大臣の御性格から見ると、その息子も見初めておしまいになった人のことはお心にお忘れにならぬことであろうと、本当に頼もしいのだがね。明石の入道のためしもあるけれど私もあれになろうかしら」
などと言うけれども、皆は宮仕えの準備を始めてしまっている。
花散里、若君の後見となる。
 
正月、源氏、白馬あおうまの節会を見る。
 
如月、朱雀院への行幸。
御前で学生がくしょうの試み。
帰るさに主上、源氏、弘徽殿の大后に対面。
 
若君、進士しんじに補せられる。
秋、除目で侍従に任ぜられる。
 
六条院、造作。
 
春、式部卿の宮、五十賀。
 
葉月、六条院を造り終わってお方々、転居。
 
長月、秋好中宮、紅葉を紫上に奉る。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
神無月、明石君、六条院に渡る。(少女終)
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源氏物語

少女(二)

葵上の息子の若君、あざなを付けられる。
入学。
寮試。
 
前斎宮の女御、立后。
 
源氏、太政大臣に任ぜられる。
 
葵上の息子の若君、内大臣(かつての頭中将)の娘の姫君とひいな遊び。 
内大臣、姫君のことで大宮を恨む。
石山師香『源氏物語八景絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 大宮が文で
 
内大臣のことを恨んでいらっしゃるかもしれませんね。あなたはそれでも、私の志のほどは御存じでしょう。こちらへいらしてお顔を見せていってくださいませ。
 
と連絡なさるので、あの雲居の雁の姫君は本当にかわいらしく引き繕っておいでになった。十四でいらしたのである。幼くお見えになるけれど、その至って子供らしいのが、しとやかで愛らしい様でもおありになる。
「傍らから離すことなく、明け暮れの遊び相手と思ってまいりましたのに、本当に寂しくなります。年のほども残り少のうて、あなたの御境遇も最後までは見られまいと寿命のことならそう思うてまいりましたが、今更に私を見捨ててどちらへお移りになるのであろうと思えば、本当に悲しゅうございます」
と言ってお泣きになる。姫君は、それを恥ずかしくお思いになるので、顔ももたげずにただお泣きになるばかりである。男君の乳母めのと、宰相の君が出てきて
「あなた様のことは我が君と同じように頼んでまいりましたのに、こうして口惜しくもお移りになるということで。殿は、ほかの人へという気におなりになりますとも、それになびいてはなりませんよ」
などとささやき申し上げれば、いよいよ恥ずかしくお思いになって、物もおっしゃらない。大宮は
「何とまあ、煩わしいことを申し上げるものではありません。人の宿世はそれぞれで、本当に定め難いのです」
とおっしゃる。
「いえもう、我が君を半人前と侮っておいでになるようですから。誠によもや我が君に、人に劣るところなどおありになるでしょうか。誰にでも聞き合わせてみなさい」
と、少しいら立ったままで言う。若君は、物の後ろに這入って坐ってこれを見ておいでになると、人にとがめられることも、もっとましな時ならば苦しがりもするが、今は本当に心細くてしきりに涙を押し拭っておいでになるその有り様を、乳母は、本当に心苦しいものと見て、とかく諮り申し上げるままに、大宮は夕まぐれの人の紛れに二人を対面させた。互いに恥ずかしく、胸も潰れて、物も言わず泣いておいでになる。
「大臣のお心も本当につらいことですし、とにかく考えるのをやめてしまおうと思うのですけれど、恋しさに耐え切れそうもありません。どうして、少し機会がありそうだった頃に、あなたをよそに隔てていたのだろう」
とおっしゃる様も本当に若々しく切ないので、
「私も、あなたと同じでしょう」
と姫君はおっしゃる。
「きっと恋しいと思ってくださいますか」
とおっしゃると、少しうなずかれる様も幼げである。
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少女(一)

四月一日、衣替えに喪服を改める。
朝顔の斎院、除服。源氏、見舞う。
 
葵上の息子の若君、元服。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 源氏は息子を四位にしたらいいと思っておいでで、世人も、そうなるものと思っていたが、「まだ本当に幼い様子をしているのに、幾ら私の思いどおりになる世の中だとてそう卒爾なことをするのも、かえって月並みなことだ」とそれはお諦めになった。孫君が六位の浅葱あさぎ色で殿上にお帰りになるのを大宮は、面白くなくあきれたことに思っておいでになるのは、それもそのはずで哀れなことであった。大宮との御対面があってこれについて言われると、
「ただ今、そう強いてあの子を年齢以上に見せようとするつもりはないのですけれど、それには思うところがございまして。あの子にはしばし大学で道を習わせようという本意がありまして、今二、三年はむなしい年と思うておくことにして、おのずから朝廷に奉仕すべき折にもなれば今に、きっと一人前にもなることでしょう。自分は禁裏の内で成長しまして世の中の有り様も存じません。夜昼、父上の御前に伺候して、僅かに、たわいない文なども習うたものです。ただその畏れ多いお手より伝授されましてすら、何事も、広くは道理を知らぬほどに、学問をするにも、琴、笛の調べであってもそのは聞くに堪えないのですが、及ばぬところが多くあるのでございます。そうかと言って頼りない親に、優れた子がまさっているようなためしも、本当にめったにあることではございませんから、まして、子孫に伝わりつつ隔たってゆく先々の様子がいたく心に掛かりますによってこう思い定めたのでございます。良家の子弟として官位も心のままになり、時勢も今や盛りとおごることに慣れてしまえば、学問などに身を苦しめることには、本当に興味を感じなくなることでしょう。遊び事を好んだままで、心のままの官爵に昇ってしまえば、時に従う世人も、心の中では鼻をうごめかしつつも、追従し機嫌をとって自分に従っているその間は、おのずから一人前で特別な者のようにも感じられますけれど、時も移り、相応の人に死に後れて勢いも衰えたその末には、人に軽んじられ侮られて、頼るところもなくなることでございましょう。やはり、学問を基としてこそ、大和魂も、世に用いられることは著しくなるのでしょう。差し当たりはじれったいようでございますけれど、ついには世の中を治めることのできる心構えを習っておけば、私が亡くなってしまった後でも心安うございますによって。ただ今は頼りがいもありませずながら、私がこうして庇護しておれば、貧に迫った、大学の衆と言って笑い侮る人も、まさかございますまいとこう思うておるのです」
などと言ってお知らせになるので、大宮はお嘆きになって
「誠にそうも考え及ぶべきことではありますけれど大将なども、余り期待に反したことに思うて疑っているようで、あの子も幼心にはいたく口惜しそうに、大将や、左衛門督さえもんのかみの子供など、自分よりは下臈と見下げていた従兄弟たちですら、皆各々加階昇進してはませたふうをしているのに、自分は浅葱のままなのが至ってつらいと思われているのでそれが心苦しゅうございます」
とおっしゃれば、源氏はお笑いになって
「本当にませた恨みようですね。いたくたわいもないものだ。あの子の様子といったら」
と言って、本当に愛すべき者と思っておいでになる。
「学問などをして少し物の道理を心得ましたら、きっとその恨みもおのずから解けることでしょう」
とおっしゃる。
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朝顔(三)

師走、二条院にあって紫上と語る。
 
雪まろげ。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
昔の人々について紫上と物語をする。
 鴛鴦おしどりが鳴いているので
 
・・かきつめて昔恋しき雪もよに
・・・あはれを添ふる鴛鴦をし浮き寝憂き音
 
(昔の恋しさも積もるようなこの雪降りに悲しみを添えている、浮き寝の鴛鴦おしどりの切ない声よ)
 
部屋に這入っても藤壺の宮のことを思いつつお休みになったところ、夢というのでもなくほのかにお見えになった。はなはだ恨んでいらっしゃる御様子で
「漏らしはしまいとおっしゃったのに、浮き名が隠れものうございますので、恥ずかしく苦しい目を見ますにつけても恨めしゅうございます」
とおっしゃる。返事を申し上げようとお思いになると、襲われるような心地がして、紫の女君が
「これは、どうしてこんな」
とおっしゃるので目が覚めて、はなはだ口惜しく、胸が、置き所もなく騒ぐので、それを抑えていても涙は流れ出てしまった。ただ今も、ますます涙にぬれている。女君は、どうしたことかとお思いになるけれど、源氏は身じろぎもせず伏したままである。
 
・・解けて寝ぬ寝覚め寂しき冬の夜に
・・・結ぼほれつる夢の短さ
 
(心置きなく寝ることもできず寝覚めも寂しい冬の夜は、結ぼれる夢も短いことだ)
 
かえって物足りなく悲しくお思いになるので、早く起き出されて、それとなく所々で誦経じゅきょうなどをおせさになった。
「苦しい目を見せてくださいましたねと恨んでいらしたが、そうも思われることであろう。お勤めもなさり、よろずに罪の軽そうであった御境遇でありながら、あの一事のためにこの世の濁りをすすぐことがおできにならなかったのであろう」とその訳をお考えになるにもひどく悲しいので、「どのようなことをしても、知る人もない世界にいらっしゃるとかいうところへお見舞いを申し上げに参って罪を代わってあげられたら」などとつくづくとお思いになる。
 この人のために取り立てて何かなさることも「人にとがめられよう。主上も、やましくお思いになるであろう」と気後れがするので、阿弥陀仏を心に掛けて念じられる。同じはちすにというのであろう。
 
・・亡き人を慕ふ心に任せても
・・・影見ぬ三つの瀬にや惑はむ
 
(亡き人を慕う心に任せて行っても、その影も見えぬ三途の川に惑うことであろう)
 
と思われるのがつらかったとか。(朝顔終)
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朝顔(二)

霜月また桃園宮に参る。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 やや久しくとかくに引っ張ってから開けてお這入りになる。宮の居室でいつものようにお話をなさると、何でもない昔物語を始めとして宮は話し尽くされるけれど、お耳を驚かすこともなく源氏は眠たくなって、宮も、あくびをなさって、宵から眠とうございましてしまいまで物も申せませんとおっしゃる間もなく、いびきであろうか、分からぬ音が聞こえてくるので、源氏は喜びながら立って出ようとなさるところへ、また一人、いたく老人臭いせき払いをして参る人があった。
「畏れ多いことですけれど、私のことは聞いていて御存じだろうとお頼み申し上げておりますのに、この世に在る人の数にも入れていただけないのでしょうね。院は、御婆大殿おばおとどと笑ってくださいましたが」
などと名乗り出るので思い出されるのである。源典侍といったその人は、尼になってこの宮の弟子として修しているのだとは聞いていたけれど、今でもこの世に在ったとは知らなかったので、驚いてしまう。
「先の御代のことも皆、昔語りになりまして、はるかに思い出すにも心細うございますのに、うれしいお声ですね。親無しに伏せる旅人として庇護してくださいませ」
と言って物に寄って坐っていらっしゃる御様子に、尼はますます昔を思い出して、昔に変わらずなまめかしく取り繕いながら、さすがに歯もまばらになった口つきが思いやられるその声遣いは舌足らずで、なおも気を利かせることを考えている。
 
ああ言ひこし程に
 
(この身をつらいと言ってきたその間に、今はあなたの身の上も嘆かねばならなくなりましたね)
 
などと言い寄るのには目をそばめられた。今になって老いが来たようなことをなどと頬笑まれるのではあるが、それとは裏腹に、この人がいとおしくもある。「この人の盛りの時に競い争われた女御、更衣も、あるいは全くお亡くなりになり、あるいは、かいなくはかない一生をさすらっておいでになる人もあるらしい。あの入道の中宮などのお年を思っても」と浅ましいばかりのこの世に、年のほど、命の残りも少なそうで、心ばえなども、たわいなく見えたこの人が生き残り、のどやかに、お勤めをもして過ごしておったとは、やはりおよそ定めないこの世であるとお思いになるにも切なそうな御様子に、尼は心も弾み若やいだ。
 
ああ年ふれどの契りこそ忘られね
あああ親の親とか言ひし一言
 
(年を経ましたけれど親子のような契りを忘れられないのです。親の親とか院がおっしゃいました一言のせいで)
 
と言うので、気味が悪くて
身を変へてのちも待ち見よ
あああこの世にて親を忘るるためしありやと
 
(生まれ変わった後の世でも待ち受けて見ていてください。前世の親を子が忘れるためしがあろうかと)
 
心強い契りですね。今に、静かにお話ができるはずです」
と言って立っておしまいになる。西表にしおもてでは、しとみを下ろしてあるけれども、いとうているようになるのもどうかと一間二間は下ろしていない。月が差し始めておりうっすらと積もった雪がそれに光り合って、かえっていたく面白い夜の様である。先ほどの人のように、老いて人に良く思われたがるのも、冬の月と同じように、良からぬことの世のたとえと聞いているがと思い出されておかしかった。こよいは至ってまめやかに言い寄られて
「一言、憎いとでも人づてでなく言ってくださいましたら、それを折として諦めましょう」
と、熱っぽくお責めになるけれども、「昔、私もこの人も若く、罪も許されていた時ですら、亡き父上などがこの人をひいきにしていらしたけれどあるまじく恥ずかしいことにお思い申し上げて終わってしまったのに、今は盛りも過ぎ、似合わしくもない身分で、ただ一声であったとしても本当に恥ずかしかろう」とお思いになって、更にどうなさる気配もおありにならないので、思いの外にむごいことだと源氏はお思いになる。さすがに情けもなく放ってはおかれず、人づてに返書を下さるのもいら立たしいのである。夜もいたく更けてゆくと風の音が激しくなって、本当に心細く思われるので、品良く涙を押し拭われて
 
ああつれなさを昔に懲りぬ心こそ
あああ人のつらきに添へてつらけれ
 
(とうの昔にあなたのつれなさに懲りてしまわなかった私の心が、あなたの恨めしさに添えても恨めしいのです)
 
ああ心づからの
 
(おのが心よりのことですので)
 
といよいよお言い寄りになるのを、誠にお気の毒なと人々はいつものように申し上げる。
改めて何かは見えむ
 ああ人の上にかかりと聞きし心変はりを
 
(どうしてこの心を変えてあなたに御覧に入れましょう。人の身の上には、そんなこともあったと聞きますが)
 
昔に変わることには慣れておりません」
などとおっしゃった。
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源氏物語

朝顔(一)

九月、斎院、喪で桃園宮に移る。
源氏、桃園宮に参る。
翌朝、前斎院に朝顔の花を奉る。
伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 今更再び、若々しい書きぶりをお示しになったりすることなども、似合わしくないようにお思いになるけれど、なお、こんなふうに昔から避けられてもいない様子でありながら飽き足りることもないまま過ぎてしまったことを思っては、このまま終われようはずもなく思われるので、昔に立ち返ってまめやかにお言い寄りになる。東の対に紫上から離れておいでになって、朝顔の宮のところの宣旨を迎えてお語らいになる。そちらに伺候する人々のうちで、さほどの身分でもない者の言葉にすらなびかされそうな者たちなどは、過ちもしそうなほどに源氏のことをめで申し上げるけれど、宮は、その昔にすら気持ちは殊の外に離れていらしたのに今はまして、二人とも恋などしそうもないよわいでもあり声望でもあり、「たわいない木や草に付けた文に折を見過ごさず返事をしたりすることも、軽々しいとうわさされていようか」などと人の物言いをはばかられては、打ち解けておあげになりそうな気配もないので、昔に変わらぬ様子のそのお心を、世の人とは変わって、珍しいとも憎らしいとも源氏はお思いになる。こんなことが世の中に漏れ聞こえて
「それは前斎院に懇ろに言い寄っておいでになるからですよ。女五の宮なども、それを悪くないと思っておいでになるそうです。そうなったら似合わしい取り合わせでございましょうね」
などと言っていたのを、西の対の紫上は伝え聞かれて、しばしは「そうはいっても、そんなことがあったなら、隔てを置いて黙ってはおいでになるまい」とお思いになるけれども、ふと目をつけて御覧になると御様子もいつもと違って落ち着きがない。それがまた情けなく、「はなはだ真面目に思い込んでいらしたことを何でもない戯れのように言いなしておいでになったのだろう。あの方は私と同じ血筋ではあるけれど、声望は格別で、昔より、やんごとないお方と聞こえておいでになるのに、そちらにお心も移ってしまえば情けないことにもなろう。さすがに年来のお取り計らいには、立ち並ぶ人もいないことに慣れてしまって、そうしてから人に押しやられることになろうとは」などと人知れず悲しまれる。「連絡も絶え、名残もないようなお取扱いはなさらずとも、本当に頼りなかった私の姿を年来見慣れておいでになったその親しみが、侮りやすいところにもなるのだろう」などと様々に思い乱れられるけれども、平凡なことならば、怨じてみせたりして、憎からずおっしゃるところが、本当に恨めしくお思いになることなので、紫上は色にもお出しにならぬ。源氏は端近く物を思いがちで、しきりに宮仕えをなさっては、勤めのようにしてあちらへ文をお書きになるので、「誠に世の人の言葉も根拠がなくはなかったようだ。せめてそれとなくほのめかしてくださっていたら」と、疎ましくばかりお思いになる。