釜飯屋の更級日記

葵(四)

源氏の北の方、二十六歳、鳥戸野とりべのに葬送される。
幻の源氏物語絵巻『葵』 メトロポリタン美術館コレクションより
 左大臣家に御到着になっても、源氏は少しも寝られない。年来の御様子をお思い出しになっては、「ついにはおのずから見直してくださるに違いないと、どうしてそうのんきに考えて、なおざりな慰み事につけては薄情に思わせていたのだろう。世を経て終わりまで、気を許してくださらないままに過ぎてしまったことだ」などと、後悔も多く思い続けられるけれどもかいがない。にび色の服を着ておいでになるのも夢のような心地がして「もし私が先立っていたら、深くお染めになったことであろう」とお思いになり、
 
  限りあれば薄墨衣浅けれど
   涙ぞ袖をとなしける
 
(定めあって、この喪服の薄墨色は浅いけれども、涙は袖を深いふちにしているのです)
 
と言って念誦しておいでになる様はますます艶に美しく、経を忍びやかにお読みになりつつ
 
  法界三昧普賢大士ほうかいさんまいふげんだいじ
 
と言っておいでになるのは、勤め慣れている法師よりも格別である。我が子を御覧になるにもますます湿りがちになりつつ
 
  何に忍ぶの
 
(形見の子すらなかったら何を、昔をしのぶ種としよう)
 
と物思いをお晴らしになる。母宮は、深く憂いに沈んで、そのまま起き上がりもなさらず危うげにお見えになるので、また皆のお心も騒いでお祈りなどおさせになる。あっけなく時は過ぎて法要の御準備などおさせになるにも、思い掛けなかったことなので、尽きることもなく悲しいのである。凡庸な子のことをすら、親はどれほど心に掛けることであろう。これはなおさらそうなるはずの人である。姉妹がまたおありにならないことをすら、物足りなく思っておいでになったのに、これは袖の上の玉が砕けてしまうよりもひどい。大将の君は、二条院にすらちっともお通いにならず、深くお悲しみになって、お勤めをまめになさりつつ明かし暮らされる。所々へは、文ばかりをおやりになる。あの御息所へは、娘の斎宮と左衛門さえもんつかさにお這入りになってしまってからはますますいかめしい物忌みにかこつけて音信をも通じない。つらいものと深く思うようになったこの世のこともなべていとわしいまでになって「せめてあのほだしの子さえ添うていなければ、願いのままにこの姿を変えてしまうのだが」とお思いになるにもまず、対の屋の姫君がお寂しゅうしているであろう様子がふと思いやられるのである。夜は御帳台の内の床に独りお伏しになり、宿直とのい人々ならば周りに近く伺候しているけれど傍らが寂しくて
 
  時しもあれ
 
(よりによって秋という季節に人とは別れられようか)
 
と寝覚めがちなので、声の優れた僧の限りをえって伺候させる念仏に、夜明けが近付くと涙を忍び難くなる。「晩秋の物悲しさの増さりゆく風の音は、身に染みるものだな」と、慣れぬ独り寝に明かし兼ねた朝ぼらけには霧が一面に立っているところへ、菊の花の咲きかけの枝に、濃い青にび色の文を付けて置いて去った者がある。しゃれているなと言って御覧になれば、御息所の手だ。
 
御連絡の間が空きましたことは理解してくださいますね。
 人の世をあはれと聞くも露けきに
  後るる袖を思ひこそやれ
(人の命のはかなさを聞くにも、菊の露のような涙が増えますのに、先立たれたあなたの袖を思いやっています)
ただ今の空の美しさに思い余りまして。

 
とある。「常よりも優にお書きになってあることだ」と、さすがに捨て難く御覧になるのではあるけれども、何事もなかったようにこんなお見舞いを、と面白くもない。さりとて、連絡も音沙汰もないのは哀れであり、恋人の名の朽ちようことにお心も乱れておいでになる。「亡くなった人は、とにもかくにもそういう運命でいらしたのだろうが、どうしてあんなところをはっきりと定かに見聞きしたことであろう」と悔やまれるのは、御自分のお心ではありながら、この人のことを思い直すようにはなれそうになかったのだろう。
 斎宮の物忌みにも気が置かれたりして、久しく思い煩うておいでになるけれども、わざわざお書きになったのに返書がないのは不人情なので、にび色がかった紫の紙に
 
殊の外、程を経てしまいましたけれど、思いを絶やしたことはありません。さりながら、はばかりのある間のこととて理解してくださるでしょうと。
 留まる身も消えしも同じ
  露の世に心置くらむ程ぞはかなき
(とどまる私も消えたあの人も同じこと。露のようなこの世に心を残していられるのもつかの間のことです)
ひとまず忘れておしまいなさい。見てくださるか分かりませんのでこれくらいで。

 
とお書きになった。
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