釜飯屋の更級日記

須磨(一)

 至って煩わしく間の悪いことのみが増さるので、強いて知らぬ顔で世間に在って年月としつきを経てもこれよりはなはだしいことになるのではないかと源氏は思うようにおなりになった。
文箱 メトロポリタン美術館コレクションより
 須磨というところは、昔は人の住みかなどもあったが、今は、いたく人里離れており、物寂しくて、海士あまの家すらまれであるなどとお聞きにはなるけれども、雑然として人の密な住まいは非常に不本意であったろう。さりとて、今住んでいる都を遠ざかるのも心もとないであろうから、人目に悪いほど思い乱れられる。よろずのこと、来し方行く末を思い続けられると、悲しみは本当に様々である。住むにはつらいこの世の中と思い切っても、もはやこれまでと離れておしまいになるには、至って捨て難いことが多くある中にも、紫の姫君が明け暮れ悲しんでおいでになる様が気遣わしくいとおしいので、
 
  行き巡りても
 
(一巡りしても)
 
また必ず相見るであろうと、こうお思いになってはみてもなお「一日二日の間、別れ別れに明かし暮らす折すら、心もとなく思われて、女君も、心細くお思いになるばかりであるのに、幾とせの間という定めのある道でもなし、
 
  会ふを限りに
 
(こうして会っているのを限りとして)
 
隔たってゆけば、定めないこの世には、そのまま別れの門出ともなりはしまいか」と悲しく思われるので、忍んで姫君もろともにもと考え及ぶ折もあるけれど、そんなに心細い海のほとりの、波風よりほかに立ち交じる人もないようなところに、こんな可憐な御様子のまま引き連れていっておしまいになるのも、至って似合わしくなく、自分にとってもかえって物思いの切っ掛けになることであろうなどと思い返されるのに、女君は、ひどい道でも取り残されずにさえいられればと、それとなく言っては恨めしそうに思っておいでになる。
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