釜飯屋の更級日記

須磨(四)

源氏、二十七歳。
花の頃の都を思う。
 
三位中将(かつての頭中将)宰相中将に任ぜられて須磨の配所に来訪。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 弥生の初めに来た巳の日に、
「今日は、こんなふうに、お心に掛かることのある人は、みそぎをなさらねばなりません」
と、小ざかしい人が申し上げるので、源氏は海のほとりも御覧になりたくて出ておいでになる。いたく粗略に軟障ぜじょうばかりを引き巡らして、京からこの国に通っているというある陰陽師を召してはらえをおせさになる。舟に事々しい形代を乗せて流すのを御覧になると、それが我が身によそえられて
 
  知らざりし大海おほうみの原に流れきて
   一方人形にやは 物は悲しき
 
(知らなかったこの大海原に流れてきて、私はこの形代のようだ。一方ならず悲しい)
 
と言って坐っておいでになる御様子は、こんな晴天に出会っては、言いようもなくお見えになる。海は、うらうらと一面にないでいて、舟が当てどもなく流れてゆくので、自らの来し方行く先のことも思い続けられて、
 
  八百よろづ 神もあはれと思ふらむ
   犯せる罪のそれとなければ
 
(八百よろずの神も哀れに思うであろう。これという罪を犯したのではないのだから)
 
とおっしゃると、にわかに風が吹き出して空もすっかり暗くなってしまう。はらえも終えず立ち騒いでいる。にわか雨が降ってきていたく慌ただしいので皆、帰ろうとはなさるけれど、かさを取ることもできない。こんなことは予想もしていなかったけれど、よろずのものが吹き散らされ、またとない風である。波は、いたく激しく立って、人々は大急ぎ。海面いっぱいに、ふすまを張ったように光っては、雷が鳴り、ひらめく。それが落ち掛かってくるような心地がしてようよう道をたどってきて
「こんな目は見たこともない。風などは、吹くときも気配があるものだが、これはひどく珍しいことだ」
とうろたえていると、なおもやまずに雷は辺りに鳴って、雨の脚は、当たれば向こうへ通りそうなほどバラバラと落ちる。これで寿命も尽きてしまうかと、心細く思い惑うているのに、源氏の君はゆったりと経を誦しておいでになる。
 暮れてしまうと雷は少し鳴りやんで、風は夜になっても吹いている。
「多く立てた願の力だろう」
「今しばしあのままだったら、波に引かれて海に這入ってしまっただろうね」
「高潮というものにはあっと言う間もなく人は損なわれるものだとは聞くけれども、本当にこんなことはまだ知らないよ」
と言い合っている。
 暁方、皆は休んでいる。源氏の君もいささか寝入っておいでになったところ……
 
どんな装いとも見えぬ人がこちらの方へ来て
「なぜ、宮からお召しがあるのに参上しないのだろう」
と言って捜し回っている……
 
と見て目が覚めて「それでは海の中の竜王が、いたく私をめでてそれに魅入られたのだな」とお思いになると本当にいとわしく、この住まいを、耐え難くお思いになるようになった。(須磨終)
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