釜飯屋の更級日記

松風(一)

二条の東の院を造り終わって花散里が移る。
源氏、明石上に上洛すべき由を伝える。
大堰おおいの山荘を修理。
 
明石上、母と姫君を具して上洛して大堰の家に住む。
石山師香『源氏物語八景絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
「桂の院というところをにわかに造らせておいでになると聞くけれど、そこにあの人をお据えになったのだろう」とこうお思いになるにもつまらないので、
おのただれてお改めになるほどの間そちらにいらっしゃるのでしょうね。待ちわびてしまいます」
と心行くこともない紫上である。
「いつもの偏屈なお心ですね。私も今は昔の様子の名残もなくなったと世の人からは言われているようですが」
何やかやと機嫌をとっていらっしゃる間に、日もたけてしまう。忍びやかに、疎い者はお先乗りに交じえず気配りをしてお移りになった。たそがれ時に御到着になった。狩衣姿でいらした折にすら、喩えようもない心地がしたというのに、まして、そのつもりで引き繕っておいでになる直衣姿は、世にないほど若々しく目ばゆい心地がするので、思い乱れてむせんでいた明石上の子故の闇も晴れるようである。そのお子も源氏にとっては珍しくていとしくて、御覧になるにも、どうして、思いは浅かろう。今まで隔ててしまった年月すらも、ひどく悔やまれるほどである。「太政大臣家の君を愛らしいと言って世人が騒ぐのはやはり、時世に従おうというので人はそう見なすのだ。しかしこんなにも、優れた人になる兆しというものは際立ったものなのだ」と、何気なくにっこり笑ったその顔に愛敬があり艶やかなのをはなはだ可憐にお思いになる。あの乳母は、明石に下っていた折は衰えていた容貌も成長するに従って立派になり数箇月この方のことを親しげに申し上げたりするので、悲しくもあんな塩釜の傍らで過ごしていたことを思って源氏はこうおっしゃる。
「ここだって、いたく人里離れて、通うのも難しいのだから、やはり、あの私の本意のところにお移りなさいよ」
とおっしゃるけれども、本当に物慣れない間はここで過ごしましてそれからぜひと申し上げるのももっともである。
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