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源氏物語

澪標(三)

皐月五日、明石の姫君の五十日いかいわい
 
源氏、五月雨の頃、花散里の方に渡る。
『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
源氏、元のごとく淑景舎を曹司とする。
 
藤壺、太上天皇に準じた御封みふを賜る。
 
葉月、権中納言(かつての頭中将)の娘、入内。
 その秋、源氏は住吉に詣でられる。お礼参りをなさろうということだから立派な行列で世の中もどよめいて、月卿雲客が我も我もと奉仕なさる。折しも、あの、明石の人も、いつもは年ごとに詣でていたのを、去年今年は、障ることがあって中断していたそのおわびを兼ねて参詣を思い立った。舟にて詣でたのである。岸に着けたその折に、見れば、言い騒ぎながら詣でていらっしゃる人の物音が、なぎさに満ちていて、いかめしい奉納品を持って連なっている。楽人がくにんとおつらなどは、装束を整え、その容貌も選んである。どなたが詣でられたのかと人が問うたところ「内大臣殿が、お礼参りで詣でられたのに、それを知らぬ人もあったのだな」と言って、たわいない身分の下衆すら心地よさそうに笑っている。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
「本当に驚いた。月日は幾らもあるというのに。かえって、こんな御境遇を遠くに見てしまうと、自分の身の程が取るに足らないものにも思えてしまう。あの方から懸け離れた宿世とばかりも言えないながら、あんな取るに足らない身分の者ですら物思いもなさそうにこの奉仕を晴れがましく思っているようなのに、どれほど罪深い身だというので、心に掛けて待ち遠しくあの方を思い申し上げつつ、こんな評判になっていたことも知らずに出てきてしまったのだろう」などと思い続けていると、いたく悲しくて人知れず袖もぬれそぼった。深緑の松原に花紅葉をこき散らしたように見える、色の濃いあるいは薄い上のきぬが、数えきれないほどだ。六位の中でも蔵人のきぬは青色が際立って見え、あの賀茂の水垣を恨んだ右近将監うこんのじょうも、衛門尉えもんのじょうになって、事々しそうな随身を連れた蔵人となっている。良清も、衛門佐えもんのすけになって、人より殊に物思いもないような様子で仰山な赤ぎぬ姿の至って良い姿である。
海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
前斎宮帰京。母である六条御息所、病によって尼となる。
源氏、六条御息所のところに参る。
七、八日後、御息所死去。
文を前斎宮に奉る。
『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
朱雀院、前斎宮を思う。
 
源氏、藤壺に参って前斎宮入内のことを申す。(澪標終)
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源氏物語

澪標(二)


宮内卿の宰相の娘を明石の姫君の乳母として下向させる。
 紫の君には、明石のお産のことを言葉に表してはおさおさおっしゃっていなかったけれど、あれこれ聞いておいでになることがあるといけないからとお思いになって
「まあそういうことらしいよ。不思議にねじけた話でね。そうもなってほしいと思う辺りには待たされて思いの外のところにというのが口惜しいのです。女の子だそうだから、本当にいとわしいことですよ。訪ねず知らずでもいられるはずのことですが、そうそう見捨てられそうになくってね。呼びにやってあなたにも見せ奉りましょう。憎んではいけませんよ」
とおっしゃれば、面も赤らんで
「不思議なことに平生から、そんな筋のことを言い聞かせられてしまう私の心のほどが、我ながら疎ましいのです。こう人を憎むことは、いつ習ったのでしょうね」
と怨ぜられるので、源氏はにっこりと笑って
「そうだね。誰がしつけたのだろう。それにしてもそんなお姿を見るのは心外ですよ。人の本意ではない想像をして怨じたりなさるとはね。考えると悲しいことです」
と言って果ての果ては涙ぐまれる。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 年来、物足りなく恋しいと思ってくださったお心の内、折々には文を通わしたことなどをお思い出しになるにも「よろずのことは、慰み事であったのだ」と紫上は忘れてしまおうとなさる。
「あの人をこんなにまで思いやって物を言うのはなお、そう考える訳があるのですよ。しかし早くより申し上げればまた思い違いをなさるはずですから」と言いさされて「人柄が立派であったのも、所柄か、珍しく思われましてね」
などとお語りになる。夕べに塩を焼く煙の美しかったこと、その人が答えて言った言葉、正面からではないけれどその夜ほのかに姿を見たこと、琴のが艶に美しく聞こえていたことなどを総て、お心に留まったというふうに口に出しておっしゃるのにも、「自分は、又となく悲しんでいたのに、慰み事ではあっても心を分けておいでになったのだろう」とただならずお思い続けになって私は私というふうに後ろを向いて物を思うまま、私たちの仲も美しいものでしたねなどと独り言のように嘆いて
 
  思ふどちなびく方にはあらずとも
   我ぞけぶりに先立ちなまし
 
(思い合ったどうしのあなたたちがなびく方へでなくとも、私など煙になって先立ってしまえばいいのです)
 
「何だってまた。面白くもない。
 
  たれにより 世を憂み山に行き巡り
   絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
 
(誰のために、この世のつらさ故に海山を巡りゆき、絶えぬ涙に浮いては沈んでいるこの身でしょうか)
 
いやもう、いかにしてこの心を見せ奉りましょうか。総て見せるには命の方が、ままならぬもののようですけれど。だからこそたわいないことで人から面白くない思いを抱かれまいとそう思うのですが、それもただあなた一人の故なのですよ」
と言って箏を引き寄せて気の向くままに試し弾きをなさり、紫上にも勧められるけれど、例の人がこれに優れていたとかいうのが妬ましいのか、手もお触れにならない。
 この人は至って鷹揚で愛らしく、たおやかでいらっしゃるのだけれどさすがに、執念深いところがあって怨ぜられたのが、かえって愛敬があって、腹を立てられるのを、かわいらしく見所があると源氏はお思いになる。
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澪標(一)

神無月、源氏、故桐壺院のために御八講みはこうを行う。
 
帝、朧月夜と物語。
 
如月、東宮御元服。
同二十余日、東宮受禅。
承香しょうきょう殿女御と院との御子、立太子。
同時に源氏、内大臣に任ぜられる。
致仕の左大臣、摂政太政大臣に任ぜられる。
 
宰相中将(かつての頭中将)権中納言に任ぜられる。
四の君の娘を入内させようとする。
 
二条院の東の院、造作。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
弥生十六日、明石上お産。
 かつての宿曜すくようの占いの中でも、
「お子は三人。帝、后が必ず並んでお生まれになるはずです。最も下の者も、太政大臣として位人臣を極めるはずでございます」
と申していたことが取り分けかなったようだ。大体、御自分が無上の位に昇り、世の政を行うことになるはずと、あれほど優れた、あまたの人相見たちが口々に言っていたことを、年来は、世の中の煩わしさに皆考えないようにしておいでになったのに、藤壺の子である当代の御即位がこうしてかなったことを思いどおりのことでうれしいとお思いになる。自らも避けておいでになる筋の予言については、更にありそうもないこととお思いになる。「あまたの皇子たちの中でも優れてかわいがってくださったのにそれでも臣下とお思い定めになったそのお心を思うにも、宿世はそこから遠かったのだ。主上がこうしていらっしゃるのだから、あらわに人は知らぬことだが人相見のあの言葉も根拠のないことではなかったのだ」とお心の内にお思いになった。
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明石(三)

帝、夢に故桐壺院を御覧になる。
 
太政大臣(かつての右大臣)薨御。
 入道は忍んでまずまずの日柄を見て、母君がとかく思い煩うのを聞き入れず、弟子どもなどにすら知らせず心一つに、起き伏し丘辺の家を輝くばかりにしつらえて、十三日の月が際やかに差し始めた折に源氏にただ
 
  あたら夜の
 
(惜しむべきこの夜の月と花とを、同じことなら、美を知っている人にお見せできましたら)
 
と申し上げた。源氏の君は、物好きのようだとお思いになるけれども、お直衣を繕ってお召しになり、夜更けに御出発になる。お車も、二つとなくこしらえてあったのだけれど、窮屈だと言ってお馬で御出発になる。惟光などばかりを伺候させておいでになる。丘辺の家はやや遠く這入ったところなのである。道中も、周りの浦々を見渡されて、思い合ったどうしで見たいような入り江の月影にも、まずは、恋しいあの人のことをお思い出しになるので、そのまま馬を引いてそこを過ぎ、都へ赴いてしまおうかとお思いになる。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
  秋の夜の月毛の駒よ
   我が恋ふる雲居をかけれ 時の間も見む
 
(秋の夜の月ではないが、この月毛の駒よ、私が恋うている空をかけてくれ。時の間でもあの人を見よう)
 
と独りごたれる。その家の造りようは、木立が茂って、厳かなところが勝っており、見所のある住まいである。海のほとりの家は、立派で面白かったが、こちらは、心細く住んでいる様が、こんなところにいては物思いも残すところがあるまいと想像されて切ない。三昧堂が近くて、鐘の声が、松風に響き合って物悲しく、岩に生えている松の根差しも、趣のある様子である。前栽では虫が、声を尽くしている。
石山師香いしやまもろか『源氏物語八景絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 ここかしこの様子などを御覧になる。娘を住まわせているところは殊に磨いてあって、月を入れている真木の戸口は、僅かばかり押し開けてある。ためらいながら、源氏が何かとおっしゃるにも、そんなにまでは見せ奉るまいと、深く思っているようなので、嘆かわしくも打ち解けないそんな性分を「殊の外に一人前らしくもしているな。親しくなってくださりそうもない身分の人ですら、これほどに言い寄っていれば情に引かされたものなのに、本当にこんなにも落ちぶれてしまったので侮られるのだろうか」と、憎らしそうに様々に思い悩んでいらっしゃる。「不人情に無理やりにというのも、事宜に外れる。意地の張り合いに負けるのも人目に悪いけれど」などと思い乱れながらお恨みになる様は誠に、物事をわきまえているとかいう人にこそ見せたいものである。近くの几帳のひもが箏に当たっ て音が鳴ったのも、素振りもしどけなく打ち解けながらまさぐっていたであろうその様子が見えるようで面白く、よく話に聞いておりますその琴だけでもなどとよろずにおっしゃる。
 
  むつ言を語り合はせむ人もがな
   憂き世の夢も半ば覚むやと
 
(むつ言を共に語る人がいてほしいのです。そうすればつらいこの世の夢も半ばは覚めるかと)
 
  明けぬ夜にやがて惑へる心には
   いづれを夢と分きて語らむ
 
無明長夜むみょうぢょうやにそのまま迷っているようなこの心では、どちらを夢と分けて語れましょう)
 
返歌のほのかな気配は、伊勢の御息所に本当によく似ている。何気なく打ち解けて坐っていて思いも掛けないところだったので本当にどうしようもなくて、近くにあった障子の内に這入って、どうやって固めたものか本当に緩みそうになかったから、強いて無理やりにはお開けにならないようである。されど、そうしてばかりもどうしていられようか。その人柄は至って品が良く、ほっそりとしていて、気を許せないような様子をしているのである。こうも強引な契りとなったことをお思いになるにも、感慨は浅くない。近寄って見て思慕も増さったらしく、平生はいとわしい、夜の長さも、今は早く明けてしまったという心地がするので、人に知られまいとお思いになるにも心が落ち着かなくて、懇ろに語らっておいて出ておしまいになる。きぬぎぬの文は、今日はいたく忍んで出してきたのである。むやみにやましくなられたのであろうか。女の方でも、こんなことはどうしても漏らすまいとして文の使いを、事々しくももてなさないことに、入道は胸を痛めている。その後は男も、忍びつつ時々おいでになるのみである。それは「道のりも少し離れているしおのずから、口さがない海人が交じってきて見られたりしないだろうか」と気兼ねをしておいでになったのだが、女の方ではそれを案の定おいでがなくなったと悲しんでいるので、誠にどうなるのであろうと入道も、極楽への願いも忘れてただその気配を待つということになった。こうして今更に心を乱すことになるのも、至って哀れなことである。
 こんなことを二条院の君が、風の便りにも漏れ聞かれることがあったら、戯れだとしても心の隔てがあったのだと思われて疎まれようと、それが心苦しく恥ずかしく思われるのも、ひたむきな、お慈しみのほどなのである。「自分の放蕩をさすがに、気に留めて恨んでいらした折々もあったが、なんだって、無意味な慰み事につけてそんなふうに思われたりしたのだろう」などと時を取り返したくなり、明石の君の様子を御覧になるにつけても、二条の君への恋しさが慰む手立てはないので、いつもより文を細やかにお書きになって
 
そうそう、我ながら不本意な出来心のせいであなたに疎まれた折々を思い出してさえ胸が痛いのにまたしても、怪しくはかない夢を見たのです。このように問わず語りに申し上げたことに、私の隔てのない心のほどを思い合わせてください。
 誓ひし言も
(誓った言葉をたがえたら、神よ、理非を判断してください)
 
などと書いて、
 
何事につけても、
 しほしほとまづぞ泣かるる
  仮初めの海松布見る目は海人のすさびなれども
(さめざめとまずは泣かれるのです。仮初めにあの人に添うたことは海松のような海人の慰み事ですけれども)
 
とあったそのお返事には、何気なく可憐に書いて
 
忍び兼ねてのその夢語りにつけても、思い合わせられることは多うございますのに、
 うらなくも思ひけるかな
  契りしを松より波は越えじものぞと
(うっかり思っていたものですね。契ったのだから松を波が越え不実な心をあなたが持ったりはしまいと)
 
あっさりとはしているけれども一際優れたほのめかしようなので、本当にいとしく放っておき難く御覧になって、その名残も久しく、忍びの旅寝もなさらないようになる。女は、思っていたとおりになったので、今は誠に身を投げてしまおうという心地がする。「行く末も短そうな親ばかりを頼もしい者として、いつの世に人並々になるはずの身とも思ってはいなかったけれど、ただ何となく過ごしてきたあの年月には何事に心を悩ましたりしただろうか。男女の仲とはこんなにも悲しく物思わしいものだったのだ」と、かねて推し量りに思っていたよりもよろずに悲しいのだけれど、平らかに取り繕って、かわいらしい様子に見せている。男の方でもそれをいとしいとは、月日に従ってますますお思いになるのだけれど、打ち捨てておけないあのお方が、心もとなく年月をお過ごしになり、ただならずこちらのことを思いやっていらっしゃるであろうことが、至って心苦しいので、独り伏しがちに過ごしておいでになる。
源氏、絵を描く。紫上も同じく絵を描いていた。
正月、二十八歳。
主上、御病気。
 
文月二十余日、源氏に帰京の宣旨。
 
明石君、懐妊。
 
源氏、帰京の二日前、明石君と合奏して別れを惜しむ。
難波においてはらえを修する。
帰京して二条院に着く。
権大納言に昇進。
葉月十五夜、初めて参内。
明石での従者が帰るついでに消息を明石君に遣わす。
 
筑紫の五節の君、文を源氏に奉る。(明石終)
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明石(二)

弥生十三日、明石入道、出船の支度をして源氏を迎える。
 
源氏、舟に乗って明石の浦に渡る。
文を書いて京の使いを帰らせる。
 
明石入道、源氏のところに参って昔の物語を申す。
 
卯月、衣替えの装束のこと。
 久しく手をお触れにならないきんを源氏が袋よりお取り出しになってつかの間かき鳴らしておいでになる御様子を、拝見する人も、穏やかでなく悲しく思い合っている。広陵散という曲を、さえ渡るように残るところなく弾いておいでになると、かの、丘辺の家でも、松の声、波の音に響き合うままに、心掛けのある若人は、身に染みるように思っているらしい。何と聞き分けられそうもない、かなたこなたの年寄りどもも、出てきて不覚にも浜風に風邪を引いている。入道も、こらえられず、供養法を怠って急いで参った。
「改めて、背いてしまったこの世のこともまた思い出してしまいそうです。後の世にはと願っておりますかのところの様子も想像されますような、この夜の様子ですね」
と泣く泣くめで申し上げる。源氏自身のお心にも、折々のお遊びのこと、その人の琴、かの人の笛、あるいは、声の出し方に、時々につけて世の中にめでられていた境遇、帝を始めとして大切にあがめ奉られておいでになったこと、恋人や我が身の様子についても思い出されて、夢のような心地がなさるままにかき鳴らしておいでになる声も、物寂しく聞こえる。老人は、涙をとどめることもできず丘辺に琵琶と箏を取りにやり、入道だったのが琵琶法師となって、本当に面白く珍しい曲を一つ二つ弾いている。箏を源氏に差し上げたところ少しお弾きになったが、様々に素晴らしく思われるばかりであった。本当はさほどでもない楽器の音すら良い折には勝って聞こえるものだけれども、はるばると滞るところのない海のほとりなのでかえって、春の花、秋の紅葉の盛りよりは、ただ何となく茂っている陰が風流であるところへ、どこかの門をたたくように水鶏くいなが鳴いているのも、
 
  たが門鎖して
 
(誰から締め出されているのだろうか)
 
と物悲しく思われた。本当に二つとないを出す箏を今度は入道が至ってゆかしく弾き鳴らしているのにもお心が留まって
「これは、女が、ゆかしい様子でしどけなく弾いているのが面白いのですよ」
と一般におっしゃったのに入道は、見当違いの笑いを含んで
「あなたが演奏なさるよりもゆかしい様子をした女が、どこにございましょうか。なにがしは、延喜の帝のお手より伝えて弾くこと四代となっておりますのに、こうつたない身で、この世のことは捨てて忘れておりますけれども、どうしても気が塞ぐ折々はかき鳴らしておりましたのを不思議なことに、まねる者がここにはございまして、自然にかの帝のお手に似通っておるのですが、そう思いますのも山伏のひが耳に松風を聞き続けたせいでございましょうか。とはいえ何とかしてその人の手も、忍んで聞いていただきたいものですよ」
と申し上げるままに、わなないて涙を落としそうである。源氏の君は、
「この辺りでは琴も琴とはお聞きになりそうにないのですね。残念ですよ」と言って前にあった箏を遠ざけられて「不思議なことに、昔より箏は女が弾き方を習得するものだったのですよ。嵯峨の御伝授で女五の宮がその時分の上手でいらしたのにそのお血筋で、取り立てて伝えている人もおりません。およそ、ただ今、世の中で評判を取っている人々でも、上辺をなでて思いを晴らしているばかりなのに、こんなところでこう包み隠して弾いておいでになるとは、本当に興のあることですね。どうしたら聞けましょうか」
とおっしゃる。
「お聞きになるには、何のはばかりがございましょうか。お前に召してもようございます。あきんどの家の中にすら、琵琶を聞かせて褒めたたえられ、故事になったような人もございますが、その琵琶というのも、誠の音を見事に弾きこなす人は、いにしえにもめったにおりませんでしたのに、先ほどの者の、おさおさ滞ることのないゆかしい手などは筋が格別でございます。これもどうやって習い覚えたものでしょう。その音が荒い波の声に交じるのは、悲しくも思われながら、かき集めた嘆かわしさの紛れる折々もございます」
などと好事家らしく言っているので、面白いとお思いになって例の箏をまた、琵琶と取り替えて賜った。本当に優れた弾きぶりである。今の世には聞こえぬ筋を弾きつけて、手遣いはいたく唐風に見え、押し手の音は、深く澄んでいる。ここは伊勢の海ではないけれども
 
  清きなぎさに貝や拾はむ
 
(清いなぎさに貝を拾おうか)
 
などと声の良い人に歌わせて、源氏御自身も、時々拍子をとって声をお添えになるのを、入道が箏を弾きさしてはめで申し上げる。
 お菓子などを、珍しい様子に御用意させ、しきりに酒を人々に強いたりして、おのずから現実を忘れもしそうな夜の様子である。いたく更けてゆくままに浜風が涼しくなって月も、入り方になるままにはなはだ澄み、一同が静かになった折に入道は物語を、残りなく申し上げて、この浦に住み始めた折の決心、後の世のためにお勤めをしている様子を、ぼつぼつ申し上げて、この娘の境遇を、問わず語りに申し上げる。面白いとばかりは言えず、物悲しくお聞きになる節もある。
「本当に申しにくいことですけれども、あなた様が、こう思い掛けない地方に一時いっときでも移っておいでになったのは、あるいは、年来この老い法師が祈り申しておりますのを、神仏がお哀れみになって、しばしのほど、あなたのお心を悩まし奉っているのではないかと思っておるのでございます。その故は、住吉の神を頼み奉り始めて今年で十八年になりました。我が娘にはいとけのうございました時より心積もりがございまして、年ごとの春秋ごとに必ずそのお社に参ることがあるのでございます。昼、夜の六時の勤めにも、後世ごせはちすの上という自らの願いはそれはそれとしてこの娘を貴人のところへという本意をかなえたまえとただ念じておるのです。前世の契りがつたないからこそ、こんな取るに足らない山がつとなったのでしょうが、これでも親は、大臣の位を保っておりました。自らこうして田舎の民となっておるのです。次々とそんなふうに劣ってまいるばかりならばどんな身になってゆくのであろうと、悲しく思っておりますけれども、この娘には、生まれた時より、頼むところがございましてね。いかにして都の貴い人に奉ろうと思う心の深うございますによって、身分につけてあまたの人のそねみを負い、自身のためにも、嫌な目を見る折々も多くございましたけれど、更に苦しみとは思わず、『命の限りはきっと、この小さな衣によっても庇護しましょう。このまま先立ってしまいましたら、波の中に交じってでも死んでおしまいなさい』と命じておるのでございます」
などと、総てそのまま告げるべくもないけれどこんなことを泣く泣く申し上げた。源氏の君も、様々に物を思い続けられる折から、涙ぐみつつ聞こし召す。
「非道にも罪人にされて、思い掛けない地方に頼りない生活を送っているのも、何の罪業だかはっきりしないと思っておりましたが、こよいの物語に聞き合わせれば、『これは誠に、浅くない前世の契りではないか』と感慨も深うございます。なぜ、こうも定かに悟っておいでになったことを今まで告げてくださらなかったのでしょう。都を離れた時より、この世の無常であることがつらくなり、お勤めよりほかのことはなくて月日を経ておりますので、すっかり気落ちしてしまいました。このような人がおいでになるとほのかには聞いておりながら、『私のような落魄した者は、忌むべき者と見捨てられていよう』と塞ぎ込んでおりましたのに。それでは、手引きをおできになるということですね。心細い独り寝の慰めにも」
などとおっしゃるのを、入道はこの上なくうれしく思っている。
「 独り寝は 君も知りぬや
   つれづれと思ひ明かし明石寂しさを
 
(独り寝と言えば、あなたも御存じですね。明石の浦でひたすら物を思い続けて夜を明かすことのうら寂しさを)
 
まして私は年月としつき物を思い続けて気も塞いでおりますことを推し量ってくださいませ」
と申し上げる様子は、わなないてはいるけれどもさすがに趣がなくはない。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
「されど、この浦に慣れておいでになる人は」
と言って
 
  旅衣 悲しさに明かし兼ね
   草の枕は夢も結ばず
 
(私は旅衣での旅寝ですから、この浦のうら悲しさに夜を明かし兼ね、夢を結ぶこともありません)
 
とくつろいでおっしゃるお姿は至って、愛嬌があって言いようもない感じなのである。入道は数知れぬ言葉を言い尽くしていたのだけれども書けばうるさかろう。わざとひが事のように書いたのでますます、その心ばえもあほらしく意地っ張りに表されてしまったようだ。
 思っていることがかつかつかなった心地がして、入道が爽やかな思いでいたところ、又の日の昼頃、丘辺に源氏が文を遣わした。娘が立派な様子であるらしいのにも『かえってこんな片田舎に、思いの外のことも隠れているらしいから』と心遣いをなさって、高麗の胡桃色の紙に、見事に繕って
 
 をちこちも知らぬ雲居に眺めわび
  かすめし 宿のこずゑをぞとふ
(ここもかしこも知らぬ遠い空で思い煩いながら、お父上にほのめかされた、お宅のこずえを訪れるのです)
 思ふには
(思うことに、忍ぶことが負けてしまったのです)
 
とばかりあったとかいうことだ。
 入道も、そちらの家に行って人知れずお待ち申し上げようとしていたのがそのとおりになったので文の使いを、本当に目をそばめたくなるほどに酔わせる。返書には、非常に時間が掛かっている。内に這入って促すけれども娘は、更に言うことを聞かず、その文の立派な様子に、筆を構える手つきも恥ずかしそうだ。相手の御身分、自分の身の程は考えるにも懸け隔たっており、心地が良くないと言って物に寄って伏してしまう。それ以上は言い兼ねて、入道がこう書いたのである。
 
本当に恐れ多いお言葉で、田舎びておりますあの子のたもとには包むに余ってしまうのでしょうか。更に目に這入りもしません恐れ多さでございます。しかし、
 眺むらむ同じ雲居を眺むるは
  思ひも 同じ思ひなるらむ
(あなたが眺めているのと同じ空を娘も眺めておりますのは、その思いも、あなたと同じ思いなのでしょう)
と私は見ておるのです。本当に好き者ですね。
 
と申し上げた。
 陸奥紙でいたく老人臭いけれども、書き様は由ありげに見える。誠に好事家だなと、思いの外のことに御覧になる。
 入道が纏頭てんとうとして使いに与えた裳などは並々のものではなかった。又の日源氏は、代筆だなんて経験がございませんよと言っ
 
 いぶせくも心に物を悩むかな
  やよやいかにと問ふ人もなみ
(気が塞ぐばかりにも物を思い煩っておりますよ。やあ、どうだいと問うてくれる人もおりませんので)
 言ひ難み
(恋しいとも、まだ見ぬ恋人には言い難いですね)
 
とこの度は、いたくしなやかな薄様に本当に愛らしくお書きになってある。これを若い人がめでなかったら本当にあまり陰気であろう、美しいとは見るのだけれど、似つかわしくもない身の程がはなはだかいもないのでかえって、自分のことなどを世にあるものと知ってお尋ねになったにつけても涙ぐまれていつものように更に答える気配もなかったのに、強いて言われて、大いに香を染ませてある紫の紙に墨つきは濃く薄く紛らわして
 
  思ふらむ心の程ややよいかに
   まだ見ぬ人の聞きか悩まむ
 
(あなたが思っているという心は、さあ、どれほどでしょう。まだ私を見てもいない人が私のことを聞いて悩むものでしょうか)
 
筆致などは、貴人にもいたくは劣るまい。京のことが思い出されて面白く御覧になるけれども、しきりに文を遣わすのも人目がはばかられるので二三日隔てては、つれづれな夕暮れ、あるいは、物悲しいあけぼのなど、同じように見て機微を解していそうな折を推し量って、それに紛らして書き交わされたところ、その返事は源氏に似合わしくもあり、その慎重な自負心も見ずには終わるまいとお思いになることではあるけれども、良清が、この人を我が物のように言っていた様子につけても、それを思いの外に、年来心を寄せていたであろうにその目の前で思いを阻むのも、哀れなように思い巡らされて、相手が進んでこちらへ参ればそういうことだからと紛らしてしまおうとお思いになるけども、女はやはり、かえってやんごとない身分の人よりもいたく自負があって源氏のことを憎らしくお取り扱い申し上げたので、意地の張り合いで時が過ぎたのである。