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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

626

 真の幸福の追求。
 大衆はその幸福を富と見せ掛けの幸福とに、少なくとも娯楽に託す。
 哲学者たちはそのすべてのむなしさを示し、託せるところに幸福を託してきた。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

625

 不正。
 みじめさにうぬぼれまで加えるのは極度の不正である。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

624

 預言。
 神はイエス・キリストの敵を服従させ、その間、イエスは神の右の座にいるであろう。
 だからイエスは自ら服従させようとはしまい、という。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

623

 自分が何者であるかを追い求めずに生きることが極度の盲目であるとすれば、その中でも神を信じていながら悪い生き方をすることは恐ろしいことである。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

622

 退屈。
 人間にとってこの上なく耐え難いことは、完全に安穏として情熱もなく、仕事もなく、娯楽もなく、用事もないことである。
 そんなときに、自分が無で、見捨てられ、不足で、依存し、無力であり、空虚であるのを感じる。
 すぐに心の奥底から退屈を、暗闇を、悲しみを、いら立ちを、恨みを、絶望を引き出してしまう。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

621

 人間の中、理性と情熱との間の内乱。
 情熱がなくて理性だけがあれば。
 理性がなくて情熱だけがあれば。
 けれども両方があっては戦いが起こらないわけにいかない。一方と平和を保てば他方と戦うことになる。だから人間は常に分裂し、矛盾している。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

620

 人間が考えるようにできていることは明らかである。それのみが人間の威厳であり、長所である。人間の義務はしかるべく考えることのみにある。さてその考える順序は自分というもののこと、その作者と目的から始まるのである。
 しかし世間が考えていることは何だろう。決してそんなことではなく、踊ること、リュートを弾くこと、歌うこと、詩を作ること、*courir la bagueのことなどである。戦うこと、王様になることである。王様であること、人間であることは何であるかを考えもせず。
 
*馬術競技の一つ。走る馬の上から槍で輪を狙う。
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619

 ピュロン派、ストア派、無神派などの原理はすべて真である……がその結論は偽である。その反対の原理も真だから。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

618

 もし神がいるならば神だけを愛すべきであり、この世の空しいものを愛してはならない。知恵の書には不敬虔な者たちの考えを載せてあるが、そのもといは、神はいないということにしかない。だからこの世のものを楽しもうと言うのである。最悪の考え方である。もし、愛すべき神がいるとしたならば、このような結論にではなくその逆に至るであろう。そうして、知恵ある者の結論はこうだ。神はいるのだから、この世のものを楽しむのはやめよう。
 それゆえ、我々を駆り立ててこの世のものに身を献げさせるものはすべて悪である。なぜならそのようなものは我々を妨げ、神を知る者には仕えさせず、知らない者には求めさせないからである。ところで我々は欲望に満ち、それゆえ悪に満ちており、それゆえ我々自身と、我々をかき立てて神以外のものに身を献げさせるすべてのものとを憎まねばならない。