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失われた時を求めて(プルースト)

第一篇「スワン家の方へ」第二部「スワンの恋」②


 オデット・ド・クレシーがスワンのもとを再訪し、訪問がますます頻繁になった。恐らく訪問のたびに、あの失望感が、そうこうする内に細部は忘れていたその顔を前にしてよみがえるのを感じたことだろう。とても表情が豊かだったとか、若いのに色あせていたなどというふうに思い出すことさえなかったのである。彼女が話している間、その本当に素晴らしい美しさが、自分が自然に賞賛できるような種類のものでなかったことが惜しまれたものだ。(……)
 彼女はこう言い出した。「一度拙宅でお茶でも上がりませんか」彼は始めかけの仕事を口実にした。(実際には何年も前に打ち捨てていた)デルフトのフェル・メールに関する研究である。「私のような取るに足らない者があなた方のような立派な学者のそばにおりましてもお役に立ちそうもないことは承知しております」と彼女は答えた。私などアレオパゴスを前にした蛙のようなものであろう。でも私は学びたい、知りたい、手ほどきを受けたいと強く思っている。本を読んだり古文書に首をつっこんだりするのはどんなにか楽しいだろう。彼女は自己満足の態でそう続けた。自分の喜びは、汚れることを恐れず不潔な仕事、たとえば「手料理」に従事することだと上品な女性が断言するときのようであった。「笑われてしまうでしょうけれど、訪問の妨げになっているとおっしゃるその画家のこと(フェル・メールのことを言いたかったのである)は聞いたこともございません。御存命の方でしょうか。作品はパリで見られますか。そうすれば、あなたのお好きなものを心に描いて、懸命に働くその広い額の奥で何が起こっているのか少しは見抜けるようになるかもしれません。その頭はいつも何か熟慮しているような気がするのです。そうして、これこそが、あなたの考えていらっしゃることだなどと考えてみたいのです。
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失われた時を求めて(プルースト)

第一篇「スワン家の方へ」第二部「スワンの恋」①


 こうした密通や恋のひとつひとつはおよそ、スワンがその顔や姿を見て努めずとも自然に魅力を感じ、そのようにして生まれた夢が具現化したものであったが、ある日、劇場でオデット・ド・クレシーを旧友から紹介された時は││その男はオデットのことを魅力的な女性で、スワンになびくかもしれないと話していたが、実際の彼女よりは難しい対象に仕立て、その紹介の恩恵が特別なものであるように見せ掛けていた││彼女はスワンにとって確かに美しくなくもないと感じられたが、可も不可もなく欲望もかき立てずある種の感覚的な反発を与えるような美しさを備えているように思われた。男なら誰でも何人か挙げることのできる、そして各々異なる例を挙げることのできる、肉体の求める型の逆を行くような女であった。好きになるにはあまりに顔の凹凸が際立ち、肌が弱そうで、頬骨が張り、やつれた顔立ちをしている。目は美しいがあまり大きいので重みでたわんで顔の残りをひずませ、顔色が悪いか機嫌が悪いような様子をいつも見せていた。この劇場での紹介からしばらくしてスワンに手紙が届き、コレクションを拝見してもよいか、「美しいものを好む無知な女である私」はとても興味を持っているといってきた。あなたのことが、「お茶と本があってとても快適」だと想像する「あなたのhome」でお会いしてみればもっとわかるだろうとも書いてあった。とはいえ、女は男があんな街区に住んでいることに驚きを隠さなかった。そちらはさぞ味気ないことだろう、「こんなにsmartなあなたには釣り合いません」というのである。
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ウェイリー(Waley)版 源氏物語

若紫

 源氏がおこりにかかり、あまたのまじないをお試しになったかいもなく度々再発した時のこと、ある人のうには、北山のさる寺に聖者が一人あって前年の夏そのまじないに(瘧がその節は流行し、普通のまじないが効いていなかった)不思議に度々著しい効き目があったという。「無益な手段を次々試していらっしゃる間も、病は御身に迫ってまいります。取敢とりあえずその方に御相談なさいませ」直ちに源氏は人を遣わしてその聖者を迎えようとなさったけれど、老衰でもう外出に差支えがあるのだと答えてきた。「どうしたものだろう。微行せねばなるまいね」と源氏は仰有おっしゃった。従者には信用している者をただ四五人ばかり連れて、夜の明けるずっと前に御出発になった。その地はちょっと山深いところにあった。弥生の末日で、都の花はすっかり落ちていた。山桜はだ咲いてなかったが、野に近づくにつれ、かすみがおかしな面白い装いを見せ始めるのが││こんな見物もめったになさったことのない、礼儀作法につなぎ留められた御身には││かえってお気に召したのだった。辺りの寺も気に入った。高い岩壁が深くくぼんだ中に、聖者は住まいしていた。源氏は刺も通ぜず、変装もしておいでになったが、名高いそのお顔から僧には直ちにその人と分かった。
「御容赦ください。あなただったのでございますね。先日招待してくださったのは。やれやれ、もうこの世のことなどは忘れてしまいまして、どうすれば効き目があるものか忘れておると思いますが。こんなところまで来ていただいて誠に残念なことで」と気が気でないふりをしつつ笑って源氏の方を眺めた。しかし、信心と学識の深い人であることは直に明白になった。さる護符を薬にして飲ませ、或まじないを唱えた。これが済んだ頃には、もう日が出ており、ちょっと洞を出て源氏は辺りを見廻した。今立っている高地からは、数軒の庵の散らばっているのが見下ろされた。一筋路が曲がりくねって一軒の仮屋に通じていた。よそと同じ小柴の生垣を廻らしてはあるがもっと広々として、渡り廊下を面白く延ばし、四方に柴を植えて手入をしてあった。誰の家かと家来に尋ねると、或僧都が二年の間そこに隠居していることを、一人から聞かされた。「その方なら能く存じ上げております。こんな装束と供回りでは出会いたくないものですね。噂にならなければいいが……」源氏が僧都の名を聞いてそう仰有った時、綺麗な装束を着けた子供の一団が丁度家から出てきて、祭壇と絵像を荘厳する花を摘み出した。「女の子もいますね。上人がお置きになるとは迚も想われませんが。それなら誰かしら」家来の一人が云って、好奇心を満足させるため、ちょっと山を下りて様子を窺った。「はい、大層かわいらしい娘たちがおりまして、大人びたのもいれば、全くの子供もおりました」と帰ってきて報告した。
 源氏は午前中ほとんど治療にかかり切りだった。ようやく儀式が終わると、いつも熱がぶり返す時刻を恐れて、極力気を散らそうと従者たちは山の向うの、都の見えるところまで、ちょっと源氏を連れていった。「実に好いものですね。遠方は半ば霞に隠れ、四方へ拡がる森はぼんやり微かに光って絵のようです。こんなところに住んでいる人は、一瞬たりとも満足せぬことがあるでしょうか」と源氏は叫んだ。「こんなものは何でもございません。よその国の湖や山でもお見せできましたら、ここで感心しておいでになる眺めなどより遥かに勝っているのが直にお分りになるでしょう」と家来の一人が、富士山というもののあることから説き出して、西国にある面白い浦の悉くまでも聞かせ終わると、源氏は熱の時刻であることを全く忘れておしまいになった。「あちらの手前が」家来は海の方を指して続けた。「播磨の明石の浦でございます。よくよく御覧ください。さほど辺鄙な地でもございませんが、大海原のほかはどこからも切り離されたような心地がして、私の知る限りでは最も異様で寂寞たる場所でございます。そんなところに││曾てはそこの国主で、今は入道している人の令嬢が││その地にはまるで不釣合なほど宏大な屋敷を構えているのでございます。父上は大臣の後裔で、俗界に大いに頭角を見すものと期待されておりました。ところがこれが大層風変りな男で、大の交際嫌いなのでございます。一時は近衛の中将でしたが、これを辞めて播磨の国守を引受けました。けれども土地の人とも直に不和になって、待遇が酷いから帰京すると吹聴しながら、中々どうして頭を剃って入道となったのです。それから、例のごとくどこか閑静な山の中に住まうのでなしに、そこの海岸に家を建てました。大層妙なことをしたものだと思われるのも尤ですが、実のところ、かの国ではどこにも世捨人の住居は随分ございますし、山国となると遥かに人影も面白みもなくて、若い妻子も酷く怒るでしょう。それだから妥協して海岸を選んだのです。曾て私が播磨の国を漫遊しておりました時、序があってその家を訪ねましたところ、都では大層質素な暮らしをしておったのが、そこでは絢爛豪華に造営しておったのに目が留まりました。あんなことがあったにも拘らず、(国守の苦労を免れたからは)想像し得る限りの安楽のうちに余生を暮す決心をしているようでもありました。しかしその間もずっと来世の用意は怠ることなく、叙任の僧であってもこれほど謹厳かつ敬虔な生涯を送った人はいなかったでしょう」
「さて令嬢のことを云いましたね」と源氏は仰有った。「かなり見目よい人でございますよ。決して愚鈍でもございません。御執心の国守や役人が幾人も切にと歎願したほどですが、父親が全員追い払ってしまいました。自身はあんなに俗界の栄光には冷淡であったのに、たった一つ心配の種の独り子に自身の不遇の埋め合わせをさせる決心で、こんな誓いを立てているらしいのです。曰く、不本意にも我が娘が私の死後、勝手に我が動かぬ意志と訓戒とを愚弄して無益なる嗜好を満足させるようなことがあれば、我が霊はよみがえり、海神に請うて娘を覆わしむるであろうと」とは家来の答え。
 源氏はこれを謹聴しておいて「それでは、海竜王のほかは夫と思わぬ斎宮のようですね」と仰有ると、老いた元国守の大望のばからしさを皆が笑った。この逸話を聞かせた男は現職の播磨守の息子で、昨年蔵人から五位に昇進した人である。恋の冒険で名高い男で││全くかの令嬢を説き付けて父の戒めに背かせる積りで、態々明石の浦を見物に行っているのだ││と人は蔭で云い合っていた。
「育ちがちと田舎じみていやしないかね」と一人が云った。「成人するまでその旧式な親とのほかに附合いのなかったところを見れば、容易なことではそうならざるを得ませんね││成程、母親は幾らか勢力家であったと見えますけれど」「それはそうです。それが理由で、都中の名家の子たちをあの海岸まで集めてきて我が子の遊び相手にするなぞということができたのですよ。そうやってその子は垢抜けた礼儀作法を学んだのですから」と国司の息子の良清が云った。「誰か不届き者がそこを訪ねたとして、死んだ父親の呪いもものかは堪えられないような好い女かもしれませんね」と云う者もあった。

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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

628

 傍にいる人に評価されたいという気持ち。
 誇りは私たちの不幸や誤りなどの中にあって自然に私たちを占領してしまう。人の語り草になる限り、私たちは喜んで命を捨てる。
 虚栄心、遊戯、狩猟、訪問、喜劇、名の偽りの永続。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

627

 虚栄心は人の心に深く刻み込まれているので、兵士、従卒、料理人、人足も自画自賛して崇拝者を得ようとし、そのようなことを哲学者までもが望み、そのようなことに反対意見を書く人もうまく書いたものだという栄誉を得たがっており、それを読む人も、そのようなものを読んだという栄誉を得たがっており、これを書いている私もそのような欲求を持っているかもしれず、それを読む人ももしかしたら……
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

626

 真の幸福の追求。
 大衆はその幸福を富と見せ掛けの幸福とに、少なくとも娯楽に託す。
 哲学者たちはそのすべてのむなしさを示し、託せるところに幸福を託してきた。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

625

 不正。
 みじめさにうぬぼれまで加えるのは極度の不正である。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

624

 預言。
 神はイエス・キリストの敵を服従させ、その間、イエスは神の右の座にいるであろう。
 だからイエスは自ら服従させようとはしまい、という。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

623

 自分が何者であるかを追い求めずに生きることが極度の盲目であるとすれば、その中でも神を信じていながら悪い生き方をすることは恐ろしいことである。
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ラフュマ版『パンセ』(パスカル)

622

 退屈。
 人間にとってこの上なく耐え難いことは、完全に安穏として情熱もなく、仕事もなく、娯楽もなく、用事もないことである。
 そんなときに、自分が無で、見捨てられ、不足で、依存し、無力であり、空虚であるのを感じる。
 すぐに心の奥底から退屈を、暗闇を、悲しみを、いら立ちを、恨みを、絶望を引き出してしまう。