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源氏物語

若紫(一)

源氏、十八歳。
 
三月の末、わらわやみの加持のため北山のひじりの坊に向かう。遊山のついでに、某僧都の姉である尼たちの隠れているところを望む。供人、諸国の名所を物語るついでに明石あかし入道の娘の有り様を申す。
「さあ、そうはいっても田舎びておりましょう。幼い頃よりそんなところで育って、旧式な親にばかり従っているようなのは」
「母親は、故ある家の人のはずですがね。親類を尋ねて、都のやんごとない方々から麗しく若い従者を取るなどして、まばゆいほどに娘を取り扱っておりますそうな」
「不人情な人が下って行ったら、そう心安くも置いておけまいに」
などと言う者もある。源氏の君は、
「どんなつもりで海の底まで、深く思い込んでいるのでしょう。底の海松みるではないが見る目もいとわしいですね」
などとおっしゃって、それでいて珍しく思っておいでになる。人々は「こんな話も、並々ならず偏ったことがお好きなお心であるからお耳に留まるのであろうか」と拝見する。
「暮れ掛かっているのに病は起こらなかったようですが、早くお帰りになってはいかがでしょう」
と言うけれども、大徳は
「物のなどが加わっている御様子でございましたので、こよいはなおも静かに加持などなさって、それからお帰りなさい」
と申す。
「誠にそうでしょうね」
と皆が申す。君も、こんな旅寝はさすがに慣れておらぬことでもあり面白くて
「それでは明日の暁に」
とおっしゃる。いい人もおらず寂しいので、夕暮れの深いかすみに紛れてあの小柴垣こしばがきの辺りにおいでになる。ほかの人々はお帰しになってから惟光これみつ朝臣あそんとのぞいて御覧になれば、すぐこちらの西表に持仏を据え奉ってお勤めをしている人は尼であった。すだれを少し上げて花を奉るのが見える。真ん中の柱に寄って、脇息きょうそくの上に経を置いていたく苦しそうにすわって読んでいるその尼君は、並の人と見えず、四十余ばかりで色は至って白く、品は良く、痩せてはいるけれども頬はふくよかで、目元も、綺麗きれいにそいである髪の末も、君は「かえって、長いよりも殊の外しゃれたものだな」と感心して御覧になる。姿の良い年配の女房が二人ばかり、そのほか童子が出入りして遊んでいる。中には、十ばかりであろうかと見えて、白いきぬ、山吹襲やまぶきがさねなどの慣れたのを着て走ってきた女の子は、あまた見えているほかの子供には似るべくもなく、生い先も素晴らしく見える愛らしい姿である。髪は、扇を広げてあるようにゆらゆらとして、顔は、擦って真っ赤にして立っている。
「何事です。童と喧嘩をなさいましたか」
と言ってあの尼君が見上げたけれど、少し似ているところがあるので親子のようだと源氏は御覧になる。
すずめの子を犬君いぬきが逃がしてしまったのです。伏せの内に閉じ込めておいたのに」
と言って、いたく口惜しがっている。こちら側に坐っていた方の女房が
「例の考え無しがまたこんなことをして叱られる。嫌になってしまいますね。けれど、どちらへ逃げたのでしょう。本当にだんだんかわいらしくなってきたところですのに、からすなどが見付けるといけませんから」
と言って、立ってゆく。髪はゆったりとして非常に長く、人好きのする顔立ちに見える。少納言の乳母めのとと人がいうようであるが、この子の後見なのであろう。尼君が
「まあ幼いこと。ふがいなくていらっしゃるのね。私がこんなふうに今日明日にもと感じているこの命は何ともお思いにならないで、雀をお慕いになるほどとは。罪を得ることだと常に申し上げておりますのに、情けない」
と言って、こちらへと言えば、その子は膝を突いている。頬は至って愛らしくて眉の辺りは薄い煙のごとく見え、子供らしく前髪を払いのけた額の様子が、はなはだ愛らしい。年たけてどうなるのか知りたくなる人であるよとお目に留まる。「これも、この上なく心を尽くし申し上げるあの人に本当によく似ているので、それで見つめてしまうのだな」と思うにも、涙が落ちるのである。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
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源氏物語

〇帚木(一)

 源氏は中将に、蔵人少将は頭中将になっている。源氏、十七歳。
 桐壺と帚木ははきぎの間で源氏は朝顔の君、六条御息所みやすどころ、藤壺と関係しているはずだが直接の描写はない。『輝く日の宮』という失われた帖があるとも言われるが、もちろん故意の省筆、又は削除の可能性もある。なお、巻の後半で源氏と朝顔の君についてのうわさ話が聞こえてくる場面に対して、この物語の最初の英訳者アーサー・ウェイリーが興味深い註を付している。

We learn later that Genji courted this lady in vain from his seventeenth year onward. Though she has never been mentioned before, Murasaki speaks of her as though the reader already knew all about her. This device is also employed by Marcel Proust.

The Tale of Genji: The Arther Waley Translation


(源氏は十七歳の時以来この女性に言い寄ってそのかいがなかったのだということが、後になって分かる。これまで一度も言及がないにもかかわらず、読者が総てを知っているかのように紫式部は語っている。このような仕掛けは、マルセル・プルーストも採用しているものである)
 
 帚木、空蝉うつせみ、夕顔、末摘花すえつむはな蓬生よもぎう、関屋、玉鬘たまかずら十帖の十六帖は、本筋に絡まない外伝的な内容を持ち、後に挿入されたとする説もある。これらの帖を飛ばして藤裏葉まで読み進めた後に帚木に戻ってきても自然に読み進めることができる。特に以下の冒頭部は、読者が光源氏の人生についてある程度知っているのでなければ唐突な感じを与える。取り分け「『まだ』中将などにものしたまひ『し』時は」

伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 光る源氏とただでさえ名のみ事々しく、その光を打ち消す傷も多くおありになるそうなのに、「こんな色事を末の世に聞き伝えて、軽々しい名を流しもしようか」とお忍びになった隠し事をさえ語り伝えたという、世の人の口さがなさよ。しかし、本当に世をはばかっておいでになり、まめやかに振る舞っていらした間には、なまめかしく面白いことはなくて、交野かたのの少将には笑われておいでになったことであろう。
 まだ中将などでいらした時は、内裏にのみよく伺候をなさってしゅうとの左大臣のところへは途切れ途切れにおいでになる。
 
  しのぶの乱れ
 
(忍ずりのあやのように乱れた、忍ぶ恋心)
 
でもあるのだろうかと疑い申し上げることもあったけれど、上っ調子の、月並みで、不しつけな色事などは、さほど好ましく思われない御本性で、それでいてまれには打って変わって、気をもむようなことを強いてお心にお留めになる癖があいにくとおありになり、あるまじきお振る舞いも交じるのであった。
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源氏物語

桐壺(三)

桐壺帝、更衣を恋慕。
 
月日を経て、源氏、参内。
 
源氏四歳の春、第一皇子、立太子。
 
源氏、六歳。更衣の母、死去。
 
源氏、七歳。読書始ふみはじめ
 その頃、高麗こうらいの人が参上していた中に、優れた人相見がいるということをお聞きになって、外蕃がいばんの人を宮の内に召すことは宇多のみかどの戒めがあるので鴻臚館こうろかんに、はなはだ忍んでこの皇子を遣わした。御後見のように奉仕している右大弁の子のように思わせて伴い奉ると、人相見は、驚いて度々疑い怪しむ。
「国のおさとなって帝王のこの上ない位に昇るべき相がおありになる人のようでいて、そちらで見れば、国の乱れを憂えることがあるでしょう。天子を警固し天下を助ける方で見れば、またその相も外れるはずです」
と言う。
伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 右大弁も、学問の極めて優れた博士であって、高麗の人と言い交わした言葉は非常に興あるものであった。詩など互いに作って、今日明日にも帰り去ってしまおうとするのに、こうしてまれな人に対面した喜びは、かえって悲しいことであろう、という趣で、面白く高麗の人が作ったところ、皇子も、至って美しい句をお作りになったので、この上なくめで奉って、素晴らしい贈り物を捧げ奉る。朝廷からは、多くのものを賜りもする。おのずから事は広まって、いかなる相であったか主上は漏らされぬけれども東宮の祖父の右大臣などは、いかなることであろうかと思い、疑っておいでになった。帝は、恐れ多いおもんぱかりに大和相をお言い付けになっていて思い当たる節もあったことであり、今までこの君を親王にもさせておいでにならなかったので、あの人相見は誠に優れていたのだとお思いになって、「無品むほんの親王で、外戚の後ろ盾もないまま漂わせはしまい。私の代もいつまでのことか至って定めないので、臣下として天子の後ろ盾をさせたら行く先も頼もしかろうと見える」とお思い定めになっていよいよ皇子に道々の学問を習わせる。殊に賢くて臣下にするには至って惜しいけれども、親王にしておしまいになれば世の疑いをお負いになるはずであるし、宿曜すくようの道の、優れた人に占わせても、同じことを申すので、この皇子を源氏となし奉るべくお思い定めになった。年月のたつに従っても、更衣のことを思うてお忘れになる折はない。心も慰むかと、相応の人々を参上させたけれども、更衣になぞらえて考えられる人すらめったにいない世の中であるよと、疎ましくばかりよろずに思われてきてしまうのであるけれども、先帝の四の宮で、お姿の優れていらっしゃるという聞こえが高くておいでになるお方を、その母である后が、世にないほど大切にしておいでになるのを、今は主上に伺候しているかの典侍は、先帝の御代の人であってその后の宮にも、参上して慣れ親しんでいたので、四の宮が子供でいらした時から拝見しており、今でもちょっとお目に掛かることがあって、
「お亡くなりになった更衣のお姿に似ておいでになる人は、この三代ずっと宮仕えをしておりますけれども、見つけられませんでしたのに、あの后の宮の姫宮は、御成長なさってからは本当によく似ておいでになりますよ。まれな美形でございます」
と奏したところ、それは誠かとお心に留まるままに懇ろに御連絡なさった。母の后は、「ああ恐ろしい。弘徽殿の女御が本当に善くないお方で、桐壺の更衣が隠れもなく粗略に取り扱われてしまったためしもはばかられて」と、快くもお思い立ちにならない内に、この后も亡くなっておしまいになった。
 四の宮がお心細い御様子なので、主上は
「ただ私の娘たちの、同じ仲間にお思い申し上げましょう」
と至って懇ろに人に言わせる。宮に伺候する人々、御後見たち、御兄弟の兵部卿ひょうぶきょうの宮なども、「こんなふうにお心細くていらっしゃるよりは、内裏住まいをさせたら主上のお心も慰むであろう」などとお思いになって参上させた。この宮を藤壺と申し上げる。誠に、御容貌、御様子、怪しいまでに更衣に似ておいでになるのである。こちらのお方は、御身分が勝って世の覚えもめでたく、誰にもおとしめられないので、遠慮もなく、物足りないこともない。あのお方は、人に許されなかったので主上のお慈しみも間が悪かったのである。
 お気が紛れるということではないけれども、おのずからお心も移ろうて格別慰むようであるのも、はかないことであった。
 今は源氏となった君が、辺りをお去りにならないので、主上がしげく通っておいでになるあのお方はなおさら、この君に面を伏せているわけにゆかない。自分が人に劣るとは、どなたがお思いになるであろう、取り取りに本当にお美しいけれども、源氏よりは御年配でいらっしゃるのに、藤壺の宮は至って若く愛らしくて、ひたむきに隠れておいでにはなるのだけれどもおのずからひそかに源氏は拝見することがあった。母の更衣のことも、影すら覚えておいでにならないのに、本当にあのお方はよく似ておいでになりますとあの典侍が申し上げたのを若いお考えにも、本当にいとしくお思いになって、常にそのお方のところへ参りたく、お目に掛かってむつみ合いたく思われる。主上も、この上なく藤壺をお思いになる同士として、
「あの子を疎んではいけませんよ。怪しいことに、あなたを母親によそえてしまいそうな心地がするのです。無礼と思わず、愛らしく思っておあげなさい。顔つき、目色などは、本当にあなたはあの母親によく似ておいでになるゆえ、あの子からも似通ってお見えになるのですよ」
などと言付けをなされば、源氏の君も、幼心に仮初めの花や紅葉につけても思慕の心をお見せする。
 源氏がこよなく心をお寄せになるので、弘徽殿の女御はまた、この宮との仲にも角が立っているのに、付け加えて元よりの憎さも顔を出して、その息子までいとわしくお思いになった。世に類いないと主上も御覧になり、名高くておいでになる、東宮のお姿になおも比べようがないほどの、源氏の君の匂やかさ、愛らしさであるので、世の人は、光る君という名をお付け申し上げる。藤壺は、主上の覚えがこれにお並びになるので、輝く日の宮と申し上げる。
源氏、十二歳。元服。その夜、左大臣の娘(葵上あおいのうえ添臥そいぶしに。
 
蔵人くろうど少将(後の頭中将)右大臣の四君をめとる。
 
二条院、造作。(桐壺終)
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
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桐壺(二)

源氏、三歳。袴着はかまぎ
 
夏、桐壺更衣、重態。てぐるまの宣旨を賜って内裏を退出。死去。
 
源氏、母の服喪によって内裏を退出。
 
更衣、愛宕おたぎにおいて葬送され、三位を贈られる。
 はかなくその頃も過ぎ、後の法要などにも主上は懇ろに人を訪れさせる。程を経るままに、せん方なく、悲しく思われて、お方々への添い寝なども絶えてなさらず、ただ涙にぬれて明かし暮らしておいでになるので、それを拝見する人さえ湿りがちな秋である。
「亡き後までも人の心を晴らすまいとするか。あの女の覚えのめでたさは」
と、弘徽殿の女御などは、なお許すことなくおっしゃった。その一の宮を御覧になるにも弟宮の恋しさのみを主上はお思い出しになって、親しい女房、乳母などを遣わしては様子をお聞きになる。野分のわきらしい風が立ってにわかに肌寒い夕暮れの折、常よりもお思い出しになることが多くて、靫負ゆげいの命婦という者を遣わす。夕月夜の面白い折にいで立たせてそのまま物を思うておいでになる。こんな折は遊びなどをさせたものだけれど、楽器をかき鳴らすその音は殊に心を打ち、仮初めに口に出す言葉も人には異なっていた気配、姿が、幻影となりじっと我が身に添うているように思われて、それでもなお
 
  闇のうつつ
 
(闇の中の実体)
 
には劣っていたのである。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 命婦があちらに参着して門から車を引き入れるとすぐ、気配は物悲しくなる。やもめ暮らしではあったけれど娘一人を大切にするために、とかく繕うて見苦しくないほどに過ごしておいでになったのが、心は乱れ、目はくらみ、伏して沈んでおいでになる内に草も高くなり、野分でますます荒れた心地がして、月影ばかりが、茂みにも妨げられずに差し入ってくるのである。表座敷の前に命婦を降ろしても母君は、とみに物を言うこともおできにならず、
「今までこの世にとどまっておりますのが本当につらいことですのに、このように主上のお使いが、よもぎの生い茂るこの地の露を分け入っておいでになるにつけても、本当に恥ずかしゅうございます」
と言って、誠に耐えられそうにないというふうにお泣きになる。
「参ってみますとますます気の毒で心も尽きるようでしたと、典侍ないしのすけが奏しておりましたけれども、私のように悟りの鈍い者でも誠に忍び難うございます」
と命婦は言って、やや心を静めてから仰せの言葉をお伝え申し上げる……
 
「『しばしは夢かとのみ思われたのに次第に落ち着いてゆくにも、それだけに覚める手立てもなく耐え難いのは、どうすべきことでしょうか』と、そう問い合わせるべき人すらおりませんが、それを忍んでもこちらへは来てくださいませんか。皇子が、至って心もとなく湿りがちな中で過ごしておいでになるのも、気の毒に思われますので、早くおいでください」
などと、はっきりと言いもやらず、むせび泣きつつ、かつ「心弱くも見られるであろう」と人目をはばからぬでもない御様子のお気の毒さに、すっかり承ることもないまま退出してきてしまったのです……
 
と言って主上の文を奉る。母君は
「涙で目も見えませんので、この恐れ多い仰せの言葉を光にして」
と言って御覧になる。
 
程を経れば少し紛れることもあろうかと、それを待っていて過ごす月日のたつに従ってもますます忍び難いのは、どうしようもないことでございます。あの子を、どうしているかと思いやりつつも、もろともに育むのでもないこの心もとなさよ。こうなってしまった以上は、なおも私を故人の形見になぞらえてこちらへおいでください。
 
などと細やかに書いてある。
 
 宮城野の露吹き結ぶ風の音に
  小はぎがもとを思ひこそやれ

 
(宮城野に吹けば露が結び、宮の内には涙の生じるこの風の音に、小さな萩のようなあの子のありかを思いやるのです)
 
とあったけれども、母君はすっかり御覧にもなれず……
 
「この命の長さが、至って情けないものと思い知られますけれども、
 
  松の思はむ
 
(あの高砂の松もどう思うか)
 
ということをすら、恥ずかしく思っておりますので、内裏に通いますことは、本当になおさら、はばかられることも多うございます。恐れ多い仰せの言葉を度々承りながら、私には思い立つこともできそうにございません。皇子は、どうしてお悟りになったか、早く参上したくて気をもんでいるようにお見えになりますので、それもそのはずでいとおしく拝見しております」などと、内々にこう思うております事情を奏してください。はばかるべき身でございますので、皇子がここにおいでになるのは縁起でもなくかたじけないことでございます……
 
とおっしゃる。皇子は眠っておいでになった。命婦は
「皇子にお目に掛かって、御様子を詳しく奏したくもありますけれども、お待たせしているでしょうに夜が更けてしまいそうですので」
と言って急ぐ。母君は
「目はくらみ心は迷う子故の闇の、耐え難いその片端だけでもせめて晴れるようにとばかり、申し上げたいこともございますので、次はわたくしに心のどかにお越しください。年来、うれしく栄えあるついでにお立ち寄りくださいましたものを、このような御案内でお目に掛かるとは、返す返す思うに任せぬ命でございますね。生まれた時より心積もりのあった娘で、亡くなった大納言は、臨終を迎えるまでもただ『娘には宮仕えの本意を必ず遂げさせてやりなさい。自分がいなくなったからと言って、口惜しくも気落ちしないように』と返す返すいさめておかれましたので、しっかりと後ろ盾になって心に掛けてくれる人もない交わりはかえって良くないことになりそうだとは思いながら、ただその遺言をたがえまいとばかりにいで立たせましたけれども、身に余るまでのお慈しみがよろずにかたじけなくて、人並みにも扱われない恥を隠しつつ交じわっていたようですのに、人のそねみは、深く積もり、煩いはますます多くなりまして、非道にもついにこんなことになってしまいましたので、恐れ多いお慈しみが、かえってむごく思われるのでございます。これも、どうしようもない子故の闇でございます」
と言いもやらずむせび泣いておいでになる内に夜も更けてしまう……
 
 主上もそうお思いですよ。
「我ながらひたむきに、人目を驚かすばかりにあの方のことが心に掛かったのは、長くない契りだったからなのであろうと、こうなってしまった以上はむごく思われるのです。決していささかも、人の心を損なうつもりはなかったのに、ただあの方の故にあまた、負うつもりもない人の恨みを負った果ての果ては、このように捨てられて、心を収める手立てもないので、ますます人目に悪くかたくなになり果てておりますのも、いかなる前世か知りたいものでございます」
と繰り返しては嘆きに沈んでおゆきになるばかりでございます……
 
と命婦は語って尽きることなく、泣く泣く
「夜もいたく更けてしまいますので。こよいの内にお返事を奏した方がようございますから」
と急いでゆく。月は入り方である。空が、清く澄み渡っているところへ、風がいたく涼しくなって、草むらの虫の声々は涙を催すようであり、そんなことからも、辺りの草から遠くへは、本当に離れてはゆきにくい。
 
  鈴虫の 声の限りを尽くしても
   長き夜かずる涙かな
 
(鈴虫のように声の限りを尽くしても、長い夜は明けず、飽きることもなく、鈴を振るでもなく涙は降るのです)
 
と言う命婦は車に乗ってしまうこともできない。母君は
 
「 いとどしく 虫の音しげき浅茅生あさぢふ
   露置き添ふる雲の上人
 
茅萱ちがやのまばらに生えているこの原に、ただでさえ虫はうるさく鳴き、私は泣いておりますのに、禁中の人までが涙の露を添えて置くのですね)
 
かこち言をも申し上げてしまいそうで」
と人に言わせる。美しい贈り物などのあるべき折でもないので、ただ娘の形見にということで、こんな用もあろうかと残しておおきになった御装束を一そろい、それにみぐし上げの調度のごときをお添えになる。若い女房たちは、悲しいことは言うに及ばず、内裏の辺りに朝夕に慣れ親しんでいてはこちらはいたく寂しく、主上の御様子などを思いだすので、早く参上してはどうかと勧め申し上げるけれども、「私のような忌み慎むべき者が添い奉るのも、本当に世のうわさがつらかろう。また、皇子を拝見せずにしばしもいるのは、本当に心に掛かること」と母君はお思いになって、さっぱりと皇子だけを参上させることもおできにならないのであった。
 命婦は帰って、ああまだお休みでなかったのかと思いながら主上にお目に掛かる。御前の内庭が本当に面白い盛りなのを御覧になっているようにして、忍びやかに、心憎い女房だけを四、五人伺候させて、物語をさせておいでになったのである。
 この頃明け暮れ御覧になる、長恨歌の屏風びょうぶは、宇多院の描かせたものであり、屏風歌は伊勢、貫之に詠ませたものである。主上は和歌をも、漢詩をも、ただこの長恨歌の筋を種にさせるのであった。
 いたく細やかに様子を問われる。物悲しかったことを、忍びやかに奏する。母君の返書を御覧になれば、
 
いとも恐れ多い御文は、置き所もございません。このような仰せの言葉につけても、暗くなる病んだこの心地でございます。
 荒き風防ぎし陰の枯れしより
  小萩が上ぞ静心なき

(宮城野に吹くような荒い宮の内の風を、陰となり防いでいた娘の命が枯れてよりは、小さな萩のような皇子の身の上を思うこの心も、主上の心も静かではないのです)
 
などというように無作法なのを、心が収まらなかった折だと見てお許しになったことであろう。
 あまり思うているようにも見られまいとしてお静めになるけれども、更に耐え忍ぶことがおできにならず、更衣と連れ添い始められた年月のことさえ、かき集め、よろずに思い続けられて、時の間も会わなければ心もとなかったのにこうしていても月日は経てしまったことよと驚かれる。
「亡き大納言の遺言を過たず、宮仕えの本意が深かったそのかいもあるように、お礼をしようと思い続けていたのだが、言ってもかいがないことだ」
とおっしゃって本当に悲しく母君のことをお思いやりになる。
「それでもおのずから、皇子が御成長になりなどすれば、相応のついでもきっとありましょう。命長かれと思うて念じるがよいのですよ」
などとおっしゃる。
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桐壺(一)

月岡芳年 月百姿『石山月』 メトロポリタン美術館コレクションより
 いつの御代であったか、女御、更衣が内裏にあまた伺候しておいでになった中に、至ってやんごとない身分ではないものの、優れて目をかけられておいでになる方があった。初めより、我こそはという自負のおありになるお方々は、思いの外の者とこれをおとしめ、そねんでおいでになる。席次の同じか低い更衣たちは、なおさら穏やかでない。朝夕の宮仕えにつけても人の心を揺るがすばかりで、負うた恨みの積もったためか、いたく病んでゆき、心細げに実家へ帰りがちであるのを、主上はいよいよ物足りなくいとしい者にお思いになって、人がそしるのもはばかられず、世のためしともなりそうなお取扱いとなる。月卿雲客げっけいうんかくも、面白くなさそうに
「あの方の覚えのめでたさには、本当に目をそばめたくなるようだ。唐土もろこしでも、こんなことが事の起こりとなって、世も乱れ、良くないことになったのだ」
と次第に、情けなくも天下の人の悩み草となり、楊貴妃ようきひのことまで例に出されそうになってゆくので、至って間の悪いことも多いけれども、主上の思いやりの類いないことを頼みとして人に交わっておいでになる。
 女の父は大納言だったが、亡くなっていた。母は、その北の方で、由緒ある旧家の人であったから、両親がそろい、差し当たり声望華やかなお方々にも、いたくは劣らぬように、何事の儀式をも取り繕うておいでになったけれど、取り立ててしっかりとした後ろ盾もないので、行事のあるときにはなお、よりどころがなく心細げである。前世にも契りが深かったのか、この世にないほど清らかな、玉のような皇子さえお生まれになった。主上は早く早くと待ち遠しがって、急いで参上させて御覧になると、赤子のお姿は珍しいほどである。第一の皇子は、右大臣の娘である弘徽殿の女御の子であり、後ろ盾も堅く、疑いなく立太子なさるお方として、世の中で鄭重ていちょうにお扱い申し上げているけれども、こちらの皇子の麗しさにはお並びになるべくもなかったので、主上は打ち捨ててもおかれず通り一遍にはお思いになるが、こちらの君をば、裏面では大切に慈しまれること一通りでない。女は初めより、主上へありきたりの宮仕えをなさるはずの身分ではなかった。主上の覚えも本当に並々でなく、貴人めかしてはいたけれども、耐え切れず纏綿てんめんさせる余りに、相応の遊びの折々や、何事にも、故ある行事の時期には、まずこの人を参上させたのである。ある時には、寝過ごされてそのままその人を伺候させておおきになるなど、強いて御前を去らぬようにお取り扱いになる内に、おのずから、身分の軽い人にも見えたのに、この皇子がお生まれになって後は、思い定めたように心を入れ替えられたので「東宮にも、悪くするとこの皇子がお立ちになりそうだ」と弘徽殿の女御は思い、疑っておいでになる。
 この女御は誰より先に主上のところへおいでになっており、打ち捨ててはおけないという主上の思いも一通りでなく、間に皇女たちなどもおいでになったので、このお方の諫言かんげんのみにはなお気が置かれ、気の毒にお思いになったのである。かたじけない御恩を頼みにしてはいながら、おとしめ、粗探しをなさる人も多く、自分自身も、か弱くはかない境遇で、かえって物思いがされるのである。
 女の部屋は桐壺にある。主上はあまたのお方々の前を、暇もなく通っておいでになるので、人々に気をもませることになるのも誠に道理と見えた。こちらから参上するにも、あまり度重なる折々は、打ち橋、渡殿とここかしこの道に、見苦しい業をしては、送り迎えの人のきぬの裾が、耐え難いほどよろしくないことになることもある。またある時には、避けて通れない長廊下の戸を固くとざし、こちらとあちらで心を合わせて困らせ、煩わせるようなときも多い。事に触れて、数知れず、苦しいことのみ増さるので女が本当に思い煩うているのを、主上はますますいとしく御覧になって、お近くの後涼殿こうろうでんに元より伺候しておいでになる更衣の用部屋をよそに移させて、その部屋を女にたまう。その恨みは、なおさらやる方ない。

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系図

ネットワークの可視化・解析用のフリーソフトウェアであるCytoscapeを使用して作成しました。

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更級日記

(八十二・終)蓬

 年月は改まり過ぎてゆくけれど、夢のように最期を見届けたあの折のことを思い出せば、心地もうろたえ、目もくらむようなので、その折のことはまた定かに思い出すことがない。
 人々は皆よそに別れて住むようになって、元の家に独りはなはだ心細く悲しいままに、物を思うて明かし、思い煩って、久しく訪れない人に
 
  茂りゆくよもぎが露にそぼちつつ
   人に問はれぬ音をのみぞ泣く
 
(茂りゆく蓬の露にぬれながら、人が訪ねてくれないことを泣くのです)
 
相手は、尼となった人である。
 
  世の常の宿の蓬を思ひやれ
   背き果てたる庭の草むら
 
(尋常の家の蓬のことを思いやってください。すっかりこの世を背いているあなたの庭の草むらから)
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更級日記

(八十一)涙

 懇ろに交際していた人が、こうなって後は訪れてもこないので、
 
  今は世にあらじものとや思ふらむ
   あはれ 泣く泣くなほこそはふれ
 
(今は世に在るまいと、私のことを思っているのでしょう。ああ、なおも泣く泣く年を経ているのです)
 
 また神無月が来て、月がはなはだ明るいのを泣く泣く眺めて
 
  暇もなき涙に曇る心にも
   明しと見ゆる月の影かな
 
(暇もない涙に曇る心にも、明るく見えるこの月の影だ)
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更級日記

(八十)姨捨

 おいたちなどは一つ所で朝夕に見ていたのに、こんな悲しいことの後は、所々になったりして誰を見ることも難しいけれど、至って暗い夜、六男坊のおいが来たので、珍しく思われて
 
  月もいでで闇に暮れたる姨捨をばすて
   何とてこよひ訪ねきつらむ
 
(月も出ないで闇と暮れている姨捨おばすて山に、どうしてこよいは訪ねてきたのでしょう)
 
と言ってしまったのである。
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(七十九)後の頼み

 さすがに命は、このつらさにも絶えることなく長らえているようだけれども、後の世のことも思うままにはなるまいと、それが心に懸かる中に、頼みにすることが一つあるのである。
 天喜三年十月十三日の夜の夢に……
 
 居処の軒端の庭に阿弥陀仏が立っておいでになる。
 定かにはお見えにならず、霧が一重隔たったように透いてお見えになるのを、強いて霧の絶え間に拝見すれば、蓮華の座が、土から上がって高さ三、四尺にあり、仏の御丈は六尺ばかりで、金色に光り輝いておいでになり、片方の手をば広げたように、もう片方の手には印を作っておいでになるのを、ほかの人の目には見つけ奉らず、私一人拝見しているのに、さすがにひどく恐ろしいのですだれの近くに寄って拝見することもできずにいたところ、仏が
「それでは、この度は帰って後に迎えに来ましょう」
とおっしゃる声が私一人の耳に聞こえて、人は聞きつけもしない……
 
と見たところで目を覚ませば十四日になっている。
 この夢ばかりを後の頼みとしていたのである。