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源氏物語

朝顔(三)

師走、二条院にあって紫上と語る。
 
雪まろげ。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
昔の人々について紫上と物語をする。
 鴛鴦おしどりが鳴いているので
 
・・かきつめて昔恋しき雪もよに
・・・あはれを添ふる鴛鴦をし浮き寝憂き音
 
(昔の恋しさも積もるようなこの雪降りに悲しみを添えている、浮き寝の鴛鴦おしどりの切ない声よ)
 
部屋に這入っても藤壺の宮のことを思いつつお休みになったところ、夢というのでもなくほのかにお見えになった。はなはだ恨んでいらっしゃる御様子で
「漏らしはしまいとおっしゃったのに、浮き名が隠れものうございますので、恥ずかしく苦しい目を見ますにつけても恨めしゅうございます」
とおっしゃる。返事を申し上げようとお思いになると、襲われるような心地がして、紫の女君が
「これは、どうしてこんな」
とおっしゃるので目が覚めて、はなはだ口惜しく、胸が、置き所もなく騒ぐので、それを抑えていても涙は流れ出てしまった。ただ今も、ますます涙にぬれている。女君は、どうしたことかとお思いになるけれど、源氏は身じろぎもせず伏したままである。
 
・・解けて寝ぬ寝覚め寂しき冬の夜に
・・・結ぼほれつる夢の短さ
 
(心置きなく寝ることもできず寝覚めも寂しい冬の夜は、結ぼれる夢も短いことだ)
 
かえって物足りなく悲しくお思いになるので、早く起き出されて、それとなく所々で誦経じゅきょうなどをおせさになった。
「苦しい目を見せてくださいましたねと恨んでいらしたが、そうも思われることであろう。お勤めもなさり、よろずに罪の軽そうであった御境遇でありながら、あの一事のためにこの世の濁りをすすぐことがおできにならなかったのであろう」とその訳をお考えになるにもひどく悲しいので、「どのようなことをしても、知る人もない世界にいらっしゃるとかいうところへお見舞いを申し上げに参って罪を代わってあげられたら」などとつくづくとお思いになる。
 この人のために取り立てて何かなさることも「人にとがめられよう。主上も、やましくお思いになるであろう」と気後れがするので、阿弥陀仏を心に掛けて念じられる。同じはちすにというのであろう。
 
・・亡き人を慕ふ心に任せても
・・・影見ぬ三つの瀬にや惑はむ
 
(亡き人を慕う心に任せて行っても、その影も見えぬ三途の川に惑うことであろう)
 
と思われるのがつらかったとか。(朝顔終)
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朝顔(二)

霜月また桃園宮に参る。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 やや久しくとかくに引っ張ってから開けてお這入りになる。宮の居室でいつものようにお話をなさると、何でもない昔物語を始めとして宮は話し尽くされるけれど、お耳を驚かすこともなく源氏は眠たくなって、宮も、あくびをなさって、宵から眠とうございましてしまいまで物も申せませんとおっしゃる間もなく、いびきであろうか、分からぬ音が聞こえてくるので、源氏は喜びながら立って出ようとなさるところへ、また一人、いたく老人臭いせき払いをして参る人があった。
「畏れ多いことですけれど、私のことは聞いていて御存じだろうとお頼み申し上げておりますのに、この世に在る人の数にも入れていただけないのでしょうね。院は、御婆大殿おばおとどと笑ってくださいましたが」
などと名乗り出るので思い出されるのである。源典侍といったその人は、尼になってこの宮の弟子として修しているのだとは聞いていたけれど、今でもこの世に在ったとは知らなかったので、驚いてしまう。
「先の御代のことも皆、昔語りになりまして、はるかに思い出すにも心細うございますのに、うれしいお声ですね。親無しに伏せる旅人として庇護してくださいませ」
と言って物に寄って坐っていらっしゃる御様子に、尼はますます昔を思い出して、昔に変わらずなまめかしく取り繕いながら、さすがに歯もまばらになった口つきが思いやられるその声遣いは舌足らずで、なおも気を利かせることを考えている。
 
ああ言ひこし程に
 
(この身をつらいと言ってきたその間に、今はあなたの身の上も嘆かねばならなくなりましたね)
 
などと言い寄るのには目をそばめられた。今になって老いが来たようなことをなどと頬笑まれるのではあるが、それとは裏腹に、この人がいとおしくもある。「この人の盛りの時に競い争われた女御、更衣も、あるいは全くお亡くなりになり、あるいは、かいなくはかない一生をさすらっておいでになる人もあるらしい。あの入道の中宮などのお年を思っても」と浅ましいばかりのこの世に、年のほど、命の残りも少なそうで、心ばえなども、たわいなく見えたこの人が生き残り、のどやかに、お勤めをもして過ごしておったとは、やはりおよそ定めないこの世であるとお思いになるにも切なそうな御様子に、尼は心も弾み若やいだ。
 
ああ年ふれどの契りこそ忘られね
あああ親の親とか言ひし一言
 
(年を経ましたけれど親子のような契りを忘れられないのです。親の親とか院がおっしゃいました一言のせいで)
 
と言うので、気味が悪くて
身を変へてのちも待ち見よ
あああこの世にて親を忘るるためしありやと
 
(生まれ変わった後の世でも待ち受けて見ていてください。前世の親を子が忘れるためしがあろうかと)
 
心強い契りですね。今に、静かにお話ができるはずです」
と言って立っておしまいになる。西表にしおもてでは、しとみを下ろしてあるけれども、いとうているようになるのもどうかと一間二間は下ろしていない。月が差し始めておりうっすらと積もった雪がそれに光り合って、かえっていたく面白い夜の様である。先ほどの人のように、老いて人に良く思われたがるのも、冬の月と同じように、良からぬことの世のたとえと聞いているがと思い出されておかしかった。こよいは至ってまめやかに言い寄られて
「一言、憎いとでも人づてでなく言ってくださいましたら、それを折として諦めましょう」
と、熱っぽくお責めになるけれども、「昔、私もこの人も若く、罪も許されていた時ですら、亡き父上などがこの人をひいきにしていらしたけれどあるまじく恥ずかしいことにお思い申し上げて終わってしまったのに、今は盛りも過ぎ、似合わしくもない身分で、ただ一声であったとしても本当に恥ずかしかろう」とお思いになって、更にどうなさる気配もおありにならないので、思いの外にむごいことだと源氏はお思いになる。さすがに情けもなく放ってはおかれず、人づてに返書を下さるのもいら立たしいのである。夜もいたく更けてゆくと風の音が激しくなって、本当に心細く思われるので、品良く涙を押し拭われて
 
ああつれなさを昔に懲りぬ心こそ
あああ人のつらきに添へてつらけれ
 
(とうの昔にあなたのつれなさに懲りてしまわなかった私の心が、あなたの恨めしさに添えても恨めしいのです)
 
ああ心づからの
 
(おのが心よりのことですので)
 
といよいよお言い寄りになるのを、誠にお気の毒なと人々はいつものように申し上げる。
改めて何かは見えむ
 ああ人の上にかかりと聞きし心変はりを
 
(どうしてこの心を変えてあなたに御覧に入れましょう。人の身の上には、そんなこともあったと聞きますが)
 
昔に変わることには慣れておりません」
などとおっしゃった。
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朝顔(一)

九月、斎院、喪で桃園宮に移る。
源氏、桃園宮に参る。
翌朝、前斎院に朝顔の花を奉る。
伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 今更再び、若々しい書きぶりをお示しになったりすることなども、似合わしくないようにお思いになるけれど、なお、こんなふうに昔から避けられてもいない様子でありながら飽き足りることもないまま過ぎてしまったことを思っては、このまま終われようはずもなく思われるので、昔に立ち返ってまめやかにお言い寄りになる。東の対に紫上から離れておいでになって、朝顔の宮のところの宣旨を迎えてお語らいになる。そちらに伺候する人々のうちで、さほどの身分でもない者の言葉にすらなびかされそうな者たちなどは、過ちもしそうなほどに源氏のことをめで申し上げるけれど、宮は、その昔にすら気持ちは殊の外に離れていらしたのに今はまして、二人とも恋などしそうもないよわいでもあり声望でもあり、「たわいない木や草に付けた文に折を見過ごさず返事をしたりすることも、軽々しいとうわさされていようか」などと人の物言いをはばかられては、打ち解けておあげになりそうな気配もないので、昔に変わらぬ様子のそのお心を、世の人とは変わって、珍しいとも憎らしいとも源氏はお思いになる。こんなことが世の中に漏れ聞こえて
「それは前斎院に懇ろに言い寄っておいでになるからですよ。女五の宮なども、それを悪くないと思っておいでになるそうです。そうなったら似合わしい取り合わせでございましょうね」
などと言っていたのを、西の対の紫上は伝え聞かれて、しばしは「そうはいっても、そんなことがあったなら、隔てを置いて黙ってはおいでになるまい」とお思いになるけれども、ふと目をつけて御覧になると御様子もいつもと違って落ち着きがない。それがまた情けなく、「はなはだ真面目に思い込んでいらしたことを何でもない戯れのように言いなしておいでになったのだろう。あの方は私と同じ血筋ではあるけれど、声望は格別で、昔より、やんごとないお方と聞こえておいでになるのに、そちらにお心も移ってしまえば情けないことにもなろう。さすがに年来のお取り計らいには、立ち並ぶ人もいないことに慣れてしまって、そうしてから人に押しやられることになろうとは」などと人知れず悲しまれる。「連絡も絶え、名残もないようなお取扱いはなさらずとも、本当に頼りなかった私の姿を年来見慣れておいでになったその親しみが、侮りやすいところにもなるのだろう」などと様々に思い乱れられるけれども、平凡なことならば、怨じてみせたりして、憎からずおっしゃるところが、本当に恨めしくお思いになることなので、紫上は色にもお出しにならぬ。源氏は端近く物を思いがちで、しきりに宮仕えをなさっては、勤めのようにしてあちらへ文をお書きになるので、「誠に世の人の言葉も根拠がなくはなかったようだ。せめてそれとなくほのめかしてくださっていたら」と、疎ましくばかりお思いになる。