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更級日記

(五十一)師走の宮仕え

 師走になってまた参上する。
 女官として、この度は数日伺候する。
 御方には、昼は時々、そして夜にも参上する。知らない人の中に伏してはしばしも眠れない。
 恥ずかしく、辺りがはばかられるので、忍び泣きをしつつ、未明には下がって、そのまま日暮らし、あの、老いて衰え、私をちょうど頼もしい陰のように思って向かい合っていた父のことが、恋しく心もとなくのみ思われる。
 母を亡くしためいたちも、生まれた時より起き伏しを共にして、夜は左右にいたこともいとしく思い出されなどして、上の空で、物を思うて暮らされた。
 立ち聞きやかいま見をする人の気配がして本当にひどく恥ずかしい。
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(五十)宮仕え

 まず一夜参上する。
 濃淡八枚ばかりの菊襲きくがさねの上に濃い掻練かいねりを着た。
 あれほど物語にのみ心を入れて、それを見るよりほか、行き通う親類などすら殊になく、昔めいた両親の陰にいるばかりで、月や花を見るよりほかのことはない習いのままに出ていったその折の心地は夢のようで、うつつとも思われぬまま、暁には退出してしまう。
 田舎風の私の考えには、安定した実家住みよりもかえって、面白いことを見聞きして、心も慰むだろうかと思う折々もあったのに、至って間が悪く、悲しいこともあるようだと思うけれども、どうしようもない。
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(四十九)母出家

 神無月になって京に移る。
 母は尼になって、同じ家の内ではあるけれども、別の方角に離れて住んでいた。
 父はただ、私を家長に据えて、自分は世に出て交わりもせず、陰に隠れたようにしているのを見るのも、頼もしげなく心細く思われていたところ、ゆかりがあって私のことを御存じのところから、何となくつれづれに心細く過ごしているよりは、とお召しがあったのに、昔めいた両親は、宮仕えは至ってつらいものだと思って私を家で過ごさせていたけれども、
「今の世の人は皆出仕するものですよ。それでおのずからうまくいくためしもあるのです。試みにそうなさい」
という人々があって渋々私を出仕させられる。
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(四十八)西山

 東は、野がはるばるとあって、山際は、比叡ひえの山よりして、稲荷いなりなどという山まで明らかに見え渡り、南は、ならびの岡の松風が、至って耳に近く心細く聞こえて、こちら側の頂まで、田に鳴子なるこというものを引き鳴らす音など、本当に田舎の風情で、月の明るい夜など本当に楽しいので、眺め明かして暮らすけれども、知った人は、里から遠くなっては音沙汰もない。
 何かのついでに、いかがお過ごしでしょうと伝えてきた人に驚いて
 
  思ひいでて人こそ問はね
   山里のまがきの荻に秋風は吹く
 
(人は思い出して訪ねてきてもくださいませんけれど、秋風は、この山里の、まがきの荻に吹いてきます)
 
と言わせに人をやる。
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(四十七)父帰京

 東国に下っていた父がようよう帰京して西山の某所に落ち着いたので、そこに皆で移って父を見るとはなはだうれしく、月の明るいもすがら物語などをして
 
  かかるもありけるものを
   限りとて君に別れし秋はいかにぞ
 
(このような夜を過ごす時がやってまいりましたものの、これを限りとあなたに別れたあの秋はどんなにか)
 
と言ったところ父はひどく泣いて
 
  思ふことかなはず なぞといとひこし
   命のほども今ぞうれしき
 
(思うことがかなわず、怪訝に思うてきたこの寿命も、今はうれしいことです)
 
 これが別れの門出と父が言って知らせた折の悲しさよりも、つつがなく会うことのできたうれしさは限りもないけれど、
「人の上にも見たことだが、老いて衰えてしまっては、世に出て交わるのもばからしいと見えるから、私はこれで籠居してしまおう」
とばかり、残りの寿命もないように思うて言うらしいので、私は心細さに堪えなかった。
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(四十六)修学院

 親族の一人が尼になって修学院に入ったので、冬頃に
 
  涙さへりはへつつぞ思ひやる
   嵐吹くらむ 冬の山里
 
(涙さえ降りつつひたぶるに思いやっています。嵐の吹いておりましょう冬の山里を)
 
 返し
 
  わけて問ふ心の程の見ゆるかな
   木陰小暗き 夏の茂りを
 
(わけてもここを訪れてくださったお心のほども見えることです。木陰も小暗い夏の茂みを分けてもここを)
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(四十五)天照大神

 たわいもなかった頃から、心に常に天照大神を念じ申し上げなさいと言う人があった。
 どちらにおいでの神やら仏やらなどと言っていたけれども、次第に分別がついて人に問うてみると、
「神でいらっしゃいます。伊勢においでになります。紀伊国造きいのくにのみやつこと申すのはこの御神のです。そのほか、温明殿うんめいでん守宮神すくじんとしておいでになります」
と言う。
……伊勢の国まで行かれようとは思いもかけない。温明殿にもどうして参拝できようか。空の光を念じ申し上げるべきか……などと、浮いた心のままに思われた。
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(四十四)鏡の影

 母が一尺の鏡を鋳させ、連れて参らぬ代わりにということで、僧をいで立たせ初瀬に詣でさせるようである。
「三日いて、娘の運命を夢にお見せください」
などと言って詣でさせたようなのである。
 その間、私にも精進させる。
 その僧が帰ってきて……
 
……夢すら見ないで退出したら不本意なこと。帰ってきても何と申し上げられよう……と大いにぬかずいて修して寝たところ、帳台の方より、はなはだ気高く清げな、折り目正しい装いの女人が、私の奉りましたその鏡を引っ提げて
「この鏡には文が添えてありませんでしたか」
と問われたので、かしこまって
「文はございませんでした。ただこの鏡を奉れということでございました」
と答え奉ったところ、
「妖しいことですね。文が添えてありますはずのものを」
と言って
「この鏡の、こちらの端に映った影を御覧なさい。これを見れば、ああ、悲しいぞよ」
言ってさめざめと泣いておいでになるので、見れば、ふしまろび、泣いて嘆く影が映っておるのでございます。
「この影を見れば悲しいですね。こちらを御覧なさい」
言って、反対の端に映った影を見せられたが、御簾は青々として、几帳を端に押し出した下より種々の色のきぬがこぼれ出て、梅や桜の咲いた枝から枝へとうぐいすが飛び移っては鳴いているのを見せて
「これを見るのはうれしいですね」
と言われたと見えたのです……
 
と、語ったそうである。
 それをどう見たらいいかと耳を傾けることすらしない。
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(四十三)清水

 こうして物を思い続けているのに、なぜ参詣もしなかったか。
 母はひどく昔めいた人で、初瀬には「まあ恐ろしい。奈良坂で人に捕られたらどうします」石山は「関山の向こうは本当に恐ろしい」鞍馬くらまは「そんな山、連れて出るのが本当に恐ろしいよ。お父様が帰京なさってからならともかく」と、世離れた人のように煩わしがって、僅かに清水きよみずに私を連れて籠もったものである。
 そこでも、例の癖には、正しかろうことは思い申し上げられもしない。
 彼岸の折で、はなはだ騒がしく、恐ろしくまで思われるまま、しばし寝入っていると……
 
 帳台の方の犬防ぎの内で、青い織物の衣を着て、錦を頭にもかぶり足にも履いている、別当とおぼしい僧が寄ってきて
「行く先の哀れであることも知らず、そんな由もないことばかりを」
と憤って帳台の内に入ってしまう……
 
と見て目を覚ましても、こんなことを見たとも語らず、気にも留めないでそこを退出した。
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(四十二)子しのびの森

 東国より人が来た。
 
神拝という業をして国のあちこちを回ったところ、水の美しく流れている野がはるばるとあり、そこに木陰があるのを……美しいところだ。見せることもできないが……とまずあなたを思い出して、ここは何というところかと問うと、子しのびの森と申しますと答えたのが、身によそえられてはなはだ悲しかったので、馬より降りてそこを幾時も眺めていたのです。
 とどめおきて我がごと物や思ひけむ
  見るに悲しき子しのびの森
(我がごとくお前も、子を置いてきて物を思ったのであろう。見るにも悲しい子しのびの森よ)
と思われました。

 
とあるのを見る心地は改めて言うにも及ばない。
 返事には
 
 子しのびを聞くにつけても
  とどめおきし父の山のつらきあづま路
(子しのびと聞くにつけても、私をここにとどめておいたお父上は、東国秩父の山道のようにむごいお方です)