右近の蔵人の将監 、源氏の仮の随身に。
賀茂祭の日、若紫の君、髪そぎ。
賀茂祭の日、若紫の君、髪そぎ。
若紫の君、源氏と同車にて見物。
源典侍、扇の妻を折って歌を書いて源氏の車に送る。
源氏の北の方、物の怪に煩う。
源典侍、扇の妻を折って歌を書いて源氏の車に送る。
源氏の北の方、物の怪に煩う。
院よりもお見舞いは絶え間なく、お祈りのことにまで考え及ばれる御様子がかたじけないのにつけてもますます失うのが恐ろしくなるその人の御身である。世間があまねく尊重しているとお聞きになるにも御息所は、何ともないようには思われない。本当に年来これほど競うようなお心はなかったのだけれど、つかの間の、所の車争いにこの人のお心は揺らいでしまったのに、大将殿はそこまで考え及ばなかった。こうした物思いの乱れに、御息所は御気分もお悪くなるばかりなので、よそへお移りになって修法などおせさになる。大将殿は、お聞きになっ て、いかなる御病気かと哀れにお思いやりになってそこへおいでになった。旅先であるから、いたくお忍びになる。不本意にも訪問のなかったおわびなどを罪も許されるべくおっしゃり続けて、やはり苦しんでおいでになるあの人の御様子のことをも、憂えておっしゃる。
「私はそれほど思い込んでもおりませんけれど、御両親があまり事々 しく思い惑われますのが気の毒で。こんな折はあれの面倒を見て過ごそうということなのです。よろずにお心を静めてくださるならば、本当にうれしゅうございますが」
などとお語らいになる。常よりも気遣わしげな御様子をそれもそのはずであるといとおしく御覧になる。打ち解けることのない朝ぼらけに源氏が出ておゆきになるその御様子の美しさにもなお、この人を振って離れてしまうことが思い返される。打ち捨てておけないあの方のところに、ますます慈しみの添うはずのことまでできてしまい、お一方 に心も落ち着いておしまいになるであろうから、こうしてお待ち申し上げていても気をもむばかりであろう、とそのことに、かえって物思いに気付かされるような心地がなさるところへ、文ばかりが暮れ方にあるのである。
ここ数日少し癒えてきたようだった妻の心地がにわかにいたく苦しそうになりまして、離れられませんので。
とあるのをいつものかこつけと御覧になるのではあるが
袖ぬるる恋路 とかつは知りながら
下り立つ田子の自ら ぞ憂き
(泥のように袖をぬらす恋路とかつは知っていながら、水の中に下りてゆく農民のような自らがつらいのです)
山の井の水
(山の井の水にこの袖がぬれるばかり)
なのもそのはずです。
と書いたのである。この手はなおもあまたの人の中に優れているなと御覧になりつつ「人との付き合いはいかにしたものであろう。心も姿も皆とりどりで、捨てるべくもなく、また、思い定めるべき人もないのが苦しくて」と思われる。返書は、いたく暗くなってしまったけれど
袖のみぬるる
(山の井の水に袖のみぬれる)
とはどういうことでしょう。お心が深くないからですね。
浅みにや人は下り立つ
我が方は 身もそぼつまで深き恋路 を
(浅いところへあなたは下りてゆくのでしょう。私の方は、身をぬらすまで深い泥のような恋路だというのに)
並々ならず妻に手間が掛かりますので、そうでなければこの返事も自ら申し上げたところですが。
などと言ってやる。
左大臣家の女君は、いたく物の怪が起こってはなはだお煩いになる。それを御自分の生き霊だとか、大臣であっ た亡き父の御霊 であるなどと言う者がある、とお聞きになるにつけても御息所は考え続けて御覧になると「我が身一つのつらさを嘆くよりほかに、人の上に良からぬことがあれなどと思う心もないのだけれど、物思いに魂はさ迷うというし、そんなこともあるのだろうか」と思い知られることもある。年来残すところなくよろずに物を思うて過ごしてきたけれど、こうまで心を打ち砕かれたことはなかったが、あのみそぎの折に人に軽蔑され、そこにいてはならない者のように取り扱われた後、つかの間に寄る辺のなくなった心が、鎮まり難く思われるゆえか、しばしお眠りになるその夢には、かの姫君とおぼしい、本当に清らかな人のところへ行ってとかくにまさぐり、うつつにも似ず激しく荒々 しくひたぶるな心が出てきて荒らかに引きのけたりすると御覧になることが度重なった。「ああ情けない。この魂は誠にこの身を捨てて去っ たのであろうか」と、正気でないかに思われる折々 もあり「ただでさえ人のことは善いように言わない世の中である。こんなことはなおさら、本当によくも言い立てられそうな話だ」とお思いになるところへ「本当に名にも立ちそうなこと。この世から全くいなくなった後に恨みを残すなら、世の常のことだ。そんなことでさえ人の身の上であれば罪深く忌ま忌ましく思うのに、この世にある我が身ながらあのような疎ましいことを言いなされる宿世がつらいこと。およそ、つれないあの人のことはいかにしても心に掛けまい」とお思い返しになるけれども
思ふも物を
(思うまいと思うことも物を思う内)
なのであった。
斎宮は、去年内裏にお入りになるはずだったのに、様々 に障ることがあってこの秋にお入りになる。長月にはそのまま野宮 にお移りになるはずなので、再びのはらえの御準備が重ねてあるはずなのに、母君がただ怪しくぼうっと伏して苦しんでおいでになるので、宮中の人は、これを重大事のようにしてお祈りなど様々 につかまつる。とはいえ仰山な様子でもなく、どこそこが悪いということはなくて月日を過ごしておいでになる。大将殿も、常にお見舞いはなさるけれども、この人に勝るあのお方がいたくお煩いになるので、お心のいとまもなさそうである。「まだ、そんな折でもなかろう」と皆も油断しておいでになるところへにわかにその気配があってお苦しみになるので、いよいよはなはだしいお祈りを、数を尽くしてなさったけれども、いつもの、執念深い物の怪一つが、更に動かず、並々 ならぬ験者たちも、珍しいこととこれに悩む。それでもさすがにはなはだ調伏されて、気の毒げに思い煩って泣きながら
「少し手を緩めてくださいまし。大将に申し上げるべきことがあります」
とおっしゃる。人々 は
「それ御覧。何か訳があるのでしょう」
と言って、枕に近い几帳のもとへ源氏を入れ奉った。すっ かり臨終のようでいらっしゃるので、申し上げておきたいことでもおありになるのであろうかということで左大臣も母宮も少しお退きになった。加持の僧たちが、声を静めて法華 経を読んでいるのが、はなはだ有り難い。几帳のかたびらを引き上げて御覧になれば、本当にかわいらしく、お腹ははなはだ高くて伏しておいでになる様は、よその人ですら、拝見すれば心も乱れるであろうに、源氏がこの人のことをいとおしく、失うのが恐ろしくお思いになるのはなおさらそのはずである。白い服の上へ色合いも至って際やかに、本当に長く豊かなおぐしを結っ て添えてあるのも、「こうしていると、可憐で艶なところも添うてかわいらしいのだが」と見える。お手を捉えて
「ああひどい。つらい目をお見せになるのですね」
と言ってから、物もおっしゃらず泣いておいでになるので、いつもはいたく気が置かれて伏せておいでになるその目を非常にだるそうに見上げてこちらを見詰めておいでになるところへ涙がこぼれるその様を御覧になるのはどうして感慨も浅かろう。北の方があまりいたくお泣きになるので「気の毒な御両親のことをお思いになり、また、こうして私を御覧になるにつけても、口惜しく思われるのであろうか」とお思いになって
「何事も、あまりそう思い込んではなりませんよ。そうはいってもお悪くはなりますまい。またどうなったとしても必ずや、夫婦の会うところはあると聞きますから、きっ と対面はあるでしょう。左大臣、母宮などのことも、深い契りのある仲は、輪廻 によっても絶えることがないと聞きますから、相見る折はきっ とあるとお思いなさい」
とお慰めになると
「いいえ違うのです。この身がいたく苦しいのでしばし調伏の手を休めてくださいと申し上げようと。ここまで参ろうとは更に思いもしませんのに、物を思う人の魂は誠にさ迷うものなのですね」
と慕わしげに言って
嘆きわび 空に乱るる
我が霊を結びとどめよ 下がへのつま
(嘆息し、思い煩い、空に乱れているこの魂を、私の中にとどめてください。下前のつまを結んで)
とおっしゃるその声、その素振りは、人が違ったように変わっておいでになる。あまりいぶかしいので思い巡らして御覧になるに、ただあの御息所なのであった。驚いて、これまで人がとかく言うことを、無節操な人間の物言いは聞きにくいものだお思いになって言い消しておいでになったのに、現にこれを見ながら「この世には、こんなことがあるものか」と気味が悪くなってしまう。まあ面白くないと思われて
「そうはおっしゃいますけれど、どなたか分からないのです。確かにおっしゃってください」
とおっしゃると、ただその人らしい御様子なので、驚いたとは言うもおろかである。人々 が近くに参るのにも気が引ける。少しお声も静まったので、物の怪の絶え間かということで母宮が煎薬を持ってお寄りになると北の方は抱き起こされて、程なくお産まれになった。皆うれしくお思いになることはこの上ないけれども、追い立てて人にお移しになってある物の怪どもがひどく憎らしそうにしている気配が至って騒がしくて後産のこともまた本当に心もとない。言い切れぬほどの願を立てさせたゆえか、つつがなくお産が終わったので、比叡 山の座主や、誰々 とかいう並々 ならぬ僧たちは、したり顔に汗を押し拭いつつ急いで退出してしまう。数日は肥立ちが良くないように見えて多くの人が気をもんだが、それも少しずつ治って、ここまで来ればよもや、と皆お思いになる。修法などもまたまた付け加えて始めさせはなさるけれど、まずは、興があり珍しさもあるこの赤子のお守りに皆の心は緩んでいる。院を始めとして親王たちや公卿も残るところのない産養いの品の珍しく素晴らしいのを夜ごとに見ては騒ぐ。男の子でさえあったので、その折の作法はにぎやかでめでたかった。
「私はそれほど思い込んでもおりませんけれど、御両親があまり
などとお語らいになる。常よりも気遣わしげな御様子をそれもそのはずであるといとおしく御覧になる。打ち解けることのない朝ぼらけに源氏が出ておゆきになるその御様子の美しさにもなお、この人を振って離れてしまうことが思い返される。打ち捨てておけないあの方のところに、ますます慈しみの添うはずのことまでできてしまい、お
ここ数日少し癒えてきたようだった妻の心地がにわかにいたく苦しそうになりまして、離れられませんので。
とあるのをいつものかこつけと御覧になるのではあるが
袖ぬるる
下り立つ田子の
(泥のように袖をぬらす恋路とかつは知っていながら、水の中に下りてゆく農民のような自らがつらいのです)
山の井の水
(山の井の水にこの袖がぬれるばかり)
なのもそのはずです。
と書いたのである。この手はなおもあまたの人の中に優れているなと御覧になりつつ「人との付き合いはいかにしたものであろう。心も姿も皆とりどりで、捨てるべくもなく、また、思い定めるべき人もないのが苦しくて」と思われる。返書は、いたく暗くなってしまったけれど
袖のみぬるる
(山の井の水に袖のみぬれる)
とはどういうことでしょう。お心が深くないからですね。
浅みにや人は下り立つ
我が方は
(浅いところへあなたは下りてゆくのでしょう。私の方は、身をぬらすまで深い泥のような恋路だというのに)
並々ならず妻に手間が掛かりますので、そうでなければこの返事も自ら申し上げたところですが。
などと言ってやる。
左大臣家の女君は、いたく物の怪が起こってはなはだお煩いになる。それを御自分の生き霊だとか、大臣で
思ふも物を
(思うまいと思うことも物を思う内)
なのであった。
斎宮は、去年内裏にお入りになるはずだったのに、
「少し手を緩めてくださいまし。大将に申し上げるべきことがあります」
とおっしゃる。
「それ御覧。何か訳があるのでしょう」
と言って、枕に近い几帳のもとへ源氏を入れ奉った。
「ああひどい。つらい目をお見せになるのですね」
と言ってから、物もおっしゃらず泣いておいでになるので、いつもはいたく気が置かれて伏せておいでになるその目を非常にだるそうに見上げてこちらを見詰めておいでになるところへ涙がこぼれるその様を御覧になるのはどうして感慨も浅かろう。北の方があまりいたくお泣きになるので「気の毒な御両親のことをお思いになり、また、こうして私を御覧になるにつけても、口惜しく思われるのであろうか」とお思いになって
「何事も、あまりそう思い込んではなりませんよ。そうはいってもお悪くはなりますまい。またどうなったとしても必ずや、夫婦の会うところはあると聞きますから、
とお慰めになると
「いいえ違うのです。この身がいたく苦しいのでしばし調伏の手を休めてくださいと申し上げようと。ここまで参ろうとは更に思いもしませんのに、物を思う人の魂は誠にさ迷うものなのですね」
と慕わしげに言って
嘆きわび
我が霊を結びとどめよ
(嘆息し、思い煩い、空に乱れているこの魂を、私の中にとどめてください。下前のつまを結んで)
とおっしゃるその声、その素振りは、人が違ったように変わっておいでになる。あまりいぶかしいので思い巡らして御覧になるに、ただあの御息所なのであった。驚いて、これまで人がとかく言うことを、無節操な人間の物言いは聞きにくいものだお思いになって言い消しておいでになったのに、現にこれを見ながら「この世には、こんなことがあるものか」と気味が悪くなってしまう。まあ面白くないと思われて
「そうはおっしゃいますけれど、どなたか分からないのです。確かにおっしゃってください」
とおっしゃると、ただその人らしい御様子なので、驚いたとは言うもおろかである。
あの御息所は、こうした御様子をお聞きになってもあきれておしまいになる。「かねてより、本当に危ういと聞いていたのに、つつがなくもまた」とお思いになった。怪しく我を忘れる時々 のお心地のことが思い続けられる内に、服などに芥子 の香がすっかり染み付いている怪しさに、鬢水 を使ったり、服を着替えたりなさっ て試みられるけれど、なおも同じ有り様なので、我が身ながらにすら、気味悪く思われるのに、人からはなおさらどう言われ思われることかと、人におっしゃれるはずのことでもないので心一つに悲しんでいらっしゃる内に、ますます御動揺は増さってゆく。
大将殿は、心地を少しお鎮めになるまま、驚かされたあの折の問わず語りのことをも、情けなく思い出されつつ「あれきりいたく程を経てしまったのも心苦しい。しかし、近くでお目に掛かればまたどれほど情けなく思われることだろう。あの人のためにも哀れなことだ」とよろずにお考えになって、文ばかりをやることになさるのであった。いたくお煩いになった人の肥立ちを、油断ならず不穏なことに誰もが思っておいでになるのもそのはずで、源氏は出歩かれることもない。しかし北の方はなお至って苦しそうにのみしておいでになるので、まだいつものように対面なさることもない。赤子は、本当に不吉なまで御立派にお見えになるので、源氏は今から格別熱心にお世話をなさるようである。事がうまく運んだ心地がして左大臣も、うれしく思っておいでにはなるけれども、ただ、娘のお心地のすっかり癒えることがないのをじれったくお思いになるのであるが、あれほどひどかっ たのだからその名残であろうとお考えになって、どうして、そううろたえてばかりもいられよう。赤子の目元の愛らしさなどが、あの藤壺との子にはなはだ似ておいでになるのを御覧になっても、まず、恋しく思い出されるので忍び難くて、源氏はお会いになろうとして
「内裏などにも、あまり久しく参上しませんので、それが気掛かりで今日は初めて外出することにしますから、少し近い辺りでお話ししたいのです。あまり心もとない、お心の隔てでございます」
と恨み言を掛けておいでになると、
「誠に、ただひとえに思わせ振りにのみしていられる仲でもありますまいに、いたく弱っておいでになるとはいいながら、物越しでいられるはずがどうしてありましょう」
と言って、北の方が伏しておいでになるその近くへ敷物を御用意したので、這入ってお言葉をお掛けになる。お返事も時々 なさるが、至ってか弱そうである。けれど、すっ かり、亡き人のようにお思い申し上げていたあの時の御様子を思い出して御覧になれば、夢のような心地がして、まだ不穏であった間のことなどをお話しになるその折しも、あのすっかり息も絶えたようでいらした人が、打っ て変わってぶつぶつとおっしゃったあの言葉を思い出されるにも情けないので、
「いえ、お話ししたいことも本当に多いのだけれど、まだあまりだるそうに思っておいでのようだからね」
と言って、この煎薬をお飲みなさいなどと看護までなさるのを、いつお習いになったのであろうかと人々 は感心する。このような本当にかわいらしい人がいたく健康を損なわれて、あるかなきかという有り様で伏しておいでになる様は、いたく可憐で気の毒である。おぐしが、乱れた筋もなくはらはらと掛かっている枕の辺りが、有り難いまでに見えるので、「年来この人のどこを、物足りないことに思っていたのであろう」と、怪しいまでにその人のことが見詰められる。
「院などのところへ参上してすぐ退出してまいりましょう。こんなふうに、心安くお目に掛かれればうれしゅうございますのに、母宮がじっとそばにおいでになるので、それに遠慮して過ごしていたのも苦しゅうございました。少しずつ心強く思い込んでいつものお部屋へお戻りなさい。半ばは、あまりいとけなくお振る舞いになるせいでこんなふうにしていらっしゃることになるのですよ」
などと言い置かれて、装いも至ってこざっぱりと出ておゆきになるところを、北の方は常より目をとどめて御覧になりながら伏している。その日は秋の司召 がある定めで左大臣も共に参上するのだが、公達 も、功績にしてほしいことがあって、大臣に同行なさるので、皆連なって出ておしまいになる。そうして御殿の内は人少なでしめやかな折、にわかに、いつもの発作に北の方はいたく胸をせき上げられる。内裏に消息を申し上げる間もなく絶え入っておしまいになる。大急ぎで皆退出してこられて、除目 の夜ではあったけれども、このどうしようもない障りのために事は皆破れたようである。騒ぎは夜中の折であるから、比叡山の座主や、誰々 とかいう僧都たちも、請じることがおできにならない。よもやここまで来ればと油断していたところを驚かされて、御殿の内の人は慌てふためいている。所々 のお見舞いの使いなどが立ち込んでいたけれど、伝言もできぬほど辺りはどよめいていて、御両親の心惑いは、本当に恐ろしいまでにお見えになる。
大将殿は、心地を少しお鎮めになるまま、驚かされたあの折の問わず語りのことをも、情けなく思い出されつつ「あれきりいたく程を経てしまったのも心苦しい。しかし、近くでお目に掛かればまたどれほど情けなく思われることだろう。あの人のためにも哀れなことだ」とよろずにお考えになって、文ばかりをやることになさるのであった。いたくお煩いになった人の肥立ちを、油断ならず不穏なことに誰もが思っておいでになるのもそのはずで、源氏は出歩かれることもない。しかし北の方はなお至って苦しそうにのみしておいでになるので、まだいつものように対面なさることもない。赤子は、本当に不吉なまで御立派にお見えになるので、源氏は今から格別熱心にお世話をなさるようである。事がうまく運んだ心地がして左大臣も、うれしく思っておいでにはなるけれども、ただ、娘のお心地のすっかり癒えることがないのをじれったくお思いになるのであるが、あれほどひど
「内裏などにも、あまり久しく参上しませんので、それが気掛かりで今日は初めて外出することにしますから、少し近い辺りでお話ししたいのです。あまり心もとない、お心の隔てでございます」
と恨み言を掛けておいでになると、
「誠に、ただひとえに思わせ振りにのみしていられる仲でもありますまいに、いたく弱っておいでになるとはいいながら、物越しでいられるはずがどうしてありましょう」
と言って、北の方が伏しておいでになるその近くへ敷物を御用意したので、這入ってお言葉をお掛けになる。お返事も
「いえ、お話ししたいことも本当に多いのだけれど、まだあまりだるそうに思っておいでのようだからね」
と言って、この煎薬をお飲みなさいなどと看護までなさるのを、いつお習いになったのであろうかと
「院などのところへ参上してすぐ退出してまいりましょう。こんなふうに、心安くお目に掛かれればうれしゅうございますのに、母宮がじっとそばにおいでになるので、それに遠慮して過ごしていたのも苦しゅうございました。少しずつ心強く思い込んでいつものお部屋へお戻りなさい。半ばは、あまりいとけなくお振る舞いになるせいでこんなふうにしていらっしゃることになるのですよ」
などと言い置かれて、装いも至ってこざっぱりと出ておゆきになるところを、北の方は常より目をとどめて御覧になりながら伏している。その日は秋の