源氏が瘧 にかかり、あまたのまじないをお試しになったかいもなく度々再発した時のこと、或 人の云 うには、北山のさる寺に聖者が一人あって前年の夏そのまじないに(瘧がその節は流行し、普通のまじないが効いていなかった)不思議に度々著しい効き目があったという。「無益な手段を次々試していらっしゃる間も、病は御身に迫ってまいります。取敢 えずその方に御相談なさいませ」直ちに源氏は人を遣わしてその聖者を迎えようとなさったけれど、老衰でもう外出に差支えがあるのだと答えてきた。「どうしたものだろう。微行せねばなるまいね」と源氏は仰有 った。従者には信用している者を只 四五人ばかり連れて、夜の明けるずっと前に御出発になった。その地はちょっと山深いところにあった。弥生の末日で、都の花はすっかり落ちていた。山桜は未 だ咲いてなかったが、野に近づくにつれ、霞 がおかしな面白い装いを見せ始めるのが││ こんな見物もめったになさったことのない、礼儀作法に繋 ぎ留められた御身には││ 却 ってお気に召したのだった。辺りの寺も気に入った。高い岩壁が深く窪 んだ中に、聖者は住まいしていた。源氏は刺も通ぜず、変装もしておいでになったが、名高いそのお顔から僧には直ちにその人と分かった。
「御容赦ください。あなただったのでございますね。先日招待してくださったのは。やれやれ、もうこの世のことなどは忘れてしまいまして、どうすれば効き目があるものか忘れておると思いますが。こんなところまで来ていただいて誠に残念なことで」と気が気でないふりをしつつ笑って源氏の方を眺めた。しかし、信心と学識の深い人であることは直に明白になった。さる護符を薬にして飲ませ、或まじないを唱えた。これが済んだ頃には、もう日が出ており、ちょっと洞を出て源氏は辺りを見廻した。今立っている高地からは、数軒の庵の散らばっているのが見下ろされた。一筋路が曲がりくねって一軒の仮屋に通じていた。よそと同じ小柴の生垣を廻らしてはあるがもっと広々として、渡り廊下を面白く延ばし、四方に柴を植えて手入をしてあった。誰の家かと家来に尋ねると、或僧都が二年の間そこに隠居していることを、一人から聞かされた。「その方なら能く存じ上げております。こんな装束と供回りでは出会いたくないものですね。噂にならなければいいが……」源氏が僧都の名を聞いてそう仰有った時、綺麗な装束を着けた子供の一団が丁度家から出てきて、祭壇と絵像を荘厳する花を摘み出した。「女の子もいますね。上人がお置きになるとは迚も想われませんが。それなら誰かしら」家来の一人が云って、好奇心を満足させるため、ちょっと山を下りて様子を窺った。「はい、大層かわいらしい娘たちがおりまして、大人びたのもいれば、全くの子供もおりました」と帰ってきて報告した。
源氏は午前中ほとんど治療にかかり切りだった。ようやく儀式が終わると、いつも熱がぶり返す時刻を恐れて、極力気を散らそうと従者たちは山の向うの、都の見えるところまで、ちょっと源氏を連れていった。「実に好いものですね。遠方は半ば霞に隠れ、四方へ拡がる森はぼんやり微かに光って絵のようです。こんなところに住んでいる人は、一瞬たりとも満足せぬことがあるでしょうか」と源氏は叫んだ。「こんなものは何でもございません。よその国の湖や山でもお見せできましたら、ここで感心しておいでになる眺めなどより遥かに勝っているのが直にお分りになるでしょう」と家来の一人が、富士山というもののあることから説き出して、西国にある面白い浦の悉くまでも聞かせ終わると、源氏は熱の時刻であることを全く忘れておしまいになった。「あちらの手前が」家来は海の方を指して続けた。「播磨の明石の浦でございます。よくよく御覧ください。さほど辺鄙な地でもございませんが、大海原のほかはどこからも切り離されたような心地がして、私の知る限りでは最も異様で寂寞たる場所でございます。そんなところに││ 曾てはそこの国主で、今は入道している人の令嬢が││ その地にはまるで不釣合なほど宏大な屋敷を構えているのでございます。父上は大臣の後裔で、俗界に大いに頭角を見すものと期待されておりました。ところがこれが大層風変りな男で、大の交際嫌いなのでございます。一時は近衛の中将でしたが、これを辞めて播磨の国守を引受けました。けれども土地の人とも直に不和になって、待遇が酷いから帰京すると吹聴しながら、中々どうして頭を剃って入道となったのです。それから、例のごとくどこか閑静な山の中に住まうのでなしに、そこの海岸に家を建てました。大層妙なことをしたものだと思われるのも尤ですが、実のところ、かの国ではどこにも世捨人の住居は随分ございますし、山国となると遥かに人影も面白みもなくて、若い妻子も酷く怒るでしょう。それだから妥協して海岸を選んだのです。曾て私が播磨の国を漫遊しておりました時、序があってその家を訪ねましたところ、都では大層質素な暮らしをしておったのが、そこでは絢爛豪華に造営しておったのに目が留まりました。あんなことがあったにも拘らず、(国守の苦労を免れたからは)想像し得る限りの安楽のうちに余生を暮す決心をしているようでもありました。しかしその間もずっと来世の用意は怠ることなく、叙任の僧であってもこれほど謹厳かつ敬虔な生涯を送った人はいなかったでしょう」
「さて令嬢のことを云いましたね」と源氏は仰有った。「かなり見目よい人でございますよ。決して愚鈍でもございません。御執心の国守や役人が幾人も切にと歎願したほどですが、父親が全員追い払ってしまいました。自身はあんなに俗界の栄光には冷淡であったのに、たった一つ心配の種の独り子に自身の不遇の埋め合わせをさせる決心で、こんな誓いを立てているらしいのです。曰く、不本意にも我が娘が私の死後、勝手に我が動かぬ意志と訓戒とを愚弄して無益なる嗜好を満足させるようなことがあれば、我が霊はよみがえり、海神に請うて娘を覆わしむるであろうと」とは家来の答え。
源氏はこれを謹聴しておいて「それでは、海竜王のほかは夫と思わぬ斎宮のようですね」と仰有ると、老いた元国守の大望のばからしさを皆が笑った。この逸話を聞かせた男は現職の播磨守の息子で、昨年蔵人から五位に昇進した人である。恋の冒険で名高い男で││ 全くかの令嬢を説き付けて父の戒めに背かせる積りで、態々明石の浦を見物に行っているのだ││ と人は蔭で云い合っていた。
「育ちがちと田舎じみていやしないかね」と一人が云った。「成人するまでその旧式な親とのほかに附合いのなかったところを見れば、容易なことではそうならざるを得ませんね││ 成程、母親は幾らか勢力家であったと見えますけれど」「それはそうです。それが理由で、都中の名家の子たちをあの海岸まで集めてきて我が子の遊び相手にするなぞということができたのですよ。そうやってその子は垢抜けた礼儀作法を学んだのですから」と国司の息子の良清が云った。「誰か不届き者がそこを訪ねたとして、死んだ父親の呪いもものかは堪えられないような好い女かもしれませんね」と云う者もあった。
「御容赦ください。あなただったのでございますね。先日招待してくださったのは。やれやれ、もうこの世のことなどは忘れてしまいまして、どうすれば効き目があるものか忘れておると思いますが。こんなところまで来ていただいて誠に残念なことで」と気が気でないふりをしつつ笑って源氏の方を眺めた。しかし、信心と学識の深い人であることは直に明白になった。さる護符を薬にして飲ませ、或まじないを唱えた。これが済んだ頃には、もう日が出ており、ちょっと洞を出て源氏は辺りを見廻した。今立っている高地からは、数軒の庵の散らばっているのが見下ろされた。一筋路が曲がりくねって一軒の仮屋に通じていた。よそと同じ小柴の生垣を廻らしてはあるがもっと広々として、渡り廊下を面白く延ばし、四方に柴を植えて手入をしてあった。誰の家かと家来に尋ねると、或僧都が二年の間そこに隠居していることを、一人から聞かされた。「その方なら能く存じ上げております。こんな装束と供回りでは出会いたくないものですね。噂にならなければいいが……」源氏が僧都の名を聞いてそう仰有った時、綺麗な装束を着けた子供の一団が丁度家から出てきて、祭壇と絵像を荘厳する花を摘み出した。「女の子もいますね。上人がお置きになるとは迚も想われませんが。それなら誰かしら」家来の一人が云って、好奇心を満足させるため、ちょっと山を下りて様子を窺った。「はい、大層かわいらしい娘たちがおりまして、大人びたのもいれば、全くの子供もおりました」と帰ってきて報告した。
源氏は午前中ほとんど治療にかかり切りだった。ようやく儀式が終わると、いつも熱がぶり返す時刻を恐れて、極力気を散らそうと従者たちは山の向うの、都の見えるところまで、ちょっと源氏を連れていった。「実に好いものですね。遠方は半ば霞に隠れ、四方へ拡がる森はぼんやり微かに光って絵のようです。こんなところに住んでいる人は、一瞬たりとも満足せぬことがあるでしょうか」と源氏は叫んだ。「こんなものは何でもございません。よその国の湖や山でもお見せできましたら、ここで感心しておいでになる眺めなどより遥かに勝っているのが直にお分りになるでしょう」と家来の一人が、富士山というもののあることから説き出して、西国にある面白い浦の悉くまでも聞かせ終わると、源氏は熱の時刻であることを全く忘れておしまいになった。「あちらの手前が」家来は海の方を指して続けた。「播磨の明石の浦でございます。よくよく御覧ください。さほど辺鄙な地でもございませんが、大海原のほかはどこからも切り離されたような心地がして、私の知る限りでは最も異様で寂寞たる場所でございます。そんなところに
「さて令嬢のことを云いましたね」と源氏は仰有った。「かなり見目よい人でございますよ。決して愚鈍でもございません。御執心の国守や役人が幾人も切にと歎願したほどですが、父親が全員追い払ってしまいました。自身はあんなに俗界の栄光には冷淡であったのに、たった一つ心配の種の独り子に自身の不遇の埋め合わせをさせる決心で、こんな誓いを立てているらしいのです。曰く、不本意にも我が娘が私の死後、勝手に我が動かぬ意志と訓戒とを愚弄して無益なる嗜好を満足させるようなことがあれば、我が霊はよみがえり、海神に請うて娘を覆わしむるであろうと」とは家来の答え。
源氏はこれを謹聴しておいて「それでは、海竜王のほかは夫と思わぬ斎宮のようですね」と仰有ると、老いた元国守の大望のばからしさを皆が笑った。この逸話を聞かせた男は現職の播磨守の息子で、昨年蔵人から五位に昇進した人である。恋の冒険で名高い男で
「育ちがちと田舎じみていやしないかね」と一人が云った。「成人するまでその旧式な親とのほかに附合いのなかったところを見れば、容易なことではそうならざるを得ませんね