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(七)足柄

 足柄山というのは四、五日も前から一面に鬱蒼として恐ろしげである。
 これから次第に入り込むという麓の辺りにあってすら、空の様子もはっきりと見えない。
 一面言いようもないほど茂っていて、いとも恐ろしげである。
 麓に宿っていると、月もなくて暗く、闇に惑うような夜に、遊び女が三人、どこよりともなく現れ出た。
 五十ばかりのが一人と、二十ばかりのと、十四、五のとがいる。
 いおりの前に唐傘を差させてそこに三人を据えた。
 男どもが火をともして見れば、昔「こはた」とかいった者の孫だという女は、髪は至って長く、額に本当に良くかかって、色は白く小綺麗で、このままで立派な下仕えなどにできるだろうなどと人々が感心していると、声はおよそ似るものがなく、曇りなく空に昇って、美しく歌を歌う。
 人々がはなはだ感心して近くで興じていると、西国の遊び女ではこうは行くまいなどと言ったのを聞いて
 
  難波なにはわたりに比ぶれば
 
(難波辺りに比べれば)
 
と美しく歌っている。
 見る目も至って小綺麗なのに、声さえ似るものなく歌って、これほど恐ろしげな山中に立ってゆくのを、人々は物足りなく思って皆泣くけれども、幼心にはなおさら、この宿りを立つことさえ物足りなく思われる。
 まだ暁という頃より足柄を越える。
 山の中はなおさら言いようもなく恐ろしげである。
 雲は足の下に踏まれる。
 山の中ほどばかりの、木の下の僅かな地面にあおいがただ三筋ばかりあるのを、世間に遠ざかってかくのごとき山中にも生えたのであろうよと人々が尊がる。
 水はその山に三所流れている。
 ここを辛うじて越えて出て、関のある山にとどまった。
 これよりは駿河である。
 横走よこはしりの関の傍らに岩壺いわつぼというところがある。
 言いようもないほど大きな四角な石の真ん中に穴が開いている。その中より出る水の清く冷たいことは一通りでない。
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(六)隅田川

 野山にあしおぎとの中を分けるよりほかのこともない。武蔵と相模との中にあって「あすだ」河というのは、在五中将が
 
  いざ言問はむ
 
(さあ問いかけよう)
 
と詠んだ渡りである。
 中将の集には隅田川とある。
 そこを舟にて渡ってしまえば相模の国になる。
 「にしとみ」というところの山は、絵の良く描けた屏風びょうぶが立ち並んでいるようである。
 もう一方は海だ。
 浜の様も、寄せては返す波の様子もはなはだ楽しい。
 唐土もろこしヶ原というところも、これは、砂のはなはだ白いところを二、三日行く。
「夏は大和なでしこが、濃く薄く、錦を引いているように咲くのです。それは、秋の末なので見えませぬ」
と人は言うのに、なおところどころは、落ち散りつつ、物悲しげに咲き渡っている。
 唐土ヶ原に大和なでしこが咲いたとは、などと人々がおかしがる。
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(五)竹芝

 今は武蔵の国になった。
 殊に風情のあるところも見えない。
 浜も、砂は白くなどもなく泥のようで、紫が生えていると聞いた野も、あしおぎとのみ高く生えて、馬に乗って弓を持つその末が見えないまでに高く生い茂っており、その中を分けて行くと、竹芝という寺があった。
 遠くに伊皿子いさらごというところの領の跡の礎などがある。
 いかなるところかと問えば……

 ここは昔、竹芝の坂といいました。
 そこにいた人を、火たき屋の火をたく衛士えじに奉りましたところ、その人が
「御前の庭掃きなどにどうして苦しい目を見るのだろう。国では、七つ三つと造って据えた酒つぼに、割ったひさごを渡してあって、それが南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくのが見えて、それでいて、ここにこうしているのだものなあ」
と独りつぶやきましたので、その時、はなはだ大事にされておいでになったみかどの娘御が、ただ一人御簾みすの際に立って、柱によりかかって見ておいでになりますと、この男がかく独り言を言うのを……ああ、いかなるひさごがいかになびくのであろう……とはなはだ知りたくお思いになったので、御簾を押し上げて
「そこの男よ、こなたへ寄れ」
と召しましたので、男はかしこまって高欄のほとりに参上しましたところ、
「言ったことを今一度我に言って聞かせよ」
と仰せられましたので、酒つぼのことを今一度申し上げましたところ、
「我を連れていってそれを見せよ。それほどに言う訳があろう」
と仰せられましたので、恐れ多いと思いましたけれども、それも運命だったのでしょうか、負い奉って下りますのに、もちろん人が追ってくるだろうと思いまして、その夜、勢多せたの橋の本にこの宮を据え奉って、勢多の橋を一間ばかり壊して、そこを跳び越えて、この宮を負い奉って七日七夜という頃に武蔵の国に行き着きました。
 皇女みこがお見えにならぬと、帝、きさきは思い惑い、お求めになりましたところ、
「武蔵の国の衛士の男が、至って匂いの良いものを首に引き掛けて飛ぶように逃げたそうです」
と人が申し出まして、この男を尋ねましたところ、おりませなんだそうです。
 もちろん元の国に行ったのであろうと、朝廷から使いが下って追いますと、勢多の橋が壊れておりまして、先へ行けず、三月に及びますに武蔵の国に行き着いてこの男を尋ねますと、皇女はその勅使を召しまして
「我が運命でもあったのでしょうか、この男の家のことを知りたくて、連れてゆけと言いました。それで連れてこられたのです。ここにいることがうれしゅう思われます。この男が責めさいなまれるなら、我はどうしておれと。これも前世に、この国に垂迹すいじゃくすべき宿世すくせがあったのでしょう。速やかに帰って朝廷にこの由を奏しなさい」
と仰せられましたので、何とも言いようがなくて、参上しまして、帝にこれこれでございましたと奏しましたところ、
「言ってもかいがないな。その男を責めても、今は宮を取り返し、都に帰し奉るべくもない。その竹芝の男に、一生武蔵の国を預け取らせて、朝廷にも奉仕させまい。ただ宮にその国を預け奉れ」
という由の宣旨が下りましたので、その家を内裏のごとく造って住ませ奉りました所を、宮などが亡くなっておしまいになりましたので寺にしておりますのを、竹芝寺といっておるのです。
 その宮のお産みになった子供は、そのまま武蔵という姓を得ておるそうです。
 それより後、火たき屋には女がおりますそうな……
 
と語る。
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(四)太井川

 翌朝早くそこを立って、下総の国と武蔵の国との境になっている太井川の川上の瀬、「まつさと」の渡し場に泊まって、夜もすがら舟にてかつかつ物など渡す。
 私の乳母である人は、夫なども亡くしていて国境で子を産んだので、離れて別に上る。
 いたく恋しいのでそちらへ行きたく思っていると、私の兄に当たる人が連れていってくれた。
 皆は、仮屋といっても風が透かないように幕を引き渡しなどしているのに、こちらは、男なども添うていないので、本当に手をかけられず粗末で、とまというものを一重しかふいてないので月が残りなく差し入っているところに、くれないのきぬを上に着て、苦しんで伏している乳母には、月影も格別に透いて、いとも白く清げで、私のことを珍しく思ってなでては泣くのを、いたく悲しく見捨てがたく思うけれども、急いで連れてゆかれるその心地は、本当に物足りなく耐えきれない。
 乳母が幻に見えるようで悲しいので、月の興も感じず、気が塞いで伏していた。
 翌朝早く、車を担いできて舟に置いて渡し、向こう岸でそれを起こして、送りにきた人々もここから皆帰った。
 上る者もそこにとどまって行き別れる折、とどまるも行くも皆泣きなどする。
 幼心にも物悲しく見えた。
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(三)くろとの浜

 十七日の朝早く立つ。
 昔、下総の国に「まの」の長という人が住んでいたそうな。
 布を千匹も一万匹も織らせ、さらさせた人の家の跡ということである。深い川を舟にて渡る。
 昔の門の柱がまだ残っているのだという話で、大きな柱が川の中に四つ立っている。
 人々が歌を詠むのを聞いて、私も心の内に

  朽ちもせぬこの川柱残らずは
   昔の跡をいかで知らまし

(もしこの川の柱が朽ちもせず残っていなかったら、昔の跡をどうして知ったことだろう)

 その夜は「くろと」の浜というところに泊まった。
 片一方は広やかで、砂ははるばると白く、松原も茂って、月ははなはだ明るいところで、風の音もはなはだ寂しい。
 人々が面白がって歌を詠みなどするので、私も

  まどろまじ こよひならではいつか見む
   くろとの浜の 秋の夜の月

(まどろみもすまい。こよいでなくてはいつ見られよう。くろとの浜の、秋の夜の月を)
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(二)旅立ち

 門出した先は、囲いなどもなくて、仮初めのかや屋でしとみなどもない。
 すだれをかけ、幕など引いてある。
 南ははるかに野の方が見やられる。
 東西は海が近くていたく面白い。
 一面に夕霧が立ってはなはだ面白く、朝寝もせずあちこちを見る。そこを立つのは物悲しかったが、その月の十五日、雨が降って暗い中、国境を出て、下総の国の「いかだ」というところに泊まった。
 今にいおりなど浮いてしまいそうに雨が降りなどするので、恐ろしくて寝ることもできない。
 野中に丘のようになっているところにただ木が三つ立っている。
 その日は、雨に濡れたものを干し、国に立ち後れた人々を待つということでそこに日を暮らした。
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(一)物語に憧れて

 東国の果てのなお奥の方に育った私が、何ほどか見苦しかったであろうに、どうして思い始めたことか……世の中に物語というものがあるそうだが、何とかしてそれを見たい……と思いつつ、つれづれな昼間や宵の集まりに、姉やまま母などの人々が、その物語、あの物語、光源氏の有り様などをところどころ語ってくれるのを聞くにも、ますます知りたくなるけれども、どうして私の思うままに、暗誦あんしょうしてくれることがあろう。
 はなはだじれったいので、等身に薬師仏を造って、手を洗いなどして、人が見ていない間にひそかにその部屋に入っては
「京には物語が多くありますそうですが、早く私を上京させて、ある限りお見せください」
とひれ伏してぬかずき、祈り申し上げていると、十三になる年に、上京するということで、長月の三日に門出して「いまたち」というところに移った。
 年来遊び慣れているところを、あらわに壊し散らして立ち騒いで、日の入り際、一面に霧が立ち、至って恐ろしい頃に、車に乗ろうとしてふと見やれば、人の見ぬ間に参ってはぬかずいたあの薬師仏が立っておいでになるのを、見捨て奉るのが悲しくて、人知れず泣かれた。
(原文)
 東路あづまぢの道の果てよりもなほ奥つ方に生いいでたる人、いかばかりかは怪しかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあなるをいかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居よひゐなどに姉、継母ままははなどやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏ひかるげんじのあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさ増されど、我が思ふままに空にいかでか覚え語らむ。
 いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏やくしぼとけを造りて手洗ひなどして人間ひとまにみそかに入りつつ、京にとく上げたまひて物語の多くさぶらふなるある限り見せたまへと身を捨ててぬかを突き祈り申す程に、十三になる年、上らむとて長月三日門出していまたちといふところに移る。
 年頃遊び慣れつるところをあらはにこぼち散らして立ち騒ぎて、日の入り際のいとすごくきり渡りたるに、車に乗るとて打ち見やりたれば、人間ひとまには参りつつぬかを突きし薬師仏やくしぼとけの立ちたまへるを、見捨て奉る悲しくて人知れず打ち泣かれぬ。

「原文」は “バージニア大学 Japanese Text Initiative”(下記リンク)のテキストに作成者が句読点を付し一部の仮名を漢字に直したものです。

http://jti.lib.virginia.edu/japanese/sarashina/SugSara.html

読点は主に以下の目的で打ちました。
・接続詞、接続助詞、副助詞、助詞を伴わない名詞の係る範囲を示す。
(父は喜び、母は悲しんだ。)
・格助詞の係る先を明確にする。
(大急ぎで、逃げた男の後を追い掛けた)
・要素の並列を示す。
(夏の海水浴、秋のハイキング)
・漢字が連続するときに文節の切れ目を示す。
(その時、戸が開いた)
※直接係る単語の間には打たない。
(その時開いた戸)

以下の語を漢字で表記しました。
・常用漢字表にあるもの
・漢語
・固有名詞、人物の呼称
・動植物名
・一音節の名詞
・その他特定の単語[狩衣(かりぎぬ)など]

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