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(十五)梅の立ち枝

 私のまま母であった人は、宮仕えをしていたのが上総に下ったのだから、思っていたのと違うことなどもあって、夫婦の仲も恨めしげで、ほかに移ることになって、五つばかりの子供などとともに、
「優しかったあなたのお心のほどを、忘れることは一生ありますまい」
などと言って、軒端に近い梅の木が本当に大きかったのであるが、これの花が咲く折にはまたここへ来るでしょうよと言い置いてほかへ移ってしまうのを、心の内に、恋しく物悲しく思いつつ、忍び泣きをするのみでその年も改まった。
 ……早くこの梅が咲いてほしい。また来るでしょうということだったけれど、そうなるだろうか……と梅を見守って待ち続けるのに、その花も皆咲いてしまったけれど、訪れもなく、思い煩うて私は、その花を折って母へ歌をやる。
 
  頼めしをなほや待つべき
   霜枯れし梅をも春は忘れざりけり
 
(当てにさせておいて、なおも待たねばならないのですか。霜枯れた梅のことすら、春は忘れずにいたのですよ)
 
と言いやったところ、母は優しい言葉を書いて
 
  なほ頼め 梅の立ち
   契りおかぬ 思ひの外の人も問ふなり
 
(なおも当てにしていなさい。高く伸びた梅の枝は、契っていない思いの外の人も訪れるそうですよ)
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(十四)物語を求めて

 広々とした、荒れたところで、過ぎてきた山々にも劣らぬ奥山のように、大きな恐ろしげな木々があって、都の内とも見えない様のところである。
 まだ住み慣れもせずはなはだ取り込んでいたけれども、待ちに待ったことなので、物語を求めて見せよ見せよと母を責めれば、三条の宮に、親族である人が、衛門の命婦ということで伺候していたのを尋ねて母が文をやってくれたところ、その人は珍しがって、喜んで、御前のを下ろしてきたという取り分け美しい草子を、すずりの箱の蓋に入れてよこした。
 うれしくてうれしくて、夜昼これを見るより始めて、また見たくなるのに、住み慣れもしない都のどこに、物語を求めて見せてくれる人があろう。
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(十三)旅の終わり

 粟津あわづにとどまって、師走の二日、京に入る。
 暗い時刻に行き着くべくさるの時ばかりに立ってきたところ、逢坂おうさかの関が近くなってから、山の斜面に、仮初めの、切り掛けというものをしてある上より、丈六の仏の、いまだ粗造りでいらっしゃるのが顔ばかり見やられた。
 ……ああ、世の中を離れて、どこにあるとも知れないでいらっしゃる仏だなあ……と見やって過ぎた。
 あまたの国々を過ぎたけれども、駿河の清見ヶ関と、この逢坂の関ほどのところはなかった。
 いたく暗くなってから、三条の宮の西にあるところに着いた。
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(十二)美濃

 そこより美濃の国となる境にて、墨俣すのまたという渡りを渡って、野上というところに着いた。
 そこに遊び女どもが現れ出て、夜もすがら歌を歌うにも、足柄にいた女たちが思い出されて感慨深く、恋しいことは一通りでない。
 雪が降ってひどく荒れるので事の興もないまま、不破ふわの関川、美濃山などを越えて、近江の国の、息長おきながという人の家に宿ってそこに四、五日いた。
 「みつさか」の山の麓では、夜昼、時雨、あられが降り乱れて、日の光もさやかでなく、はなはだいとわしい。
 そこを立って、犬上、神崎、野洲やす栗本くるもとなどというところどころは、これということもなく過ぎた。
 湖の面ははるばるとして、多景たけ島、竹生ちくぶ島などというところの見えているのがいたく面白い。
 勢多の橋は皆崩れていて、なかなか渡れない。
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(十一)三河

 そこより「ゐのはな」という、言いようもなく難儀な坂を上ってしまえば、三河の国の高師たかしの浜というところ。
 八橋やつはしは、名ばかりで橋は跡形もなく、何の見どころもない。
 二村山の中に泊まった夜、大きな柿の木の下にいおりを作ったので、夜もすがらいおりの上に柿が落ち掛かったのを、人々が拾いなどする。
 宮路の山というところを越える折は、神無月の下旬であるのに紅葉も散らないで盛りである。
 
  嵐こそ吹きこざりけれ
   宮路山 まだもみぢ葉の 散らで残れる
 
(嵐が吹いてこなかったのだ。宮路山には、まだもみじ葉が、散らないで残っている)
 
 三河と尾張との間にある志香須賀しかすがの渡りは、誠に、しかすがさすがに渡るのを思い煩うてしまいそうで面白い。
 尾張の国、鳴海なるみの浦を通っていると、夕潮がただ満ちに満ちてきて、
「こよい宿ろうにも、中ほどで潮が満ちてしまえば、ここを過ぎられそうもない」
と全員うろたえて、走って過ぎた。
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(十)遠江

 「ぬまじり」というところも滞りなく過ぎてから、ひどく発病して遠江にかかった。
 小夜さよの中山などを越えたとかいう折のことも覚えていない。
 はなはだ苦しいので、天竜という川のほとりに仮屋をこしらえたので、そこにいて数日が過ぎる内に、次第に癒える。
 冬も深まっているので、川風がしきりに荒々しく吹き上げて耐え難く思われた。
 ここを渡って、浜名の橋に着いた。
 浜名の橋は、下った時には黒木を渡してあったが、この度は跡すら見えないので、舟にて渡る。
 入り江に渡してあった橋なのである。
 外海はひどく波が高くて、入り江の、ほかに何もなくただ松原が茂っているむなしいと洲の真ん中より、波が寄せては返すのも、種々の色の玉のように見え、誠に松の末より波は越えて、はなはだ面白い。
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(九)富士川

 富士川というのは富士の山より落ちている水である。
 その国の人が現れて語ったこと……
「以前あるところへ参りました時に、いたく暑うございましたので、この水のほとりに休みつつ見ますれば、川上の方より、黄色をしたものが流れてまいって、物に付いてとどまっておりますのを見れば、反故ほごでございます。取り上げて見ますれば、黄色をした紙に、にて、濃く、折り目正しく書かれているのでございます。それが珍しくて見ますれば、翌年任官があるはずの国々を、除目じもくのごとく皆書きまして、翌年空くはずのこの国にも、国守を任命してございまして、それに添えてまた二人を任じておりました。これは珍しいと驚きまして、取り上げて、干して収めたのですけれども、翌年の司召つかさめしに、その文に書かれてありましたのと一つもたがわず、この国の守とありましたそのままでございましたのに、三月みつきの内に亡くなりまして、また成り代わりましたのも、その傍らに書きつけられておりました人だったのでございます。そのようなことがございましてねえ。翌年の司召などは、前年に、この山にたくさんの神々が集まって御任命になるのだなと拝察しました。珍しいことでございました」
と語る。
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(八)富士山

 富士の山はこの国にある。
 私の育った国では西表に見えた山だ。
 この山は本当に世に見えぬ有り様である。
 格別な山の姿で、紺青を塗ってあるようなところへ雪が消える折もなく積もっているので、色の濃いきぬに白いあこめを着ているように見え、山の頂の少し平らかになったところより煙は立ち昇る。
 夕暮れは、火の燃え立っているのも見える。
 清見ヶ関は、片一方は海であるところに関屋があまたあって、海まで柵をしてある。
 富士と一緒に煙り合っているのだろうか。それで、清見ヶ関の波も高くなるのだろう。
 楽しさは一通りでない。
 田子の浦は波が高くて、舟をこいで回る。
 大井川という渡りがある。
 水が尋常でない。すり粉などを濃いまま流してあるように、白い水が速く流れている。
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(七)足柄

 足柄山というのは四、五日も前から一面に鬱蒼として恐ろしげである。
 これから次第に入り込むという麓の辺りにあってすら、空の様子もはっきりと見えない。
 一面言いようもないほど茂っていて、いとも恐ろしげである。
 麓に宿っていると、月もなくて暗く、闇に惑うような夜に、遊び女が三人、どこよりともなく現れ出た。
 五十ばかりのが一人と、二十ばかりのと、十四、五のとがいる。
 いおりの前に唐傘を差させてそこに三人を据えた。
 男どもが火をともして見れば、昔「こはた」とかいった者の孫だという女は、髪は至って長く、額に本当に良くかかって、色は白く小綺麗で、このままで立派な下仕えなどにできるだろうなどと人々が感心していると、声はおよそ似るものがなく、曇りなく空に昇って、美しく歌を歌う。
 人々がはなはだ感心して近くで興じていると、西国の遊び女ではこうは行くまいなどと言ったのを聞いて
 
  難波なにはわたりに比ぶれば
 
(難波辺りに比べれば)
 
と美しく歌っている。
 見る目も至って小綺麗なのに、声さえ似るものなく歌って、これほど恐ろしげな山中に立ってゆくのを、人々は物足りなく思って皆泣くけれども、幼心にはなおさら、この宿りを立つことさえ物足りなく思われる。
 まだ暁という頃より足柄を越える。
 山の中はなおさら言いようもなく恐ろしげである。
 雲は足の下に踏まれる。
 山の中ほどばかりの、木の下の僅かな地面にあおいがただ三筋ばかりあるのを、世間に遠ざかってかくのごとき山中にも生えたのであろうよと人々が尊がる。
 水はその山に三所流れている。
 ここを辛うじて越えて出て、関のある山にとどまった。
 これよりは駿河である。
 横走よこはしりの関の傍らに岩壺いわつぼというところがある。
 言いようもないほど大きな四角な石の真ん中に穴が開いている。その中より出る水の清く冷たいことは一通りでない。
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(六)隅田川

 野山にあしおぎとの中を分けるよりほかのこともない。武蔵と相模との中にあって「あすだ」河というのは、在五中将が
 
  いざ言問はむ
 
(さあ問いかけよう)
 
と詠んだ渡りである。
 中将の集には隅田川とある。
 そこを舟にて渡ってしまえば相模の国になる。
 「にしとみ」というところの山は、絵の良く描けた屏風びょうぶが立ち並んでいるようである。
 もう一方は海だ。
 浜の様も、寄せては返す波の様子もはなはだ楽しい。
 唐土もろこしヶ原というところも、これは、砂のはなはだ白いところを二、三日行く。
「夏は大和なでしこが、濃く薄く、錦を引いているように咲くのです。それは、秋の末なので見えませぬ」
と人は言うのに、なおところどころは、落ち散りつつ、物悲しげに咲き渡っている。
 唐土ヶ原に大和なでしこが咲いたとは、などと人々がおかしがる。