その翌年の神無月の二十五日、大嘗祭 の御禊 と人は言い騒ぐのに、こちらは初瀬の精進を始めていて、その日に京を出てゆくので、兄などは
「一世一代の見物で、田舎の人すら見るものを、月日も多し、そんな日に京を振り捨てて出ていったら、あまり狂おしくて、長らえての語り草にもなりそうなことだ」
などと言って腹を立てるけれども、夫は
「いかにもいかにも。それもあなたの心からでしょう」
と言って、私の言うに従っていで立たせてくれる思いやりもいとおしい。
共に行く人々 もいたく見たそうにしているのが哀れではあるけれども……見物などして何になろう。こんな折に詣でるその志を、そうはいっても仏は思ってくださるであろう。必ずそのしるしを見ることであろう……と意気込んでその暁に京を出るのに二条大路をば通っていったところ、先にはみあかしを持たせ、供の人々 は浄衣 姿であるのを、桟敷に移るということで数多く行き違う馬も車も、徒歩の人にも、あれは何だあれは何だと穏やかならず言って驚き、嘲笑する者どもがいる。
良頼 の兵衛督 と申す人の家の前を過ぎれば、そこの人々 も桟敷へお移りになるのであろう、門を広く押し開けて立っていて
「あれは参詣人と見えるな。世に月日も多いというのに」
と笑う中に、いかなるおもんぱかりのある人であろうか、
「一時の目を喜ばせて、それが何になるというのでしょう。いみじくも思い立たれて、必ず仏の徳を御覧になるはずの人と見えますよ。由もないことです。物見などしていないでこんなふうにこそ思い立つべきだったのです」
とまめやかに言う人が一人ある。
道のあらわにならぬ先にと未明に出てきたので、立ち後れている人々 をも待ち、本当に恐ろしくて深いこの霧が、少し晴れるまでもここにいようということで、法性寺の大門に立ち止まっていると、田舎より物見に上る者どもが、水の流れてくるように見えるや、道も全然避けあえず、物の機微など解しそうもない卑しい童子までが、よけて行き過ぎる我々 の車に驚いていることは一通りでない。
これらのことを見るにも……誠に、どうしてこんな道にいで立ったのであろう……とも思われるけれど、ひたぶるに仏を念じ奉って宇治の渡りに行き着いた。
そこにてもなお、こちらに渡ってくる者どもが立て込んでいるので、かじを取る男どもは、舟を待つ人が数も知れぬのに心もおごった気色で、袖をまくり、顔に当てたさおに寄り掛かって、とみに舟も寄せず、口笛を吹いて見回し、至って澄ました様である。
果てしないほどに渡れずにいてつくづくと見るに、源氏物語に宇治の宮の娘たちのことがあるけれども、いかなるところだからとそこに住ませたのであろうと知りたく思っていたところである。誠に美しいところだと思いつつようよう渡って、頼通殿の御領地の宇治殿を、中に入って見るにも……浮舟の女君はこんなところにいたのであろうか……などとまず思い出される。
未明に出てきたので人々 は困憊 して、野路地 というところにとどまって物を食ったりする折しも、お供の者どもが
「悪名高い栗駒 山ではありませんか。日も暮れ方になったと見える。お主たち、弓矢をお取りなさい」
と言うのをいたく恐ろしく聞く。その山もすっかり越えて贄野 の池のほとりへ行き着いた折、日は山の端にかかっ てしまっている。
こうなった以上は宿を取ろうということで、人々 は別れて宿を求めるも、所が半端で、
「至って卑しげな下衆 の小家があります」
と言うので、やむを得ぬということでそこに宿った。
家の人々 は皆、京に参ったということで、卑しい男が二人でいたのである。
その夜も寝られはしない。
男が出入りをして歩くのを、奥の方にいる女どもが、どうしてそんなふうに歩いておられるのですか、と問うのが聞こえてくると、
「いやこれは、心も知らぬ人を泊め奉って、釜でも引き抜かれたらどうしようかと思うて、寝られないで歩き回っ ているのです」
と、こちらが寝ていると思って言うのが、聞くにも本当に気味が悪くおかしい。
翌朝早くそこを立って、東大寺に寄って拝み奉る。
石神 は、誠に古くもなってしまったことが思いやられて無下に荒れ果てている。
その夜、山辺 というところの寺に宿って、いたく苦しいのだけれども、経を少し読み奉って休んだ夢に……
はなはだやんごとなく清らかな女の人がおいでになるところへ参ったところ、風がひどく吹いてくる。
私を見つけて、笑いを含んだまま
「どうしておいでになったのです」
と問われるので、
「どうして参らないことがありましょう」
と申せば、
「あなたは内裏にいたいのでしょう。あの女史によく相談してはどうです」
とおっしゃった……
と思って、うれしく頼もしくて、いよいよ念じ奉って、初瀬川などを過ぎてその夜にお寺に参着した。
はらえなどをしてお堂に上る。
三日そこにいて、暁には退出しようということで眠った夜に、お堂の方から
「そら、稲荷より賜った、しるしある杉ですよ」
と言って物を投げ出すようにした。そこで目を覚ましたところ夢であった。
未明に出て、泊まるところもないので、奈良坂の都側で家を尋ねて宿った。
これもひどい小家である。
「ここは怪しいところと見える。ゆめ寝てはなりません。慮外のことがあっても、ゆめゆめ、おびえて騒いだりなさいますな。息もしないで伏しておいでなさい」
と言うのを聞くにも本当に悩ましく恐ろしくて、夜を明かす間も千歳 を過ごす心地がする。
ようよう明けると、
「あれは盗人の家だ。あるじの女が怪しげなことをしていた」
などと言う。
ひどく風の吹く日に宇治の渡りをして、その間にあじろの至って近くまでこぎ寄せた。
音にのみ聞き渡りこし
宇治川のあじろの波も今日ぞ数ふる
(長きにわたり音にのみ聞いてきた宇治川のあじろが、今日は風波をも数えるまでになった)
「一世一代の見物で、田舎の人すら見るものを、月日も多し、そんな日に京を振り捨てて出ていったら、あまり狂おしくて、長らえての語り草にもなりそうなことだ」
などと言って腹を立てるけれども、夫は
「いかにもいかにも。それもあなたの心からでしょう」
と言って、私の言うに従っていで立たせてくれる思いやりもいとおしい。
共に行く
「あれは参詣人と見えるな。世に月日も多いというのに」
と笑う中に、いかなるおもんぱかりのある人であろうか、
「一時の目を喜ばせて、それが何になるというのでしょう。いみじくも思い立たれて、必ず仏の徳を御覧になるはずの人と見えますよ。由もないことです。物見などしていないでこんなふうにこそ思い立つべきだったのです」
とまめやかに言う人が一人ある。
道のあらわにならぬ先にと未明に出てきたので、立ち後れている
これらのことを見るにも……誠に、どうしてこんな道にいで立ったのであろう……とも思われるけれど、ひたぶるに仏を念じ奉って宇治の渡りに行き着いた。
そこにてもなお、こちらに渡ってくる者どもが立て込んでいるので、かじを取る男どもは、舟を待つ人が数も知れぬのに心もおごった気色で、袖をまくり、顔に当てたさおに寄り掛かって、とみに舟も寄せず、口笛を吹いて見回し、至って澄ました様である。
果てしないほどに渡れずにいてつくづくと見るに、源氏物語に宇治の宮の娘たちのことがあるけれども、いかなるところだからとそこに住ませたのであろうと知りたく思っていたところである。誠に美しいところだと思いつつようよう渡って、頼通殿の御領地の宇治殿を、中に入って見るにも……浮舟の女君はこんなところにいたのであろうか……などとまず思い出される。
未明に出てきたので
「悪名高い
と言うのをいたく恐ろしく聞く。その山もすっかり越えて
こうなった以上は宿を取ろうということで、
「至って卑しげな
と言うので、やむを得ぬということでそこに宿った。
家の
その夜も寝られはしない。
男が出入りをして歩くのを、奥の方にいる女どもが、どうしてそんなふうに歩いておられるのですか、と問うのが聞こえてくると、
「いやこれは、心も知らぬ人を泊め奉って、釜でも引き抜かれたらどうしようかと思うて、寝られないで歩き
と、こちらが寝ていると思って言うのが、聞くにも本当に気味が悪くおかしい。
翌朝早くそこを立って、東大寺に寄って拝み奉る。
その夜、
はなはだやんごとなく清らかな女の人がおいでになるところへ参ったところ、風がひどく吹いてくる。
私を見つけて、笑いを含んだまま
「どうしておいでになったのです」
と問われるので、
「どうして参らないことがありましょう」
と申せば、
「あなたは内裏にいたいのでしょう。あの女史によく相談してはどうです」
とおっしゃった……
と思って、うれしく頼もしくて、いよいよ念じ奉って、初瀬川などを過ぎてその夜にお寺に参着した。
はらえなどをしてお堂に上る。
三日そこにいて、暁には退出しようということで眠った夜に、お堂の方から
「そら、稲荷より賜った、しるしある杉ですよ」
と言って物を投げ出すようにした。そこで目を覚ましたところ夢であった。
未明に出て、泊まるところもないので、奈良坂の都側で家を尋ねて宿った。
これもひどい小家である。
「ここは怪しいところと見える。ゆめ寝てはなりません。慮外のことがあっても、ゆめゆめ、おびえて騒いだりなさいますな。息もしないで伏しておいでなさい」
と言うのを聞くにも本当に悩ましく恐ろしくて、夜を明かす間も
ようよう明けると、
「あれは盗人の家だ。あるじの女が怪しげなことをしていた」
などと言う。
ひどく風の吹く日に宇治の渡りをして、その間にあじろの至って近くまでこぎ寄せた。
音にのみ聞き渡りこし
宇治川のあじろの波も今日ぞ数ふる
(長きにわたり音にのみ聞いてきた宇治川のあじろが、今日は風波をも数えるまでになった)