二三年、四五年隔てていることを次第もなく書き続ければ、そのまま続いて立ってゆく修行者めいているが、そうではなく、年月も隔たったことなのである。
春頃、鞍馬に籠もった。
山際が一面にかすみ、のどやかなところで、山の方より僅かに野老 など掘って持ってくるのも面白い。
そこを出る道は、花も皆散り果てていたので何ということもない。
神無月ばかりにまた詣でたけれども、道中の山の有り様はその頃の方がはなはだ勝るものなのである。
山の端は錦を広げたようである。
たぎり流れてゆく水は、水晶を散らすように激しく湧いたりして、どこよりも優れている。
参着して僧坊に行き着いた折には、時雨のかかっている紅葉が類いなく見えるのである。
奥山の紅葉の錦
ほかよりも いかにしぐれて 深く染めけむ
(この奥山の紅葉の錦を、いかにしぐれて、よそよりも深く染めたのだろう)
と見やられるのである。
春頃、鞍馬に籠もった。
山際が一面にかすみ、のどやかなところで、山の方より僅かに
そこを出る道は、花も皆散り果てていたので何ということもない。
神無月ばかりにまた詣でたけれども、道中の山の有り様はその頃の方がはなはだ勝るものなのである。
山の端は錦を広げたようである。
たぎり流れてゆく水は、水晶を散らすように激しく湧いたりして、どこよりも優れている。
参着して僧坊に行き着いた折には、時雨のかかっている紅葉が類いなく見えるのである。
奥山の紅葉の錦
ほかよりも
(この奥山の紅葉の錦を、いかにしぐれて、よそよりも深く染めたのだろう)
と見やられるのである。