紫上、手習のついでに源氏に返歌を書く。

女君は、男君がおいでにならないなどして物寂しい夕暮れなどばかりは、尼君を恋うてお泣きになったりもするけれど、父宮のことは殊にお思い出しになることもない。元より極まれにお会いになるだけであったから、今はただこの継親 のそばにいて、はなはだむつんでおいでになる。お帰りになれば、まず出迎えて優しく語らい、懐に這入っ て坐っていても、煩わしく恥ずかしいとはいささかも思っていない。そんなふうではなはだ愛らしいものであった。「さかしらな心があり、あれやこれやと難しいたちになっ てしまえば、自分の心地としても、少し案にたがう節も出てこようかと気が置かれ、恋人の方にも、恨みがちになっ たり思いの外のことがおのずから出てくるというのに、本当にかわいらしい遊び相手だ。娘などでも、やはりこれほどになれば、心安く振る舞ったり、隔てのない様子で起き伏ししたりはできまいに、これは、本当に勝手の違っ たまな娘である」と思っておいでになるらしい。(若紫終)