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更級日記

(八十二・終)蓬

 年月は改まり過ぎてゆくけれど、夢のように最期を見届けたあの折のことを思い出せば、心地もうろたえ、目もくらむようなので、その折のことはまた定かに思い出すことがない。
 人々は皆よそに別れて住むようになって、元の家に独りはなはだ心細く悲しいままに、物を思うて明かし、思い煩って、久しく訪れない人に
 
  茂りゆくよもぎが露にそぼちつつ
   人に問はれぬ音をのみぞ泣く
 
(茂りゆく蓬の露にぬれながら、人が訪ねてくれないことを泣くのです)
 
相手は、尼となった人である。
 
  世の常の宿の蓬を思ひやれ
   背き果てたる庭の草むら
 
(尋常の家の蓬のことを思いやってください。すっかりこの世を背いているあなたの庭の草むらから)
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(八十一)涙

 懇ろに交際していた人が、こうなって後は訪れてもこないので、
 
  今は世にあらじものとや思ふらむ
   あはれ 泣く泣くなほこそはふれ
 
(今は世に在るまいと、私のことを思っているのでしょう。ああ、なおも泣く泣く年を経ているのです)
 
 また神無月が来て、月がはなはだ明るいのを泣く泣く眺めて
 
  暇もなき涙に曇る心にも
   明しと見ゆる月の影かな
 
(暇もない涙に曇る心にも、明るく見えるこの月の影だ)
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(八十)姨捨

 おいたちなどは一つ所で朝夕に見ていたのに、こんな悲しいことの後は、所々になったりして誰を見ることも難しいけれど、至って暗い夜、六男坊のおいが来たので、珍しく思われて
 
  月もいでで闇に暮れたる姨捨をばすて
   何とてこよひ訪ねきつらむ
 
(月も出ないで闇と暮れている姨捨おばすて山に、どうしてこよいは訪ねてきたのでしょう)
 
と言ってしまったのである。
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(七十九)後の頼み

 さすがに命は、このつらさにも絶えることなく長らえているようだけれども、後の世のことも思うままにはなるまいと、それが心に懸かる中に、頼みにすることが一つあるのである。
 天喜三年十月十三日の夜の夢に……
 
 居処の軒端の庭に阿弥陀仏が立っておいでになる。
 定かにはお見えにならず、霧が一重隔たったように透いてお見えになるのを、強いて霧の絶え間に拝見すれば、蓮華の座が、土から上がって高さ三、四尺にあり、仏の御丈は六尺ばかりで、金色に光り輝いておいでになり、片方の手をば広げたように、もう片方の手には印を作っておいでになるのを、ほかの人の目には見つけ奉らず、私一人拝見しているのに、さすがにひどく恐ろしいのですだれの近くに寄って拝見することもできずにいたところ、仏が
「それでは、この度は帰って後に迎えに来ましょう」
とおっしゃる声が私一人の耳に聞こえて、人は聞きつけもしない……
 
と見たところで目を覚ませば十四日になっている。
 この夢ばかりを後の頼みとしていたのである。
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(七十八)悔恨

 もしも昔より、由ない物語、歌のことにのみ心を引かれず、夜昼心掛けてお勤めをしていたら、本当にこんな、夢に異ならぬ一生をば見ずにいたことであろう。
 初瀬にて前回
「稲荷より下さった、しるしの杉である」
と言って夢の中で投げ出された。それで、もし寺を出てそのまま稲荷に詣でていたら、こんなことにはならかったろう。
 天照大神を念じ奉れという、年来私に見えていた夢は、どなたかの乳母をして内裏あたりにおり、帝や后のお陰を被るはずになっているのだと、こんな夢判断ばかりであったけれど、そんなことは一つもかなわずにしまった。
 ただ、悲しげに見えたあの鏡の影のみに、たがうところもないのが、悲しく情けない。
 こんなふうに、何事も心のままにならずにしまう私なので、功徳をなすこともせず漂うているのみである。
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(七十七)夫帰京

 今や、何とかしてこの若い子供らを一人前にしようと思うよりほかのこともない。翌年の卯月に夫は帰京して夏秋も過ぎた。
 夫は長月二十五日より患い出して、神無月五日に、夢のように最期を見届けて思う心地は、世の中にまたと類いのあることとも思われない。
 初瀬に鏡を奉った時に、伏しまろび、泣いている影が見えたのは、このことだったのだ。
 うれしそうだった方の影のようなことは、来し方にもなかった。
 今から行く末は、あるはずもない。
 二十三日、はかなく夫を火葬にした夜、去年の秋は大いに飾り立て、丁重に扱われて付き添うて下っていったのを見やったものだのに、至って黒いきぬの上に、あの忌ま忌ましげなものを着て、車の供に泣く泣く歩み出してゆく息子を家の内から見て、あの日を思い出している心地は、およそ喩える手立てもなく、そのまま夢路に迷うても思うので、空にいる夫にも見られてしまったことだろう。
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(七十六)夫下向

 二十七日に下る。息子はこれに添うて下る。
 きぬたを打った紅のうちきに、萩襲はぎがさね狩衣かりぎぬ紫苑しおん色の綾織物あやおりもの指貫さしぬきを着て、太刀をはいて、夫の尻に立って歩み出すのだけれども、その夫も、青にび色の綾織物の指貫に狩衣を着て、廊の辺りで馬に乗った。
 騒ぐ声も辺りに満ちたまま下っていったその後は、殊の外つれづれになったけれども、非常な遠路ではないと聞くので、先々のように心細くなどは思われずにいたのに、送りの人々が、又の日に帰って、はなはだおごそかに下っておゆきになりましたなどと言ってから
「今日の暁に、はなはだ大きな人だまが飛んで京の方へ行きました」
と語るけれども、供の人などのものであろうと思う。
 忌ま忌ましいことのようには思いも寄らない。
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(七十五)信濃守

 夫のことにとかく気をもむのみで、宮仕えをしたとはいっても、元は一筋に奉仕を続けたかった……そうしていればどうなっていたであろう。時々顔を出すくらいでは、どうなるはずのものでもないようだ。
 年もいよいよ盛りを過ぎてゆくのに、若々しいようにしているのも似合わしくなく思われてくる内に、私は病がいたく重くなり、心に任せて参詣などしていたのがそれもできなくなって、宮家へたまさかに顔を出すことも絶え、長らえるべくもない心地がするので、幼子たちのことをどうにか、私が世に在る間に取り計らっておきたいものだと起き伏し悲しみ、頼みの夫の喜びの折をじれったく待ってはこいねがうのに、秋になって、待ち受けていたように任官はあったけれども、思っていた国ではなく、至って不本意で口惜しい。
 親の折より繰り返し受けた東国よりは近いように聞こえるので、やむを得ないということで、程なく下るべく準備をした。門出は、娘が新しく移った家で、葉月の十余日に行った。
 後のことは知らずその間の有り様は、物騒がしいまで人が多く、活気づいていた。
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(七十四)和泉

 相応の訳あって秋頃に和泉に下ったけれども、よどというところよりして、道中の面白く美しいことは言い尽くすべくもない。
 高浜というところにとどまった夜、至って暗く、夜もいたく更けて舟のかじの音が聞こえる。
 問答を聞けば、遊び女が来ていたのであった。
 人々は興じて、さおを差させてこちらの舟に着けさせた。
 遠い火の光に、ひとえの袖も長く、差した扇に顔を隠して歌を歌っているのが至って美しく見える。
 又の日、日が山の端にかかる折、住吉すみよしの浦を過ぎる。
 一面に霧が立ち、空も一つになっているのは、松のこずえも、海の面も、波が寄せ来るなぎさの辺りも、絵に描いても及ぶはずがないほどに面白い。
 
  いかに言ひ 何に喩へて語らまし
   秋の夕べの住吉の浦
 
(いかに言い、何に喩えて語ろうかしら。秋の夕べの住吉の浦を)
 
と見つつ、綱を引いてそこを過ぎる間も、後ろが顧みられるのみで、飽きることなく思われた。
 冬になって帰京する折、大津という浦で舟に乗ったその夜に、岩も動くばかりに、雨が降り風が吹きに吹いて、雷さえ鳴ってはとどろくのに、波が湧き起こってくる音、風がひどく吹いている様は、恐ろしげなこと、命もこれ限りかと思い惑われる。
 丘の上に舟を引き上げて夜を明かす。
 雨はやんだけれども、風はなお吹いていて、まだ舟は出さない。
 当てどもなく丘の上に五日六日と過ごす。
 風がようよういささかやんだ折、舟のすだれを巻き上げて見渡せば間もなく夕潮がただ満ちに満ちてきて、入り江の鶴が声を惜しまないのも面白く見える。
 国の人々が集まってきて
「もしあの夜にこの浦を出て石津に着こうとしておいでになったら、そのままこの舟は名残もなくなっていたでしょう」
などと言うのが心細く聞こえる。
 
  荒るる海に 風より先に船出して
   石津の波と消えなましかば
 
(もしあの荒れる海に、あの風より先に船出をして、石津の波と消えてしまっていたら)
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(七十三)西へ行く月

 やはり心を同じゅうして連絡を交わし、世の中のつらいことも情けないことも、面白いことも互いに語らった人が筑前に下って後、月がはなはだ明るいので……こんな夜に、宮家に参上してあの人に会っては、つゆまどろむことなく眺めて明かしたものを……と恋しく思いつつ寝入ってしまった……
 
 宮家に参上してその人に会った。以前と変わらず、現実のようだった……
 
と見て目を覚ましたところ夢であった。
 月も山の端近くなっていた。
 
  覚めざらましを
 
(覚めなければよかったのに)
 
とますます眺められて
 
  夢覚めて 寝覚めの床の浮くばかり
   恋ひきと告げよ 西へ行く月
 
(夢が覚めて、寝覚めの床も浮くばかりに、涙を流してあなたを恋うたと告げてください。西へ行く月よ)