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(三十二)有明の月

 葉月二十余日の暁方の月は、はなはだ美しく、山の方は木暗くて、滝の音も、似るものもなく思われるのみで
 
  思ひ知る人に見せばや
   山里の秋の 夜深き有明ありあけの月
 
(この美しさが分かる人に見せたいものだ。山里の秋の夜更けの、この有明の月を)

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(三十一)鹿の音

 暁になってしまったろうかと思っていると、山の方より人があまた来るような音がする。
 驚いて見やったところ、鹿が縁のもとまで来て鳴いているのは、こう近くてはゆかしくない声である。
 
  秋の夜の 妻恋ひ兼ぬる鹿の音は
   遠山にこそ聞くべかりけれ
 
(秋の夜の、妻恋を遂げ得ぬ鹿の声は、遠い山にこそ聞くべきものだったのだ)
 
 近辺まで知人が来て帰ったことを聞いたので
 
  まだ人目知らぬ 山辺の松風も
   音して帰るものとこそ聞け
 
(人をまだ見知らぬ山辺の松風でも、音沙汰があって帰るものだと聞きますよ)
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(三十)時鳥

 念仏をする僧が暁にぬかずく音が尊く聞こえるので、戸を押し開けてみたところ、ほのぼのと明けてゆく山際だった。木暗い梢の一面に霧が立って、花や紅葉の盛りよりも何となく、枝葉の茂りに空じゅうが曇ったようで面白いのに、時鳥ほととぎすさえ、至って近い梢に度々鳴いている。
 
  たれに見せ たれに聞かせむ
   山里の この暁も をち返る音も
 
(誰に見せ、誰に聞かせたらよいだろうか。山里のこの暁も、繰り返す鳥の音も)
 
 その月の三十日、谷の方の木の上に時鳥が、かしがましく鳴いている。
 
  都には待つらむものを
   時鳥 今日ひねもすに鳴き暮らすかな
 
(時鳥よ、鳴くのを都で待っていようものを、こんなところで今日はひねもす鳴き暮らすのですね)
 
などと物を思うのみで……
 
〔※脱文があるか〕
 
……共にいる人が
「今頃は京でも時鳥を聞いている人があるでしょうか。そして、こうして物を思っているだろうと、思いやってくれる人もあるでしょうか」
などと言うので、
 
  山深くたれか思ひはおこすべき
   月見る人は多からめども
 
(こんな山深いところを誰が思いやってくださるでしょう。月を見る人は多いでしょうけれど)
 
と言うと、
 
  深き夜に月見る折は
   知らねどもまづ山里ぞ思ひやらるる
 
(深い夜に月を見る折は、どうしてかまず山里が思いやられるものですよ)
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(二十九)東山

 卯月の下旬、故あって東山の某所へ移る。
 道の辺は、苗代に水を引いてあるのも、田植えがしてあるのも、一面何となく青々として面白く見えることだ。
 陰も暗いほど山が間近く見えて、心細く物悲しい夕暮れ、水鶏くいなが大いに鳴いている。
 
  たたくともたれかひなの暮れぬるに
   山路を深く訪ねては来む
 
(戸をたたいても誰が来る。水鶏のようにたたいても。暮れたというのに、山路を深く誰が訪ねてくるだろう)
 
 霊山りょうぜん寺に近いところだったので参拝した時、いたく苦しいので、その山寺にある岩間の泉に寄った。手にむすんでは飲んで
「この水は飽きないものに思われますね」
と言う人があるので、
 
  奥山の石間の水をむすび上げて
   飽かぬものとは今のみや知る
 
(奥山の岩間の水をむすび上げておいて、今になって、飽きないものとお気づきになったのですね)
 
と言ったところ、水を飲んでいたその人が
 
  山の井の しづくに濁る水よりも
   こはなほ 飽かぬ心地こそすれ
 
(しずくが垂れても濁ってしまう山の泉のあの水よりも、これはなお、飽きない心地がするのです)
 
 東山に帰って、夕日が際やかに差しているので、都の方も残りなく見やられるのに、この「しづくに濁る」人は、京に帰るということで、心苦しく思ってか、翌朝早くに
 
  山の端に入り日の影は入り果てて
   心細くぞ眺めやられし
 
(山の端に、入り日の影もすっかり入ってしまうと、そちらの方が心細く眺めやられたのです)
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(二十八)司召

 翌年、睦月の司召に父の祝いをできそうなことがあったのに、そのかいもなかった朝早く、同じ心に思っているはずの人のもとより
「今年こそ、そうはいってもと思いつつ、明けるのを待つ待ち遠しさよ」
と言って
 
  明くる待つ 鐘の声にも夢覚めて
   秋のもも夜の心地せしかな
 
(明けるのを待っていましたが、鐘の声にも夢は覚めて、秋の百夜が過ぎた心地がしたのでした)
 
と言ってきた返事に、
 
  暁を何に待ちけむ
   思ふこと成る鳴るとも聞かぬ 鐘の音ゆゑ
 
(なぜ暁を待っていたのでしょう。思うことが成り、鳴るとも聞かぬその鐘の音ゆえに)
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(二十七)野辺の笹原

 姉の乳母であった人が、こうなりました以上は他人でございます、などと泣く泣く元いたところに帰ってゆくので、
 
 古里にかくこそ人は帰りけれ
  あはれ いかなる別れなりけむ
(こうしてあなたまで家へ帰ってしまわれます。あの別れは、こういうことでもあったのですね)
故人の形見に、何とかしてとも思いますが。

 
などと書いて
 
すずりの水も凍りますので、思いも皆とざされて、筆をとどめてしまいました。
 
と書いたところに、
 
 書き流す跡はつららに閉ぢてけり
  何を 忘れぬ形見とか見む
(書き流した跡は氷に鎖されてしまいました。姉を忘れぬ形見としては何を御覧になるのでしょうか)

 
と書いてやった返事に乳母が
 
  慰むるなぎ無きさの浜千鳥
   何か憂き世に跡もとどめむ
 
(心の慰め方の無き、潟のなぎさの浜千鳥のごとき私が、憂き世に跡を、なぜとどめておりましょう)
 
 この乳母が、姉の墓所を見て泣く泣く帰ってしまった後で、私が
 
  昇りけむ野辺はけぶりもなかりけむ
   いづこをと尋ねてか見し
 
(空へ姉が昇ったというその野辺には、もう煙もなかったでしょう。何を目当てに、墓を尋ねて御覧になったのでしょう)
 
 これを聞いてまま母が
 
  そこはかと知りて行かねど
   先に立つ涙ぞ道のしるべなりける
 
(どこそこの墓とはっきり知って行ったわけではありませんけれど、先に立つ涙が道しるべともなったのですよ)
 
 かばね尋ぬる宮をよこした人は
 
  住み慣れぬ野辺のささ
   跡はか無く泣く無くいかに尋ねわびけむ
 
(住み慣れる人もないあの野辺の笹原には道の跡もなく、墓を泣く泣くいかに尋ねわびたことでしょう)
 
 これを見て兄は、その夜の野辺送りにも行っていた人なので
 
  見しままに 燃えしけぶりは尽きにしを
   いかが尋ねし 野辺の笹原
 
(見るや否や、燃えていた煙は尽きてしまったけれど、どのように尋ねたことでしょう。あの野辺の笹原を)
 
 日々を経て雪が降る頃、吉野山に住む尼君となったその人を思ってやる。
 
  雪降りてまれの人目も絶えぬらむ
   吉野の山の峰の懸け道
 
(雪が降って、まれに人の見えることすら絶えてしまったでしょう。吉野の石山の、峰の道には)

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(二十六)かばね

 その年の皐月の初めに、姉は子を産んで亡くなった。
 かようなことは、家族のことでなくてすら、幼い頃よりはなはだ悲しいものに思い続けているのに、なおさら何とも言いようがなく、とても悲しい。
 母なども皆、姉のかばねの方にいるので、形見としてこの世にとどまった二人の子供を私が左右に寝かせていると、荒れた板屋の隙より月が漏ってきて、赤子の顔に当たっているのがいたく忌むべく思われるので、袖で覆うて、今一人をもかき寄せて慈しむのが悲しい。
 その折も過ぎて、親族である人のもとより
「故人が必ず求めてよこせと言うので求めましたのに、その折は見つけられずにしまいましたけれど、今になって人からよこしてきましたのが悲しいことです」
と言って『かばね尋ぬる宮』という物語をよこした。
 そのことが誠に悲しい。
 返事には
 
  うづもれぬかばねを何に尋ねけむ
   こけの下には身こそなりけれ
 
(まだ埋められていない、恋人のかばねを尋ねたのはなぜでしょうか。よみ路へ自ら立ってしまって)
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(二十五)火事

 その翌年の卯月、夜中ばかりに火事があって、大納言殿の姫君と思って大切にしていたあの猫も焼けた。
 大納言殿の姫君、と呼んだら、心得て聞いているような顔に鳴いて歩んできたりしたので、私の父である人も
「珍しく尊いことだ。大納言に申し上げよう」
などと言っていた折でもあり、はなはだ悲しく口惜しく思われる。
 広々として深山のようではありながら、花や紅葉の折は、周りの山辺も取るに足りないほどになるのをしばしば見ていたのに、今は、はなはだそれと違って狭いところで、庭も広くなく、木などもないので本当に面白くないのに、お向かいには、紅白の梅など咲き乱れて、それが風につけて匂うてくるにつけても、住み慣れていたあの家が思い出されることは、一通りでない。
 
  匂ひくる 隣の風を身に染めて
   在りし 軒端の梅ぞ恋しき
 
(匂うてくる、隣からの風を身に染ませるままに、在りし軒端の梅が恋しい)
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(二十四)月夜

 その月の十三日の夜、月が本当にくまなく明るいので、皆も寝ている夜中のほどに、縁に出て坐っていて、姉が、空をつくづくと眺めて
「今私が行方もなく飛んでいって、見えなくなってしまったらどう思うでしょう」
と問うので、私が少し恐ろしいと思っている様子を見て、別のことに言いなして笑いなどして、聞けばすぐ近所に、先払いをする車が止まって、
おぎの葉よ、荻の葉よ」
と呼ばせるけれども、答えぬようだ。
 呼ぶのに苦労して、澄んだ笛の音を至って美しく鳴らして通り過ぎてしまうようである。
 
  笛の音のただ秋風と聞こゆるに
   など 荻の葉のそよと答へぬ
 
(この笛の音は秋風とのみ聞こえますのに、荻の葉はなぜ「そうよ」とも答えてくださらないのでしょう)
 
と言ったところ、誠にそうだということか
 
  荻の葉の答ふるまでも吹き寄らで
   ただに過ぎぬる 笛の音ぞ憂き
 
(その笛の音を、荻の葉が答えるまで鳴らしてもくださらず、寄りもせずただ過ぎてしまうのがつろうございます)
 
 かように、明けるまで空を眺めて夜を明かして、明けて二人とも寝た。
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(二十三)長恨歌

「世間には、長恨歌という文を物語に書いてあるところがあるそうな」
と聞くのではなはだ見たいのに頼み込めずにいたけれども、適当な頼りを尋ねて七月ふみづき七日に言いやる。
 
  契りけむ 昔の今日のゆかしさに
   天の川波打ちいでつるかな
 
(楊貴妃が契りましたとかいう昔のこの日のゆかしさに、天の川の波のように私も声を立てたのです)
 
返し
 
  立ちいづる 天の川辺のゆかしさに
   常はゆゆしきことも忘れぬ
 
(この文は、平生ならば忌むべきですが、ひこ星の現れます天の川のほとりのゆかしさに、そのことも忘れてしまいました)