念仏をする僧が暁にぬかずく音が尊く聞こえるので、戸を押し開けてみたところ、ほのぼのと明けてゆく山際だった。木暗い梢の一面に霧が立って、花や紅葉の盛りよりも何となく、枝葉の茂りに空じゅうが曇ったようで面白いのに、時鳥さえ、至って近い梢に度々鳴いている。
たれに見せ たれに聞かせむ
山里の この暁も をち返る音も
(誰に見せ、誰に聞かせたらよいだろうか。山里のこの暁も、繰り返す鳥の音も)
その月の三十日、谷の方の木の上に時鳥が、かしがましく鳴いている。
都には待つらむものを
時鳥 今日ひねもすに鳴き暮らすかな
(時鳥よ、鳴くのを都で待っていようものを、こんなところで今日はひねもす鳴き暮らすのですね)
などと物を思うのみで……
〔※脱文があるか〕
……共にいる人が
「今頃は京でも時鳥を聞いている人があるでしょうか。そして、こうして物を思っているだろうと、思いやってくれる人もあるでしょうか」
などと言うので、
山深くたれか思ひはおこすべき
月見る人は多からめども
(こんな山深いところを誰が思いやってくださるでしょう。月を見る人は多いでしょうけれど)
と言うと、
深き夜に月見る折は
知らねどもまづ山里ぞ思ひやらるる
(深い夜に月を見る折は、どうしてかまず山里が思いやられるものですよ)