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源氏物語

紅葉賀(二)

朱雀院への行幸。その夜、舞の賞に源氏を正三位に、頭中将を正四位下に叙す。
 
源氏、藤壺のいる三条宮において兵部卿宮に対面。
 
十二月末、紫上、尼君の忌明け。
 
源氏、十九歳。正月一日、朝拝に参る。
 
紫上、雛遊び。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 年始の礼といっても、あちこちへもお回りにならず、内裏、東宮、一院へばかり、そのほかは、藤壺の御実家の三条の宮に源氏は参上したのである。
「今日はまた格別にお見えになりますね」
「年のたけるままに、はばかられるほどにまでおなりになりましたこと」
と人々がめで申し上げるのを藤壺の宮は、几帳の隙よりちょっと御覧になるにつけても、物をお思いになることしきりであった。お産が、師走を過ぎてしまったのも心もとないけれど、それでも今月にはと三条の宮の人もお待ち申し上げ、内裏でもその御用意をなさる。何事もないまま時がたってしまう。物の怪のためかと世の人が申し上げ騒ぐのも宮には、至って悩ましく、このことにより我が身はむなしくなってしまおうことよとお悲しみになって、いたくお苦しみになる。中将の君は、ますますそれと思い当たるままに、修法などをそれとなくところどころでおさせになる。世の中の定めなさにつけても、こうはかない仲のまま終わってしまうのであろうかと、取り集めてお嘆きになるけれども、如月十余日という折に男の子がお生まれになったので、主上も三条の宮の人も漏れなくお喜びになる。
 命長くも生き延びたものよとお思いになるのは情けないけれど、「弘徽殿などが呪わしげに言っておいでになると聞いたが、もし私がむなしくなったと聞いて、それ見たことかと思われることになったら人笑わせであろう」とお思いになり、奮い立って少しずつ快くおなりになったのである。
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源氏物語

紅葉賀(一)

 朱雀院への行幸ぎょうこうは、神無月の十余日にある。この度は世の常ならず面白い行事となるはずであったから、お后方は御見物になれないのを口惜しがられる。主上も、藤壺が御覧になれないのを物足りなく思われるのでその試楽を御前でおせさになる。源氏の中将は、青海波を舞われたのである。片手には、左大臣家の頭中将。姿、用意も人には異なるけれども、なお源氏に立ち並んでは花の傍らの深山みやま木である。入り方の日影がさやかに差しているところへ、楽の声が大きくなり、面白くなってくるその折、同じ舞でも、この足踏みと面持ちとは、この世で見付けられぬようなものである。源氏のなさる詠などは、これが仏の迦陵頻伽かりょうびんがの声であろうかと聞こえる。面白く美しくて、帝は涙をお拭いになり、公卿や親王たちも皆泣いておしまいになる。詠が果てて袖をお直しになったところへ、待ち受けていた楽がにぎやかになるので、顔の色は、それと相増さって常よりも光るようにお見えになる。東宮の母、弘徽殿の女御は、こうお美しいのにつけてもただならぬことにお思いになって
「神に空からめでられでもしそうな姿ですこと。いよいよ忌ま忌ましい」
とおっしゃるのを聞いて、若い女房などは、面白からず心に留めた。藤壺は、「あの分に過ぎた心さえなければ、なおさら美しく見えたろうに」とお思いになるにも夢のような心地がなさったのである。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
 藤壺の宮は、そのまま主上の添い寝をなさった。
「今日の試楽は、あの青海波に皆尽きていましたね。どう御覧になりましたか」
とおっしゃれば、どうにもお答え申し上げにくくて、
「格別でございました」
とばかりおっしゃる。
「片手の方も、悪くはないと見えました。舞の様、手遣いが良家の子弟は格別なのです。この世に名を得ている、舞の男どもも、誠に優れてはいるけれど、おっとりして艶なたちは見せられないのです。試楽の日にこうまで仕尽くしてしまえば、朱雀院の紅葉の陰が、物寂しくもなろうかと思うけれど、あなたに見せ奉ろうという心で用意させたのです」
などとおっしゃる。
 翌朝早く中将の君から
 
どう御覧になったでしょうか。喩えようもなく心地は病んだままでしたが。
 物思ふに 立ち舞ふべくもあらぬ身の
  袖打ち振りし心知りきや
(物を思うので、立って舞うべくもない私が、どんな心で袖を打ち振っていたか分かりましたか)
あなかしこ

 
とあったその返書は、目もあやであったそのお姿を御覧になって忍ばれなくなったのであろうか、
 
 唐人の 振ること古事は遠けれど
  立ち居につけてあはれとは見き
(唐の人が、袖を振る故事には興味がありませんけれども、立ち居につけて美しいとは見ました)
一通りには。

 
とあるのを、「この上なく珍しいことだ。こんなところさえたどたどしくなく、異朝のことまで思いやっておいでになるのは、お后の言葉がかねてから出たのであろう」と頬笑まれて、持経のように広げて見ておいでになった。
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源氏物語

若紫(四)

紫上、手習のついでに源氏に返歌を書く。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 女君は、男君がおいでにならないなどして物寂しい夕暮れなどばかりは、尼君を恋うてお泣きになったりもするけれど、父宮のことは殊にお思い出しになることもない。元より極まれにお会いになるだけであったから、今はただこの継親ままおやのそばにいて、はなはだむつんでおいでになる。お帰りになれば、まず出迎えて優しく語らい、懐に這入って坐っていても、煩わしく恥ずかしいとはいささかも思っていない。そんなふうではなはだ愛らしいものであった。「さかしらな心があり、あれやこれやと難しいたちになってしまえば、自分の心地としても、少し案にたがう節も出てこようかと気が置かれ、恋人の方にも、恨みがちになったり思いの外のことがおのずから出てくるというのに、本当にかわいらしい遊び相手だ。娘などでも、やはりこれほどになれば、心安く振る舞ったり、隔てのない様子で起き伏ししたりはできまいに、これは、本当に勝手の違ったまな娘である」と思っておいでになるらしい。(若紫終)
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若紫(三)

十月、朱雀院行幸。
 
北山の尼君、死去。
 
源氏、京極の家に宿り、少納言乳母に会う。翌朝帰路、随身にいもが門の歌を歌わせる。惟光を京極の家に遣わして姫君を問う。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 源氏の君は、「どうしたものか。醜聞も立とうことだ。せめて年のほどだけでも、わきまえもあり、女も心を交わしたことであろうと推し測られるようならば、世間並みのことだが、それでも父宮に尋ね出されたら、間の悪いことであろう」と思い乱れておいでになるけれども、そのままに時を逃してしまうのはいたく口惜しいはずであるから、未明の内に出てゆこうとなさる。北の方は、いつものように、愛想もなく、わだかまりも解けないでいらっしゃる。
「二条の方に、本当に、どうしても見なければならぬことがあるのを思い出しまして。きっとすぐに帰って参りましょう」
と言って出られて、伺候する人々にも知らせなかったのである。その前に自室で、直衣などはお召しになる。そうして、惟光ばかりを馬に乗せて、行っておしまいになる。門をたたかせると、訳を知らぬ者が開けたので、そのままお車をそろそろと引き入れさせて惟光の大夫たいふが、妻戸を鳴らしてせき払いをすれば、少納言の乳母が聞いてそれと心得て出てきた。
「こちらまでおいでになりましたよ」
と大夫が言えば、
「幼い人ならお休みになっております。どうして、こんな夜更けにおいでになりました」
と、何のついでだろうと思って言う。
「父宮のところへお移りになるはずだと聞きますので、その先に申し上げておこうと思いまして」
と源氏がおっしゃれば、
「何事でございましょう。さぞかししっかりとお答え申し上げられますでしょうね」
と言って笑っている。源氏の君が這入ろうとなさるのでいたく気が引けて、
「見苦しい年寄りどもがくつろいでおりますから」
と申し上げる。
「まだお目覚めではあるまいな。さて、お起こし申そう。この朝霧を知らずに寝ておられるものか」
と言うままにお這入りになるので、「もし」とも申し上げられない。姫君は、何心もなくお休みになっているのに、源氏がいだいて目を覚まさせるので『お父様が、お迎えにいらしたのだ』と、寝ぼけて思っておいでになる。その髪を繕いなどなさるままに源氏は、
「さあ共にいらっしゃい。私はお父様の使いで来ているのです」
とおっしゃるけれども、違う人だ、とあきれて、恐ろしく思っているらしいので、
「ああ情けない。私も同じ身分ですよ」
と言うままに、かき抱いて出ようとなさる。それで大夫、少納言などは
「これはどういうことです」
と申し上げる。
「ここへは常に来られるわけでもなく心もとないので、心安いところにと申し上げていたのに、情けなくもお移りになるということで、なおさら申し上げにくくなりましょうから。誰かもう一人おいでなさいな」
とおっしゃるので、少納言は心も落ち着かぬまま
「今日では本当に具合が悪うございましょう。宮がおいでになったら、何と言いやればよいのです。おのずから程経て相応な時においでになればどうとでもなることでしょうに、本当に想像もいたしませんほどのことですから、伺候する人々も苦しがりましょう」
と申し上げれば、
「ままよ、人が来るのは後でもよかろう」
と言ってお車を寄せさせるので、驚いて、どうしたものかと思い合っている。姫君も、いぶかしく思ってお泣きになる。少納言は、とどめ申す手立てもないので、ゆうべ縫っておいた姫君の服を引っ提げて、自らも、まずまずのきぬに着替えて乗ってしまう。二条院は近いので、まだ明るくもならない間においでになって、西の対にお車を寄せてお降りになる。そうして姫君をば、軽々とかき抱いてお降ろしになる。少納言が
「本当になおも夢の心地でございますけれど、私はどうしたものでしょうか」
とためらっているので、
「ここへいらしたのはあなたの心と聞こえますがね。御当人は移し奉ってしまいましたから、帰ってしまおうということならば送ってもよいのですよ」
とおっしゃるので、はにかんで、降りてしまう。と、にわかに興も冷め、胸も静まらず「宮はどうお思いになって、何とおっしゃることであろう。姫君も、果てはどうなるはずの御境遇であろう。とにもかくにも、頼もしい人々に先立たれておいでになるのが悲しいこと」と思うにも、涙は止まらないけれど、さすがにはばかられてこらえている。
 こちらは、お住まいになっていない対なので、帳台などもないのであった。惟光を召してここかしこに帳台、屏風などの支度をさせる。几帳はかたびらを引き下ろすばかり、敷物などはただ繕うばかりになっているので、東の対に、夜具を取り寄せに人をお遣わしになって、お休みになってしまう。姫君は、「本当に恐ろしい。どんなふうにされるのだろう」とわななかれたけれども、さすがに、声を立ててもお泣きになれず、
「少納言のところで寝ます」
とおっしゃる声は本当にいとけない。
「今はもう、そうやってお休みにはなれないのですよ」
と源氏がお教えになると、姫君は本当に悩ましくて泣き伏しておいでになる。乳母は、床に伏すこともできず、物を考えることもできないで起きていた。
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源氏物語

若紫(二)

僧都、源氏を訪れ、姉の尼君にそれを告げる。坊に源氏を請じ、尼と姫君(紫上)の様を語る。
 
源氏、尼君に対面するついでに姫君を乞う。
 
明くる日、僧都が源氏のもとに参り、北山のひじりは加持をする。
 
源氏、尼君のもとに消息を遣わす。
 
頭中将、左中弁以下、迎えに参る。
 
僧都が琴を持参し、源氏が弾ずる。
伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
源氏、帰京して葵上のもとに向かう。又の日、文を北山の尼君のもとに遣わす。二三日の後、また惟光を北山に遣わし、少納言の乳母を訪ねさせる。一方で、王命婦を頼んで藤壺と通じようとする。
 藤壺の宮は、御病気をなさることがあって退出しておいでになる。心もとなさに主上が嘆いておいでになる御様子を、本当に哀れには拝見しながら、この折にせめて、と子の源氏はひどく心も落ち着かず、どなたのところへもお越しにならずに、内裏にあっても私宅にあっても、昼は物を思い続け、暮れれば王命婦を責めてお過ごしになる。どう謀ったか、無理無理お目に掛かっているその間さえ、現実とは思われず悩ましいのである。
 宮も、思いの外であったあの時のことをお思い出しになってすら明け暮れの物思いなので、せめて、きっとあれだけで終わりにしようと、深く思っておいでになったのに、本当に悲しく、つらそうな御様子ではあったけれど、慕わしく、愛らしく、さりとて、打ち解けず、たしなみの深くておいでになるところなどが、なおも人には似ておらぬのを「なぜ、凡なところすら交じっておいでにならぬのであろう」と、むごくさえ思われたのである。
 何を言い尽すことがおありになろう、かの暗部くらぶの山に宿りを取りたいほどであったけれど、あいにくの短夜で、思いの外にかえって物足らなくなる。
 
  見ても またまれなる夢の内に
   やがて紛るる我が身ともがな
 
(見てもまたかなう時はまれな、あなたという夢の内に、そのまま混ざり合う、そんな我が身であってほしい)
 
とむせび泣いておいでになる様もさすがに悲しいので、
 
  世語りに人や伝へむ
   類ひなく憂き身を 覚めぬ夢になしても
 
(それでも世間には伝わるでしょう。類いなくつらいこの身を、夢となして目覚めなかったとしても)
 
思い乱れておいでになるのもそのはずで、源氏は面目なく思う。直衣のうしなどは、王命婦の君がかき集め、持ってくる。二条の御殿にいらして源氏は泣き寝入りに暮らしておいでになる。文なども、いつものように、中身を御覧にならない由ばかりなので、常のことながらも、むごいこと、と茫然自失して、内裏へも参上せずに二、三日籠もっておいでになったので、またどうしたことであろうと主上がお心を動かしておいでになるらしいのも、恐ろしくのみ思われる。宮も、本当になお情けない私であったと悲しまれるのに御気分の悪さまでも増さって、早く参上すべしという使いが度重なるけれども、思い立つことすらおありにならない。誠にお心地がいつものようでもないのは、どうしたことであろうと、人知れずお考えになるところもあったので情けなく、どうなろうかとばかり思い乱れておいでになる。暑い折はますます、起き上がることもおありにならない。三箇月になる折には、それと明らかに知れて人々が見とがめ奉るので、思いの外の宿世のことが情けなくなる。人には、思いも寄らないことなので、この月まで奏されなかったのかと驚かれる。ただ御自身のお心一つには、明らかに理解することもおありになった。湯あみなどにも、親しく奉仕して、何事の気色をも明らかに見知り奉っている、宮にとっては乳母の子である弁や、王命婦などは、怪しいとは思うけれど、互いに相談できるはずのことでもないので、命婦はただ、宮がなお宿世を逃れ難かったことに驚いている。主上には、物の怪に紛れてとみにはその気配もなかったように奏したということである。見る人も、そうとばかり思っていた。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 主上には宮のことがますますいとしくこの上なく思われて、使いなどが絶え間なくあるのも宮には空恐ろしく、物をお思いになることは絶え間がない。源氏の中将も、途方もない異様な夢を御覧になって、夢判断をする者を召して問わせれば、考えも及ばず思いも掛けぬ筋のことを判じた。
「ただし、その中に食い違いがございまして、お慎みにならねばならぬことが出てまいります」
と言うので、煩わしく思われて
「私の夢ではなくて人のことを語っているのだ。この夢の有り様は、かなうまではまた人に告げるなよ」
とおっしゃって、心の内には、どういうことだろうかとお思い続けになるけれども、かの女宮のお体のことをお聞きになって、あるいはそうなる訳もあろうかとお思い付きになったので、宮にはいよいよははなはだしく言葉をお尽くしになるけれども、王命婦にとっても、考えるにも至って恐ろしく、煩わしさが増さって、更に謀るべき手立てもなくなる。仮初めの一行の返書がたまさかにあったのも、絶え果ててしまった。
 文月になって宮が参上した。久々のことで感慨も深く、主上の思いのほどはいよいよこの上ない。少しお腹がふくよかにおなりになって、苦しそうに面痩せておいでになるのが、やはり誠に、似る者もないほど美しい。主上は以前のように明け暮れ藤壺にばかりおいでになって、遊びも次第に面白くなってくる頃なので、源氏の君を、いとまもないほどに召してそばにいさせては、琴、笛などを様々に奏でさせる。包み隠しておいでにはなるけれども、源氏の忍び難い胸の内が漏れ出る折々は、宮も、呵責かしゃくとばかりも言えないことを多くお思い続けになった。
 かの山寺の尼君は、小康を得て寺を出られた。京でのお住まいを尋ねて時々源氏は消息などなさる。似通った返事ばかりなのもそのはずで、そうする内にも数箇月が、在りしに勝る物思いのほか何事もないままに過ぎてゆく。秋の末、源氏は本当に心細くて嘆いておいでになった。月の面白い夜、お忍びになるところへとようようお思い立ちになったけれども、時雨が降り注いでくるらしい。そのお方のおいでになるのは六条京極の辺りで、内裏からなので、少し道のりも遠い心地がしている間に、木立もいたく古くなっており、木暗く見える荒れた家があった。いつものように、お供をしてそばを離れない惟光が、
「これは亡くなった按察使あぜちの大納言の家でございまして、何かの便りに見舞いましたところ『あの尼上は、いたく弱っておしまいになって、何も考えられませんので』と、そう申しておりました」
と申し上げれば、
「はかないことだ。私も見舞わねばならなかったのに、なぜそうとも言わなかったのだ。這入はいって消息しなさい」
とおっしゃるので、人を入れて案内させる。わざわざこのためにお立ち寄りになったことにして言わせたところ、家の者が這入っていって
「ここへお見舞いにおいでです」
と言うので驚いて、
「本当に気が引けること。ここ数日で本当に心弱くなってしまって、御対面などもおできにならないでしょうに」
と言うけれども、帰し奉るのは恐れ多いということで、南のひさしを繕うてそこに源氏を入れ奉る。
「本当にむさくるしゅうございますけれども、せめてお礼だけでもということで。思い掛けないことで、取り散らした部屋ではございますが」
と申し上げる。誠にこんなところは、いつもとは違っているように思われる。
「お見舞い申そうと常に思い立ってはおりながら、全く御相談のかいもないお取扱いにはばかられまして。御病気のことは、重いとも承っておりませんでしたが、不安なことで」
などとおっしゃる。尼君が
「病気ならばいつものことでございましたが、もう臨終のようになってしまいまして。本当にかたじけなくもお立ち寄りくださいましたのに、自らお答えすることもできませんのです。御相談の件は、たまさかにもおぼし召しが変わらないようでございましたら、あの子がこんな無理な年齢を過ぎましてから必ず人数ひとかずにお入れください。はなはだ心細いままにあの子をしておきますのは、後生を願います道のほだしにも思われましょう」
などと伝言しておいでになる。
 あちらの部屋はすぐ近くなので、尼君の心細げなお声が絶え絶えに聞こえて、
「本当に面目ないことでございますね。せめてあの子が、お礼を申し上げられそうな年のほどでもありましたら」
とおっしゃるのを、物悲しくお聞きになって、
「どうして、浅い心ゆえに、このようなあらぬ思いをお見せしましょうか。いかなる契りでありましょう、初めて拝見した時からいとしくお思い申し上げておりますことも、怪しいまでに、この世だけのこととは思われないのです」
などとおっしゃって、
「かいない心地ばかりいたしますけれども、子供らしいあのお声を、一声でも何とか」
とおっしゃれば、
「さあ、よろずお悟りにならない御様子で寝入っておいでになりまして」
などと申し上げる折しも、あちらより来る音がして
「尼上、あの、お寺にいた源氏の君がおいでになっているようですが、どうしてお目に掛からないのです」
とおっしゃるのに、人々は、いたく気が引けて
「静かに」
と申し上げる。
「いいえ、源氏の君にお目に掛かったら、お心地の良くなかったのが慰んだと、そうおっしゃいましたので」
と、賢いことを申し上げたように思うておっしゃる。本当にかわいらしくお聞きになるけれども、人々は、聞き苦しくも思っているので、聞いていないようにして、まめやかなお見舞いの言葉を言い置いて帰っておしまいになる。「誠にたわいない御様子だな。そうはいっても、本当に必ずよく教えてあげよう」とお思いになる。
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若紫(一)

源氏、十八歳。
 
三月の末、わらわやみの加持のため北山のひじりの坊に向かう。遊山のついでに、某僧都の姉である尼たちの隠れているところを望む。供人、諸国の名所を物語るついでに明石あかし入道の娘の有り様を申す。
「さあ、そうはいっても田舎びておりましょう。幼い頃よりそんなところで育って、旧式な親にばかり従っているようなのは」
「母親は、故ある家の人のはずですがね。親類を尋ねて、都のやんごとない方々から麗しく若い従者を取るなどして、まばゆいほどに娘を取り扱っておりますそうな」
「不人情な人が下って行ったら、そう心安くも置いておけまいに」
などと言う者もある。源氏の君は、
「どんなつもりで海の底まで、深く思い込んでいるのでしょう。底の海松みるではないが見る目もいとわしいですね」
などとおっしゃって、それでいて珍しく思っておいでになる。人々は「こんな話も、並々ならず偏ったことがお好きなお心であるからお耳に留まるのであろうか」と拝見する。
「暮れ掛かっているのに病は起こらなかったようですが、早くお帰りになってはいかがでしょう」
と言うけれども、大徳は
「物のなどが加わっている御様子でございましたので、こよいはなおも静かに加持などなさって、それからお帰りなさい」
と申す。
「誠にそうでしょうね」
と皆が申す。君も、こんな旅寝はさすがに慣れておらぬことでもあり面白くて
「それでは明日の暁に」
とおっしゃる。いい人もおらず寂しいので、夕暮れの深いかすみに紛れてあの小柴垣こしばがきの辺りにおいでになる。ほかの人々はお帰しになってから惟光これみつ朝臣あそんとのぞいて御覧になれば、すぐこちらの西表に持仏を据え奉ってお勤めをしている人は尼であった。すだれを少し上げて花を奉るのが見える。真ん中の柱に寄って、脇息きょうそくの上に経を置いていたく苦しそうにすわって読んでいるその尼君は、並の人と見えず、四十余ばかりで色は至って白く、品は良く、痩せてはいるけれども頬はふくよかで、目元も、綺麗きれいにそいである髪の末も、君は「かえって、長いよりも殊の外しゃれたものだな」と感心して御覧になる。姿の良い年配の女房が二人ばかり、そのほか童子が出入りして遊んでいる。中には、十ばかりであろうかと見えて、白いきぬ、山吹襲やまぶきがさねなどの慣れたのを着て走ってきた女の子は、あまた見えているほかの子供には似るべくもなく、生い先も素晴らしく見える愛らしい姿である。髪は、扇を広げてあるようにゆらゆらとして、顔は、擦って真っ赤にして立っている。
「何事です。童と喧嘩をなさいましたか」
と言ってあの尼君が見上げたけれど、少し似ているところがあるので親子のようだと源氏は御覧になる。
すずめの子を犬君いぬきが逃がしてしまったのです。伏せの内に閉じ込めておいたのに」
と言って、いたく口惜しがっている。こちら側に坐っていた方の女房が
「例の考え無しがまたこんなことをして叱られる。嫌になってしまいますね。けれど、どちらへ逃げたのでしょう。本当にだんだんかわいらしくなってきたところですのに、からすなどが見付けるといけませんから」
と言って、立ってゆく。髪はゆったりとして非常に長く、人好きのする顔立ちに見える。少納言の乳母めのとと人がいうようであるが、この子の後見なのであろう。尼君が
「まあ幼いこと。ふがいなくていらっしゃるのね。私がこんなふうに今日明日にもと感じているこの命は何ともお思いにならないで、雀をお慕いになるほどとは。罪を得ることだと常に申し上げておりますのに、情けない」
と言って、こちらへと言えば、その子は膝を突いている。頬は至って愛らしくて眉の辺りは薄い煙のごとく見え、子供らしく前髪を払いのけた額の様子が、はなはだ愛らしい。年たけてどうなるのか知りたくなる人であるよとお目に留まる。「これも、この上なく心を尽くし申し上げるあの人に本当によく似ているので、それで見つめてしまうのだな」と思うにも、涙が落ちるのである。
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
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〇帚木(一)

 源氏は中将に、蔵人少将は頭中将になっている。源氏、十七歳。
 桐壺と帚木ははきぎの間で源氏は朝顔の君、六条御息所みやすどころ、藤壺と関係しているはずだが直接の描写はない。『輝く日の宮』という失われた帖があるとも言われるが、もちろん故意の省筆、又は削除の可能性もある。なお、巻の後半で源氏と朝顔の君についてのうわさ話が聞こえてくる場面に対して、この物語の最初の英訳者アーサー・ウェイリーが興味深い註を付している。

We learn later that Genji courted this lady in vain from his seventeenth year onward. Though she has never been mentioned before, Murasaki speaks of her as though the reader already knew all about her. This device is also employed by Marcel Proust.

The Tale of Genji: The Arther Waley Translation


(源氏は十七歳の時以来この女性に言い寄ってそのかいがなかったのだということが、後になって分かる。これまで一度も言及がないにもかかわらず、読者が総てを知っているかのように紫式部は語っている。このような仕掛けは、マルセル・プルーストも採用しているものである)
 
 帚木、空蝉うつせみ、夕顔、末摘花すえつむはな蓬生よもぎう、関屋、玉鬘たまかずら十帖の十六帖は、本筋に絡まない外伝的な内容を持ち、後に挿入されたとする説もある。これらの帖を飛ばして藤裏葉まで読み進めた後に帚木に戻ってきても自然に読み進めることができる。特に以下の冒頭部は、読者が光源氏の人生についてある程度知っているのでなければ唐突な感じを与える。取り分け「『まだ』中将などにものしたまひ『し』時は」

伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 光る源氏とただでさえ名のみ事々しく、その光を打ち消す傷も多くおありになるそうなのに、「こんな色事を末の世に聞き伝えて、軽々しい名を流しもしようか」とお忍びになった隠し事をさえ語り伝えたという、世の人の口さがなさよ。しかし、本当に世をはばかっておいでになり、まめやかに振る舞っていらした間には、なまめかしく面白いことはなくて、交野かたのの少将には笑われておいでになったことであろう。
 まだ中将などでいらした時は、内裏にのみよく伺候をなさってしゅうとの左大臣のところへは途切れ途切れにおいでになる。
 
  しのぶの乱れ
 
(忍ずりのあやのように乱れた、忍ぶ恋心)
 
でもあるのだろうかと疑い申し上げることもあったけれど、上っ調子の、月並みで、不しつけな色事などは、さほど好ましく思われない御本性で、それでいてまれには打って変わって、気をもむようなことを強いてお心にお留めになる癖があいにくとおありになり、あるまじきお振る舞いも交じるのであった。
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桐壺(三)

桐壺帝、更衣を恋慕。
 
月日を経て、源氏、参内。
 
源氏四歳の春、第一皇子、立太子。
 
源氏、六歳。更衣の母、死去。
 
源氏、七歳。読書始ふみはじめ
 その頃、高麗こうらいの人が参上していた中に、優れた人相見がいるということをお聞きになって、外蕃がいばんの人を宮の内に召すことは宇多のみかどの戒めがあるので鴻臚館こうろかんに、はなはだ忍んでこの皇子を遣わした。御後見のように奉仕している右大弁の子のように思わせて伴い奉ると、人相見は、驚いて度々疑い怪しむ。
「国のおさとなって帝王のこの上ない位に昇るべき相がおありになる人のようでいて、そちらで見れば、国の乱れを憂えることがあるでしょう。天子を警固し天下を助ける方で見れば、またその相も外れるはずです」
と言う。
伝海北友雪『源氏物語絵巻』 メトロポリタン美術館コレクションより
 右大弁も、学問の極めて優れた博士であって、高麗の人と言い交わした言葉は非常に興あるものであった。詩など互いに作って、今日明日にも帰り去ってしまおうとするのに、こうしてまれな人に対面した喜びは、かえって悲しいことであろう、という趣で、面白く高麗の人が作ったところ、皇子も、至って美しい句をお作りになったので、この上なくめで奉って、素晴らしい贈り物を捧げ奉る。朝廷からは、多くのものを賜りもする。おのずから事は広まって、いかなる相であったか主上は漏らされぬけれども東宮の祖父の右大臣などは、いかなることであろうかと思い、疑っておいでになった。帝は、恐れ多いおもんぱかりに大和相をお言い付けになっていて思い当たる節もあったことであり、今までこの君を親王にもさせておいでにならなかったので、あの人相見は誠に優れていたのだとお思いになって、「無品むほんの親王で、外戚の後ろ盾もないまま漂わせはしまい。私の代もいつまでのことか至って定めないので、臣下として天子の後ろ盾をさせたら行く先も頼もしかろうと見える」とお思い定めになっていよいよ皇子に道々の学問を習わせる。殊に賢くて臣下にするには至って惜しいけれども、親王にしておしまいになれば世の疑いをお負いになるはずであるし、宿曜すくようの道の、優れた人に占わせても、同じことを申すので、この皇子を源氏となし奉るべくお思い定めになった。年月のたつに従っても、更衣のことを思うてお忘れになる折はない。心も慰むかと、相応の人々を参上させたけれども、更衣になぞらえて考えられる人すらめったにいない世の中であるよと、疎ましくばかりよろずに思われてきてしまうのであるけれども、先帝の四の宮で、お姿の優れていらっしゃるという聞こえが高くておいでになるお方を、その母である后が、世にないほど大切にしておいでになるのを、今は主上に伺候しているかの典侍は、先帝の御代の人であってその后の宮にも、参上して慣れ親しんでいたので、四の宮が子供でいらした時から拝見しており、今でもちょっとお目に掛かることがあって、
「お亡くなりになった更衣のお姿に似ておいでになる人は、この三代ずっと宮仕えをしておりますけれども、見つけられませんでしたのに、あの后の宮の姫宮は、御成長なさってからは本当によく似ておいでになりますよ。まれな美形でございます」
と奏したところ、それは誠かとお心に留まるままに懇ろに御連絡なさった。母の后は、「ああ恐ろしい。弘徽殿の女御が本当に善くないお方で、桐壺の更衣が隠れもなく粗略に取り扱われてしまったためしもはばかられて」と、快くもお思い立ちにならない内に、この后も亡くなっておしまいになった。
 四の宮がお心細い御様子なので、主上は
「ただ私の娘たちの、同じ仲間にお思い申し上げましょう」
と至って懇ろに人に言わせる。宮に伺候する人々、御後見たち、御兄弟の兵部卿ひょうぶきょうの宮なども、「こんなふうにお心細くていらっしゃるよりは、内裏住まいをさせたら主上のお心も慰むであろう」などとお思いになって参上させた。この宮を藤壺と申し上げる。誠に、御容貌、御様子、怪しいまでに更衣に似ておいでになるのである。こちらのお方は、御身分が勝って世の覚えもめでたく、誰にもおとしめられないので、遠慮もなく、物足りないこともない。あのお方は、人に許されなかったので主上のお慈しみも間が悪かったのである。
 お気が紛れるということではないけれども、おのずからお心も移ろうて格別慰むようであるのも、はかないことであった。
 今は源氏となった君が、辺りをお去りにならないので、主上がしげく通っておいでになるあのお方はなおさら、この君に面を伏せているわけにゆかない。自分が人に劣るとは、どなたがお思いになるであろう、取り取りに本当にお美しいけれども、源氏よりは御年配でいらっしゃるのに、藤壺の宮は至って若く愛らしくて、ひたむきに隠れておいでにはなるのだけれどもおのずからひそかに源氏は拝見することがあった。母の更衣のことも、影すら覚えておいでにならないのに、本当にあのお方はよく似ておいでになりますとあの典侍が申し上げたのを若いお考えにも、本当にいとしくお思いになって、常にそのお方のところへ参りたく、お目に掛かってむつみ合いたく思われる。主上も、この上なく藤壺をお思いになる同士として、
「あの子を疎んではいけませんよ。怪しいことに、あなたを母親によそえてしまいそうな心地がするのです。無礼と思わず、愛らしく思っておあげなさい。顔つき、目色などは、本当にあなたはあの母親によく似ておいでになるゆえ、あの子からも似通ってお見えになるのですよ」
などと言付けをなされば、源氏の君も、幼心に仮初めの花や紅葉につけても思慕の心をお見せする。
 源氏がこよなく心をお寄せになるので、弘徽殿の女御はまた、この宮との仲にも角が立っているのに、付け加えて元よりの憎さも顔を出して、その息子までいとわしくお思いになった。世に類いないと主上も御覧になり、名高くておいでになる、東宮のお姿になおも比べようがないほどの、源氏の君の匂やかさ、愛らしさであるので、世の人は、光る君という名をお付け申し上げる。藤壺は、主上の覚えがこれにお並びになるので、輝く日の宮と申し上げる。
源氏、十二歳。元服。その夜、左大臣の娘(葵上あおいのうえ添臥そいぶしに。
 
蔵人くろうど少将(後の頭中将)右大臣の四君をめとる。
 
二条院、造作。(桐壺終)
土佐派『源氏物語画帖』 メトロポリタン美術館コレクションより
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桐壺(二)

源氏、三歳。袴着はかまぎ
 
夏、桐壺更衣、重態。てぐるまの宣旨を賜って内裏を退出。死去。
 
源氏、母の服喪によって内裏を退出。
 
更衣、愛宕おたぎにおいて葬送され、三位を贈られる。
 はかなくその頃も過ぎ、後の法要などにも主上は懇ろに人を訪れさせる。程を経るままに、せん方なく、悲しく思われて、お方々への添い寝なども絶えてなさらず、ただ涙にぬれて明かし暮らしておいでになるので、それを拝見する人さえ湿りがちな秋である。
「亡き後までも人の心を晴らすまいとするか。あの女の覚えのめでたさは」
と、弘徽殿の女御などは、なお許すことなくおっしゃった。その一の宮を御覧になるにも弟宮の恋しさのみを主上はお思い出しになって、親しい女房、乳母などを遣わしては様子をお聞きになる。野分のわきらしい風が立ってにわかに肌寒い夕暮れの折、常よりもお思い出しになることが多くて、靫負ゆげいの命婦という者を遣わす。夕月夜の面白い折にいで立たせてそのまま物を思うておいでになる。こんな折は遊びなどをさせたものだけれど、楽器をかき鳴らすその音は殊に心を打ち、仮初めに口に出す言葉も人には異なっていた気配、姿が、幻影となりじっと我が身に添うているように思われて、それでもなお
 
  闇のうつつ
 
(闇の中の実体)
 
には劣っていたのである。
国立国会図書館デジタルアーカイブより
 命婦があちらに参着して門から車を引き入れるとすぐ、気配は物悲しくなる。やもめ暮らしではあったけれど娘一人を大切にするために、とかく繕うて見苦しくないほどに過ごしておいでになったのが、心は乱れ、目はくらみ、伏して沈んでおいでになる内に草も高くなり、野分でますます荒れた心地がして、月影ばかりが、茂みにも妨げられずに差し入ってくるのである。表座敷の前に命婦を降ろしても母君は、とみに物を言うこともおできにならず、
「今までこの世にとどまっておりますのが本当につらいことですのに、このように主上のお使いが、よもぎの生い茂るこの地の露を分け入っておいでになるにつけても、本当に恥ずかしゅうございます」
と言って、誠に耐えられそうにないというふうにお泣きになる。
「参ってみますとますます気の毒で心も尽きるようでしたと、典侍ないしのすけが奏しておりましたけれども、私のように悟りの鈍い者でも誠に忍び難うございます」
と命婦は言って、やや心を静めてから仰せの言葉をお伝え申し上げる……
 
「『しばしは夢かとのみ思われたのに次第に落ち着いてゆくにも、それだけに覚める手立てもなく耐え難いのは、どうすべきことでしょうか』と、そう問い合わせるべき人すらおりませんが、それを忍んでもこちらへは来てくださいませんか。皇子が、至って心もとなく湿りがちな中で過ごしておいでになるのも、気の毒に思われますので、早くおいでください」
などと、はっきりと言いもやらず、むせび泣きつつ、かつ「心弱くも見られるであろう」と人目をはばからぬでもない御様子のお気の毒さに、すっかり承ることもないまま退出してきてしまったのです……
 
と言って主上の文を奉る。母君は
「涙で目も見えませんので、この恐れ多い仰せの言葉を光にして」
と言って御覧になる。
 
程を経れば少し紛れることもあろうかと、それを待っていて過ごす月日のたつに従ってもますます忍び難いのは、どうしようもないことでございます。あの子を、どうしているかと思いやりつつも、もろともに育むのでもないこの心もとなさよ。こうなってしまった以上は、なおも私を故人の形見になぞらえてこちらへおいでください。
 
などと細やかに書いてある。
 
 宮城野の露吹き結ぶ風の音に
  小はぎがもとを思ひこそやれ

 
(宮城野に吹けば露が結び、宮の内には涙の生じるこの風の音に、小さな萩のようなあの子のありかを思いやるのです)
 
とあったけれども、母君はすっかり御覧にもなれず……
 
「この命の長さが、至って情けないものと思い知られますけれども、
 
  松の思はむ
 
(あの高砂の松もどう思うか)
 
ということをすら、恥ずかしく思っておりますので、内裏に通いますことは、本当になおさら、はばかられることも多うございます。恐れ多い仰せの言葉を度々承りながら、私には思い立つこともできそうにございません。皇子は、どうしてお悟りになったか、早く参上したくて気をもんでいるようにお見えになりますので、それもそのはずでいとおしく拝見しております」などと、内々にこう思うております事情を奏してください。はばかるべき身でございますので、皇子がここにおいでになるのは縁起でもなくかたじけないことでございます……
 
とおっしゃる。皇子は眠っておいでになった。命婦は
「皇子にお目に掛かって、御様子を詳しく奏したくもありますけれども、お待たせしているでしょうに夜が更けてしまいそうですので」
と言って急ぐ。母君は
「目はくらみ心は迷う子故の闇の、耐え難いその片端だけでもせめて晴れるようにとばかり、申し上げたいこともございますので、次はわたくしに心のどかにお越しください。年来、うれしく栄えあるついでにお立ち寄りくださいましたものを、このような御案内でお目に掛かるとは、返す返す思うに任せぬ命でございますね。生まれた時より心積もりのあった娘で、亡くなった大納言は、臨終を迎えるまでもただ『娘には宮仕えの本意を必ず遂げさせてやりなさい。自分がいなくなったからと言って、口惜しくも気落ちしないように』と返す返すいさめておかれましたので、しっかりと後ろ盾になって心に掛けてくれる人もない交わりはかえって良くないことになりそうだとは思いながら、ただその遺言をたがえまいとばかりにいで立たせましたけれども、身に余るまでのお慈しみがよろずにかたじけなくて、人並みにも扱われない恥を隠しつつ交じわっていたようですのに、人のそねみは、深く積もり、煩いはますます多くなりまして、非道にもついにこんなことになってしまいましたので、恐れ多いお慈しみが、かえってむごく思われるのでございます。これも、どうしようもない子故の闇でございます」
と言いもやらずむせび泣いておいでになる内に夜も更けてしまう……
 
 主上もそうお思いですよ。
「我ながらひたむきに、人目を驚かすばかりにあの方のことが心に掛かったのは、長くない契りだったからなのであろうと、こうなってしまった以上はむごく思われるのです。決していささかも、人の心を損なうつもりはなかったのに、ただあの方の故にあまた、負うつもりもない人の恨みを負った果ての果ては、このように捨てられて、心を収める手立てもないので、ますます人目に悪くかたくなになり果てておりますのも、いかなる前世か知りたいものでございます」
と繰り返しては嘆きに沈んでおゆきになるばかりでございます……
 
と命婦は語って尽きることなく、泣く泣く
「夜もいたく更けてしまいますので。こよいの内にお返事を奏した方がようございますから」
と急いでゆく。月は入り方である。空が、清く澄み渡っているところへ、風がいたく涼しくなって、草むらの虫の声々は涙を催すようであり、そんなことからも、辺りの草から遠くへは、本当に離れてはゆきにくい。
 
  鈴虫の 声の限りを尽くしても
   長き夜かずる涙かな
 
(鈴虫のように声の限りを尽くしても、長い夜は明けず、飽きることもなく、鈴を振るでもなく涙は降るのです)
 
と言う命婦は車に乗ってしまうこともできない。母君は
 
「 いとどしく 虫の音しげき浅茅生あさぢふ
   露置き添ふる雲の上人
 
茅萱ちがやのまばらに生えているこの原に、ただでさえ虫はうるさく鳴き、私は泣いておりますのに、禁中の人までが涙の露を添えて置くのですね)
 
かこち言をも申し上げてしまいそうで」
と人に言わせる。美しい贈り物などのあるべき折でもないので、ただ娘の形見にということで、こんな用もあろうかと残しておおきになった御装束を一そろい、それにみぐし上げの調度のごときをお添えになる。若い女房たちは、悲しいことは言うに及ばず、内裏の辺りに朝夕に慣れ親しんでいてはこちらはいたく寂しく、主上の御様子などを思いだすので、早く参上してはどうかと勧め申し上げるけれども、「私のような忌み慎むべき者が添い奉るのも、本当に世のうわさがつらかろう。また、皇子を拝見せずにしばしもいるのは、本当に心に掛かること」と母君はお思いになって、さっぱりと皇子だけを参上させることもおできにならないのであった。
 命婦は帰って、ああまだお休みでなかったのかと思いながら主上にお目に掛かる。御前の内庭が本当に面白い盛りなのを御覧になっているようにして、忍びやかに、心憎い女房だけを四、五人伺候させて、物語をさせておいでになったのである。
 この頃明け暮れ御覧になる、長恨歌の屏風びょうぶは、宇多院の描かせたものであり、屏風歌は伊勢、貫之に詠ませたものである。主上は和歌をも、漢詩をも、ただこの長恨歌の筋を種にさせるのであった。
 いたく細やかに様子を問われる。物悲しかったことを、忍びやかに奏する。母君の返書を御覧になれば、
 
いとも恐れ多い御文は、置き所もございません。このような仰せの言葉につけても、暗くなる病んだこの心地でございます。
 荒き風防ぎし陰の枯れしより
  小萩が上ぞ静心なき

(宮城野に吹くような荒い宮の内の風を、陰となり防いでいた娘の命が枯れてよりは、小さな萩のような皇子の身の上を思うこの心も、主上の心も静かではないのです)
 
などというように無作法なのを、心が収まらなかった折だと見てお許しになったことであろう。
 あまり思うているようにも見られまいとしてお静めになるけれども、更に耐え忍ぶことがおできにならず、更衣と連れ添い始められた年月のことさえ、かき集め、よろずに思い続けられて、時の間も会わなければ心もとなかったのにこうしていても月日は経てしまったことよと驚かれる。
「亡き大納言の遺言を過たず、宮仕えの本意が深かったそのかいもあるように、お礼をしようと思い続けていたのだが、言ってもかいがないことだ」
とおっしゃって本当に悲しく母君のことをお思いやりになる。
「それでもおのずから、皇子が御成長になりなどすれば、相応のついでもきっとありましょう。命長かれと思うて念じるがよいのですよ」
などとおっしゃる。
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桐壺(一)

月岡芳年 月百姿『石山月』 メトロポリタン美術館コレクションより
 いつの御代であったか、女御、更衣が内裏にあまた伺候しておいでになった中に、至ってやんごとない身分ではないものの、優れて目をかけられておいでになる方があった。初めより、我こそはという自負のおありになるお方々は、思いの外の者とこれをおとしめ、そねんでおいでになる。席次の同じか低い更衣たちは、なおさら穏やかでない。朝夕の宮仕えにつけても人の心を揺るがすばかりで、負うた恨みの積もったためか、いたく病んでゆき、心細げに実家へ帰りがちであるのを、主上はいよいよ物足りなくいとしい者にお思いになって、人がそしるのもはばかられず、世のためしともなりそうなお取扱いとなる。月卿雲客げっけいうんかくも、面白くなさそうに
「あの方の覚えのめでたさには、本当に目をそばめたくなるようだ。唐土もろこしでも、こんなことが事の起こりとなって、世も乱れ、良くないことになったのだ」
と次第に、情けなくも天下の人の悩み草となり、楊貴妃ようきひのことまで例に出されそうになってゆくので、至って間の悪いことも多いけれども、主上の思いやりの類いないことを頼みとして人に交わっておいでになる。
 女の父は大納言だったが、亡くなっていた。母は、その北の方で、由緒ある旧家の人であったから、両親がそろい、差し当たり声望華やかなお方々にも、いたくは劣らぬように、何事の儀式をも取り繕うておいでになったけれど、取り立ててしっかりとした後ろ盾もないので、行事のあるときにはなお、よりどころがなく心細げである。前世にも契りが深かったのか、この世にないほど清らかな、玉のような皇子さえお生まれになった。主上は早く早くと待ち遠しがって、急いで参上させて御覧になると、赤子のお姿は珍しいほどである。第一の皇子は、右大臣の娘である弘徽殿の女御の子であり、後ろ盾も堅く、疑いなく立太子なさるお方として、世の中で鄭重ていちょうにお扱い申し上げているけれども、こちらの皇子の麗しさにはお並びになるべくもなかったので、主上は打ち捨ててもおかれず通り一遍にはお思いになるが、こちらの君をば、裏面では大切に慈しまれること一通りでない。女は初めより、主上へありきたりの宮仕えをなさるはずの身分ではなかった。主上の覚えも本当に並々でなく、貴人めかしてはいたけれども、耐え切れず纏綿てんめんさせる余りに、相応の遊びの折々や、何事にも、故ある行事の時期には、まずこの人を参上させたのである。ある時には、寝過ごされてそのままその人を伺候させておおきになるなど、強いて御前を去らぬようにお取り扱いになる内に、おのずから、身分の軽い人にも見えたのに、この皇子がお生まれになって後は、思い定めたように心を入れ替えられたので「東宮にも、悪くするとこの皇子がお立ちになりそうだ」と弘徽殿の女御は思い、疑っておいでになる。
 この女御は誰より先に主上のところへおいでになっており、打ち捨ててはおけないという主上の思いも一通りでなく、間に皇女たちなどもおいでになったので、このお方の諫言かんげんのみにはなお気が置かれ、気の毒にお思いになったのである。かたじけない御恩を頼みにしてはいながら、おとしめ、粗探しをなさる人も多く、自分自身も、か弱くはかない境遇で、かえって物思いがされるのである。
 女の部屋は桐壺にある。主上はあまたのお方々の前を、暇もなく通っておいでになるので、人々に気をもませることになるのも誠に道理と見えた。こちらから参上するにも、あまり度重なる折々は、打ち橋、渡殿とここかしこの道に、見苦しい業をしては、送り迎えの人のきぬの裾が、耐え難いほどよろしくないことになることもある。またある時には、避けて通れない長廊下の戸を固くとざし、こちらとあちらで心を合わせて困らせ、煩わせるようなときも多い。事に触れて、数知れず、苦しいことのみ増さるので女が本当に思い煩うているのを、主上はますますいとしく御覧になって、お近くの後涼殿こうろうでんに元より伺候しておいでになる更衣の用部屋をよそに移させて、その部屋を女にたまう。その恨みは、なおさらやる方ない。